2017年8月23日水曜日

土器破壊行為と運搬投棄 土器塚学習3

1 文献「阿部芳郎(2002):縄文土器の集中保有化現象と遺跡形成に関する研究」の学習
図書「千葉県の歴史 資料編 考古4 (遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)の「土器塚」の項とそこに掲載されている参考文献を使って土器塚の学習を始めています。

参考文献の多くが千葉県内図書館には収蔵されていないので、うまく都合がついたこともありて国会図書館で資料を閲覧しました。
参考文献リストには掲載されていないのですが、「阿部芳郎(2002):縄文土器の集中保有化現象と遺跡形成に関する研究」をみつけ、学習しました。著者は図書の「土器塚」の項執筆者ですから、より新しい情報を入手できたと思います。
この論文では遠部台遺跡について精査しています。
この論文学習により有益なヒントを2つ得ることができましたので、以下メモします。

2 土器破壊行為と運搬投棄
論文では土器塚の土器集積について詳しく検討していて、私は次の2つの観察に基づく概念に興味をいだきました。
2-1 土器の砕片化
最初に縄文土器は人為的に砕片化されている場合が多いことを述べています。

・土器が道具としての機能を消失するにいたる、使用あるいは保管の途上における土器の破損を一次破損と仮に定義する。
・多くの遺跡から発見される縄文土器は、その大半が二次的な破損の結果であることを示唆している。
・縄文土器の多くが小さな破片となって、さらにその破片にいたる経過には、自然的な要因によるよりも、多分に人為的な要因による破片化の過程が関与している場合がある。これを砕片化と呼ぶ。

2-2 集積ブロック
遠部台遺跡土器塚の観察から集積ブロックという概念を導いています。

・夥しい土器層の内部は、個々の土器片の傾きや集中の度合いからみると、土器層は、大人が一抱えほどの量のまとまりから成り立つことで、これを仮に集積ブロックと呼んだ。それらは、さらに水平に数枚の土器片を重ねたまとまりや、垂直に数枚の土器片を立てたものなど、いくつかの違いを認めることができることである。

集積ブロックの説明写真
「阿部芳郎(2002):縄文土器の集中保有化現象と遺跡形成に関する研究」から引用

3 考察
3-1 遠部台遺跡と西根遺跡の違い
大人が一抱え程度の集積ブロックから遠部台土器塚が構成されていることが論文の記述から分かります。
大変興味ある概念です。
土器が人為的に破壊されて土器塚に集積ブロックを単位として持ち込まれたという様子がわかりました。
そして、西根遺跡における土器集中は発掘調査報告書の記述や写真等からこのような集積ブロックではないと直観できます。
西根遺跡の土器復元率の方が遠部台土器塚よりはるかに良いようです。

3-2 遠部台遺跡と西根遺跡の違い理由 利用できる空間の余裕
遠部台遺跡土器塚と西根遺跡土器集中域の違いから土器破壊の様子が色々と考察できる可能性があります。
次のような想定をメモしておきます。

・遠部台遺跡土器塚
既にその場所に土器塚があるので、土器塚脇で土器を壊し、一抱えした土器破片を土器塚に人力で持ち込み(運搬)、適当な場所に投げた(投棄)。運搬といってもたかだか数メートルだったのかもしれません。

・西根遺跡
姿を残す廃用土器を丸木舟で持ち込み、持ち込んだ場所で破壊した。破壊した土器片を散ばらせるようなことはしたけれども、それ以上に移動させることはないので復元すると復元率がとてもよい。
水中に投げた土器(流路底から出土する土器)の復元率は特に良い。
西根遺跡では塚という固定空間は意識されていないで平面的に順次土器が破壊され配置された。
西根遺跡で塚が形成されなかった理由は広い空間を自由に利用できるので、わざわざ塚に破壊土器片を押し込める必要がないことが主要因だと思います。塚を作るような無駄な労力は避けたのだと思います。
また湿地で足場が悪く、土器を壊す場所(硬く乾いている地面)を継続確保できないことも理由に加わるかもしれませんが本質ではないと思います。

・遠部台遺跡土器塚(再思考)
西根遺跡で土器塚が作られなかった理由を踏まえて遠部台遺跡土器塚について再思考すると次のような思考にたどり着きます。
遠部台遺跡土器塚は集落域内部であり、広い空間を破壊土器置き場(広義祭祀の場)として利用できません。集落土地利用がそれを許しません。土器破壊の場(狭義祭祀の場)で生まれた土器片は(しかたなく)一カ所にうず高く積んだのだと思います。
その積んだ様子を阿部芳郎さんが集積ブロックとして観察されたということです。

・塚の意味
このように思考してくると土器塚というテーマでは、塚という形状には出発点においては本質的なものはなく、土器破壊という行為(祭祀行為)にこそ本質をみることができます。

まとめると次のようになります。
・遠部台遺跡土器塚…土器破壊行為(祭祀そのもの)は土器塚の近くで、結果生まれた土器破片は土器塚に運搬し投棄する。
・西根遺跡…土器破壊行為(祭祀そのもの)がそのまま残る。(土器破片の運搬はない。破壊行為の一環として土器破片を周辺にばらまいたようなことはあったと想像します。)

つづく


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