シリーズ 花見川地峡の利用・開発史
第1部 縄文弥生時代の交通 その31
旧石器時代と縄文時代の擬似遺跡分布図(埋蔵文化財が存在する町丁大字プロット図)を比較してその変化を検討してみます。
千葉県の旧石器時代と縄文時代の遺跡分布・遺跡数は次のように変化しています。
擬似「旧石器時代遺跡分布図」と擬似「縄文時代遺跡分布図」の対照図
擬似「旧石器時代遺跡分布図」とは「旧石器 埋蔵文化財が存在する町丁大字プロット図」、擬似「縄文時代遺跡分布図」とは「縄文時代 埋蔵文化財が存在する町丁大字プロット図」です。
千葉県における旧石器時代と縄文時代の遺跡数
この数値は擬似的な情報ではなく、「ふさの国ナビゲーション」(千葉県教育委員会)からダウンロードした情報に基づく正確な数値です。
この情報から「ア 旧石器遺跡と縄文遺跡の重なり分析」および「イ 縄文遺跡の増加場所分析」の2点について検討します。
ア 旧石器時代遺跡と縄文時代遺跡の重なり分析
旧石器時代遺跡の87.7%が縄文時代遺跡と重なっています。
これは旧石器時代人が生活の場として活用した空間のほとんどを縄文時代人が継承したことを意味しています。
旧石器時代人は厳しい寒冷環境の中で、投げ槍や石斧棍棒による狩猟で命をつないで来た人々ですから、狩猟の達人といえる人びとです。その狩猟の達人が利用した場所は狩猟に最も適した場所であることに間違いありません。
そのような狩猟最適地を同じく狩猟民である縄文時代人が継承して利用することは当然です。
一方、旧石器時代遺跡の12.3%が縄文時代遺跡と重なっていません。
この非重合に何か特徴があるか、探ってみました。
次に擬似「旧石器時代遺跡のうち縄文時代遺跡と重なっていない遺跡分布図」を作成しました。
擬似「旧石器時代遺跡のうち縄文時代遺跡と重なっていない遺跡分布図」
この分布図は「旧石器時代遺跡のうち縄文時代遺跡と重なっていない遺跡が存在する町丁大字プロット図」です。
この分布図でプロットされている場所は旧石器時代人は利用したけれど、縄文時代人は利用しなかった場所です。
一見した印象では、旧石器時代遺跡分布ゾーン区分図(2014.09.04記事「旧石器遺跡分布から推定する狩方法」掲載)のゾーンのうち、4ゾーンに多いようです。
そこで、ゾーン別に遺跡数をカウントしてみました。
旧石器時代遺跡のうち縄文時代遺跡と重なっていない遺跡のゾーン別集計
統計的に見る限り、ゾーン2(旧石器時代の利根川水系谷津沿岸、縄文時代の奥東京湾沿岸)で重なっていないものの%が小さく、ゾーン4(印旛沼周辺)で重なっていないものの%が大きいようにみられます。
このような傾向に意味があるとすれば、ゾーン2では狩猟に関する旧石器時代人の好みと縄文時代人の好みの一致度が平均より高く、ゾーン4では好みの一致度が平均より低いことになるので、ゾーン1とゾーン4を比べると、縄文時代人はゾーン1を好んだということができます。
ゾーン1は旧石器時代には深い谷津急斜面のすぐそばの台地縁で、狩に特に役立つ地形であったのですが、縄文時代になると、その台地縁が奥東京湾の海岸となり漁労の場としての重要性が高まりました。
一方、ゾーン4は旧石器時代には台地縁辺部よりは谷津の深さがなく、従って台地縁辺部よりは狩のためには一つ魅力が欠けたと考えられます。また香取の海が台地谷津に侵入して海面が拡がったのですが、塩分濃度が低くハマグリなどの産もないため、恐らく東京湾と比べて一つ魅力が欠けたと考えられます。
このような推察が成り立つかどうか、今後の検討における着目点にして行きます。
本来はこのような統計ではなく、遺跡サイトの地形や位置関係など条件を詳しく比較すればより有用な情報を得られると思いますが、遺跡サイトの正確なプロット図がないので、このような茫漠とした検討に我慢するしかありません。
「イ 縄文遺跡の増加場所分析」は次の記事で検討します。
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