2017年8月3日木曜日

イナウ学習 ぼんでん(梵天)とイナウ

イナウに関する付け焼刃学習の第7回目です。

梅原猛「日本の深層」における大胆な発想に強く共感してその思考を学び、また柳田國男「花とイナウ」の問題意識に興味を持つことによってぬさ(幣帛)とイナウが同根であることを学習しました。
2017.08.02「イナウ学習 ぬさ(幣帛)とイナウ」参照
ぬさ(幣帛)とイナウが同根であると考えることは、大きな文化的世界観の中における思考です。

ところが、身近な自分の居住空間における地物とイナウが同根であることに気が付きました。

4年前に2013.04.07記事「柏井橋近くの梵天(ぼんでん)」を書きました。
次のようにぼんでん(梵天)を観察しました。

柏井橋近くのぼんでん(梵天)

柏井橋近くのぼんでん(梵天)

柏井橋近くのぼんでん(梵天)

近くの旧家の方が地域に伝わる風習を伝えているものだと思います。

ぼんでん(梵天)の意義について、次のように学習しました。
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参考 ぼんでん 柳田國男監修 民俗学辞典(東京堂出版)

普通に梵天と書き、大きな御幣のこと。東北地方に盛んに用いられるが、大きな幣串に厚い和紙をとりつけたこの形式は、御幣の古態として珍しからぬものである。祭礼に際して、頭屋の標示に、御神幸の折の稚児のかつぎ物に、あるいは神事相撲の優勝者の表彰などに用いられる。このものが本来はミテグラとして神霊の憑依体であったのであるからこれらの機能はごく当然のことである。ボンデンという語は恐らくホデから来ており、ホデは目立つものの義であり、東北で蒔・草などの採取にあたり占有標の棒をいい、関東で小神の座をワラホウデンというのもそれである。神名に大宝天王というのが全国的にあるが、幣を神体としてあがめたことによるものであろう。[参]折口信夫「髯籠の話」(古代研究所収、昭4)
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ぼんでん(梵天)の和紙の総が棒の先端から垂れ下がる形状を思い出すと、野外のイナウ祭壇(ヌササン)との相似性を強く感じざるをえません。

この私が感じる相似性と同じ感覚を、別の沢山の事例で感じた柳田國男は「花とイナウ」の中で「二つの種族における一つの習俗」と書きました。

この私が感じる相似性と同じ感覚を、梅原猛は「日本の深層」で縄文人の文化が途切れることなくアイヌや東北人に伝わっているので当然であると論じています。

ぼんでん(梵天)がイナウから派生したものであるいうピンポイントの学説や仮説をみつけたことはありません。
しかし、梅原猛や柳田國男の学習結果に従えば、大局観としてぼんでん(梵天)は縄文人習俗である原始イナウから派生したものであると考えざるをえません。

イナウ・ぬさ(幣帛)・ぼんでん(梵天)の関係(想像)

路傍でみかけるぼんでん(梵天)はアイヌのイナウと縁戚関係にあり、そのルーツは縄文時代に遡ると考えることができます。

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