The meaning of the front land division line of Ningyozuka Tomb in Chiba City
I examined the meaning of the front land division line of Ningyozuka Tomb in Chiba City by projecting the front land division line folding diagram created by Yutaka Numazawa onto a 3D model. I thought that it was the shoulder line and foot line of the second stage of the mound and the small step line located in between.
千葉市人形塚古墳の前方部地割線の意味を、沼澤豊氏作成の前方部地割線折返し図を3Dモデルに投影して検討しました。墳丘第2段の肩線、裾線とその中間に位置する小段線と考えました。
1 千葉市人形塚古墳 前方部地割線折返し図(沼澤豊氏作成)の3Dモデル
千葉市人形塚古墳 前方部地割線折返し図(沼澤豊氏作成)の3Dモデル前方部地割線折返し図はつぎの論文から引用
沼澤豊著「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」(千葉県教育振興財団文化財センター 研究連絡誌、 2008)
3Dモデルの垂直比率:×3.0
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[注]
地割線A、B、C、Dが指示する高さは古墳地形面とは別の高さに存在し、それを古墳地形面に鉛直方向に投影して表示したものがこの3Dモデルです。地割線A、Dは等高線、地割線B、Cは傾斜線。
2 前方部地割線折返し図について
沼澤豊著「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」(千葉県教育振興財団文化財センター 研究連絡誌、 2008)では前方部地割線A、B、C、Dについて、AとCは対応するものとして考え、Bに対応すべき未検出地割線B´を、Dに対応すべき未検出地割線D´を折返し図の中に記入しています。
この折返し図はとても示唆に富む図であるので、上記で3Dモデルにしました。
沼澤豊氏作成 人形塚古墳前方部地割線折返し図
沼澤豊著「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」(千葉県教育振興財団文化財センター 研究連絡誌、 2008)から引用
3 沼澤豊氏の前方部地割線の解釈・意義
沼澤豊氏は上記論文で、D及びD´は第1段肩線を示す余地を残すと述べています。
A、C線は第2段の裾を示し、B、B´線は第2段の肩線を示す可能性を指摘していますが、それでは第2段の斜面幅が狭すぎる難点を指摘しています。
また、第2段の肩の線(B、B´)は盛土が始まれば、すぐに埋もれてしまうから、旧表土面に表示しても実用的な意味はないと述べています。
「前方部では実用的には必要のない線が引かれたことも間違いない。」と述べ、実用性のない線を引いた意味として作業員のための説明用等の意義について検討しています。
4 前方部地割線の意義
前方部地割線折返し図をもとに地割線意義について検討します。
4-1 地割線の実用性
後円部地割線の検討で、旧表土面に描かれた地割線は旧表土面とは別の高さに設定された設計線であり、盛土あるいは掘削でその地割線が消失しても、別の高さで造形物形状に使われていることが判明しました。
旧表土面に描かれた地割線位置を掘削や盛土の後に別の高さで復元できる測量技術が存在していたことになります。
従って、前方部でも地割線はそれぞれ旧表土面と異なる高さに設定された設計線であり、それは盛土の後に別の高さで復元できる測量技術によって活用されていたと考えることができます。地割線に実用性はなく、作業員の教育用であったなどの見解は根本から間違っていると考えます。
4-2 旧表土面に描かれた地割線を盛土後復元利用する測量技術
旧表土面に描かれた地割線を盛土後復元利用する測量技術の具体は不明です。しかし、次のような原理であったことは想定できます。
ア 詳細設計が実施される
詳細設計により傾斜変換線(掘り込み位置、盛土位置、盛土作業単位区切り位置)とその高さ情報が決定され、後円部、前方部、周溝、中堤の立体形状がメディア(紙?)に詳細設計図として表現される。
イ 詳細設計の現場投影
現場(旧表土面)をカンバスにして詳細設計の主要事項を地割線(杭列)や杭で現場に実物大で投影する。地割線(杭列)や杭は測量しながら位置決めするとともに、測量結果(及びそれぞれが持つ高さ情報)をメディア(測量道具そのもの?)に記録する。同時にメディアに記録された情報を即座に復元して、再度現場空間に投影できる体制を整える。
ウ 古墳築造工事
測量技術(詳細設計結果を盛土や掘削にもかかわらず現場空間に投影できる技術)により、設計通りの古墳を築造する。
つまり、図上で考えた詳細設計結果の主要事項を現場で実寸大の地割線で表現し、地割線を杭列に変換して、各杭の位置と与える高さを現場測量道具(恐らく現場に固定された道具)に記録したのだと思います。盛土の後、現場測量道具から各杭の位置・高さ情報を取り出し、盛土空間に投影して、造形に利用したと考えます。
4-3 前方部地割線の意味
B、B´線は第2段の肩線であると考えます。表土を含めて古墳前方部の最高点は39.6mですが、37.2mを一つの基準の高さとして1単位の整数倍がこの古墳の最高点だったと仮定すると、1単位が1.03mですから、40.2m(40.3m)あるいは41.2m(40.3m)のどれかになる可能性が濃厚です。古墳斜面に厚く堆積していた表土・流土の量を勘案すると、40.2mでは平仄が合わないので、古墳最高点は41.2mであったと仮説できるかもしれません。
D、D´線は第2段の裾線と考えます。くびれ部は雨水が集まるような形状となっていて、古墳築造直後から浸食が進んだと考えられます。その結果、裾部線(法尻線)が後退し、D、D´線の位置がずれているように見えるのだと考えます。(2024.10.20追記 D線の意味についてより合理的な解釈案が生まれましたので、別記事で検討します。D線は右側特有の地割線と考え、D´線の想定は不用と考えます。)
A、C線は第2段斜面の途中に位置します。第2段斜面は上部で緩、下部で急になっています。また斜面が急から緩に変化するあたりに狭い平面が想像できるような等高線配置になっています。さらに発掘調査報告書の盛土説明に次の記述があります。
「次に、後円部ではドーナツ状の土手の内側に土砂を入れて1.5m程盛り上げ、さらに前方部前端からの盛土との間を埋めたところで一旦水平に整地して第2段階の盛土を終えている。次の段階では前方部・後円部の墳丘を一気に墳頂近くまで築き、最後に鞍部に盛土して墳丘を整え、盛土を完成したと見られる。」
この記述を踏まえると、後円部、前方部ともに墳丘を一気に盛土しているのではなく、テラス(第1段階盛土面)から1.5m付近まで盛土して整地し、作業を区切っています。この作業区切りは盛土の排水などを考慮した工法に基づいているものと想像できます。盛土を安定させた後の最終盛土をする場合、作業の足場が必要なので、狭い小段を設けて最終盛土作業を始めたかもしれません。
これらの情報から、A、C線は盛土作業の区切りを表現する線分(狭い小段線)の位置を表現していた可能性が考えられます。発掘調査報告書では第1段盛土(テラス盛土)から1.5mの高さで盛土を一旦水平にしたと書いてありますが、沼澤理論に基づくと、第2段盛土裾線(高さ37.2m)から1単位上の38.2mがA、C線が指示した高さだったと仮説します。
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