印旛の原始・古代-縄文時代編-(財団法人印旛郡市文化財センター、平成16年)附録CD-ROMに収録されている縄文時代遺跡台帳とその分布図をパソコン上で少し操作してみて、次のような発想が頭にまとわりついて離れませんので、記録しておきます。
●地名も調査対象になるという発想
ア 遺跡から出土する遺構や遺物が科学的調査対象となっている。
イ 遺跡の存在している地形は遺跡を知る上での1級の物的証拠であり、遺構や遺物と同レベルで科学的調査対象とすれば多くの有益情報が集まるに違いない。
ウ ア、イと同じように、遺跡付近の地名も調査対象となるのではないか?
・遺跡が生きていた時代に、その場所で暮らしていた集団はその場所に地名を付けて相互の会話で使っていたに違いない。
・その原初地名が現代にまで伝わっているところがあるに違いない。
・遺跡存在場所付近の地名を対象に、遺跡と関わる原初地名があるかどうか検討する価値がありそうだ。
もともと地名に興味を持っているのですが、地名全体を対象にして検討するより、遺跡付近の地名に対象を限定して検討すれば、効率がよいということに気がついて発想しました。
現代地名の中で、縄文時代に付けられた地名の残存と縄文遺跡との関係は次のようになっているに違いないという前提で考えています。
縄文時代地名と縄文遺跡との関係イメージ
遺跡所在場所付近の小字地名に限定して地名検討すれば、これまで知られていなかった有用な情報が得られるかもしれないと密かに考えています。
なお、地名から得られる情報は出土物や地形から得られる情報とは異なり、鋭利な証拠性がありません。また検討・分析方法もほとんど確立していないと思います。
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新たな妄想
以前「ハナ」地名を検討しました。花輪、猪鼻、花見、花島などのハナ地名が千葉県北部には沢山あります。ハナは縄文語起源に違いないと想像しました。(2011.06.04記事「花見川の語源7 アイヌ語源説の取り下げ」参照)
さて、ハナワ(花輪)という地名を旧石器時代遺跡や縄文時代遺跡リストで散見して、ふと、次のような妄想が頭をよぎりました。
根拠はないのですが、このブログは思考プロセスの実況中継の場ですから、記録しておきます。
ハナワ(花輪)はハナ(台地の先端)とワ(曲がったところ)から構成されていて、直線状に続く台地縁辺部に対比するところの台地先端部が出っ張っているところを意味することは間違いないと思います。
このような場所は旧石器時代や縄文時代では狩場(追詰猟)として使われていたと考えられます。これも間違いないと思います。
今、ワナ(罠)という言葉があります。
この言葉の説明は、「 縄や竹などを輪の形にして、その中にはいった鳥や獣を締めて生けどりにするための仕掛け。転じて、広く網や落とし穴などをはじめ、鳥獣をおびき寄せてとらえるためのいろいろの仕掛けについてもいう。」(『精選版 日本語国語大辞典』 小学館)となっています。
この説明は現代風の説明であり、この説明から離れて、罠の原初型が旧石器時代や縄文時代の落とし穴にあると考えてみます。
旧石器時代や縄文時代に落し穴猟が追詰猟と一体で行われていたと考えると、落し穴猟の場と追詰猟の場所は同じ場であり、そこはハナワです。
つまり、ワナ(罠)のワ(輪)はもともとはハナワ(花輪)のワ(輪)であるという妄想です。
縄文時代人が使っていた言葉のうちハナやワが現代まで地名「花輪」や一般用語「罠」として伝わってきていると妄想します。
ワナ(罠)の語素検討
検討1
ワ(輪)+アナ(穴)つまりワアナ(ハナワにつくった穴)が詰まってワナになった。意味はハナワアナ(花輪穴)である。
検討2
ワ(輪)+ナ(助詞)と考える。ワナのナはミナト(水門)とかマナコ(目な子)と同じ助詞「な」であると考え、本来はワナ場などのようにナの下に別の言葉があるべきですが、それが消えてしまったと考える。
検討3
ナを菜と考え、罠に動物をおびき寄せる餌と考える。輪菜。その場合、静的な狩方法を連想させ、罠と花輪は離れる。この説を採るなら、罠は農耕社会で生まれた言葉になる。
私は検討1を有力視します。
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