花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.246 鳴神山遺跡発掘調査報告書の遺物記載方法
鳴神山遺跡の全遺構をGISにプロットし、遺構から出土した遺物情報をcsvファイルにして遺物分布グラフをGISソフトのグラフ作成機能を利用して作成しています。
土器以外の遺物についてはすでに記事にしてあります。
土器について現在csvファイルを作成中ですが、思いがけなく難渋しているので、メモしておきます。
鳴神山遺跡の発掘調査報告書は次の3冊が刊行されています。
A 「千葉北部地区新市街地造成整備事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ-印西市鳴神山遺跡・白井谷奥遺跡-」(平成11年3月、千葉県企業庁・財団法人千葉県文化財センター)
B 「千葉ニュータウン埋蔵文化財調査報告書ⅩⅣ-印西市鳴神山遺跡Ⅲ・白井谷奥遺跡-」(平成12年3月、都市基盤整備公団千葉地域支社・財団法人千葉県文化財センター)
C 「印西市鳴神山遺跡Ⅳ-外神地区営農地造成関連埋蔵文化財調査報告書-」(平成17年3月、千葉県企業庁・財団法人千葉県文化財センター)
報告書Aでは次に示したページ例のように遺構ごとに遺物一覧表が作成されています。
報告書Aの遺物記載ページ例
報告書Aの遺物の種類と数は膨大ですが、これをcsvファイルにすることは完了しました。Excelファイルに転記する作業は単調で時間がかかりましたが、一般的な作業で済みました。
報告書Bでは次に示したページ例のようになっています。
報告書Bの遺物記載ページ例
遺構別に遺物の記載が文章と図版で行われています。一覧表がありません。
土器を除く遺物(紡錘車、鉄鏃、刀子、羽口等)については出土数が少ないため、この資料からあまり苦労することなくcsvファイルを作ることができました。
しかし、出土土器のcsvファイルを作成しようとしたとたん、この文章記載を丁寧に全部読む必要があることに気が付きました。
報告書Aでは出土土器の記載上の分類が50以上あるのです!(土師器坏、須恵器坏、土師器甕、須恵器甕、土師器甑、須恵器甑、土師器椀、須恵器椀、土師器高台付坏・・・須恵器小型鉢・・・須恵器短頸壺・・・灰釉陶器手付水注・・・三彩小壺・・・)
報告書Bの文章記載の土器分類と報告書Aの50以上ある分類の対応をとらなければ同じデータとして扱えません。
えらいことになりました。
報告書Aの50以上の土器分類について常識的な範囲で理解していたのですが、分類基準(専門家が使う基準)を正確に理解して報告書Aの土器分類について知ることが大切であることもわかりました。
報告書Aの50以上の分類を集約して、報告書Bの文章から読み取れる土器分類のレベルに合わせる作業も生まれました。
おかげで、主要土器分類毎の基本機能がなんであるのか(専門家がどのような機能上の差異に着目して形態区分しているのか)という問題意識を持つことができました。
しかし、思うような時間内に鳴神山遺跡の状況を知り、次の遺跡に検討を移動させたいという願望は中絶させられてしまいました。
奈良・平安時代の土器分類、土器の機能等について学習を深めたいと考えます。
また、この作業難渋状況の中で、出土した全土器量がその遺跡で使われた(その遺跡に持ち込まれた)全土器量に近いのではないかという仮説も生まれました。
もしそうであれば、土器の質・形式・墨書状況や総量から人口・生活レベル・生活様式等が遺跡間比較によりあぶり出せるに違いないと感じました。
なお、報告書Cの遺物記載方法も報告書Bと同じです。
報告書Cの遺物記載ページ例
報告書Cは全体の分量が少ない報告書です。
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