2015年12月8日火曜日

鳴神山遺跡の鉄鏃・刀子出土状況

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.240 鳴神山遺跡の鉄鏃・刀子出土状況

竪穴住居遺構を対象にして、鳴神山遺跡の鉄鏃と刀子の出土状況を見てみました。

鉄鏃は34遺構から合計48点、刀子は60遺構から合計95点出土しています。

竪穴住居合計に対する鉄鏃出土率は11.3%、刀子出土率は20%になります。

鳴神山遺跡 鉄鏃出土遺構

鳴神山遺跡 刀子出土遺構

鉄鏃は対人殺傷兵器であり、それ以外の使い道は考えられませんから、奈良時代の鳴神山遺跡では居住者の約1割が武装していた可能性があるとイメージします。

鳴神山遺跡は軍事兵站・輸送基地ですから居住者全員が軍属であったと考えますが、その場所に存在した鉄鏃は居住者に対する威圧や逃亡防止、倉庫荒らしに対する備えとして機能していたことは確実です。

刀子は対人殺傷兵器としての意味だけではなく、万能工具として生活の中で使われていたと考えます。刀子の分布が鉄鏃より広がっていることは、それが生活必需品であったことを物語っていると考えます。

対人殺傷兵器以外の使い道のない鉄鏃の出土分布から鳴神山遺跡の特徴的な場所を次にイメージしてみました。

鉄鏃出土遺構分布からみた特徴的な場所(イメージ)

Aには掘立柱建物群が存在し、寺院であったと考えています。
2015.10.23記事「鳴神山遺跡の墨書文字「寺」「佛」の分布」参照

この場所付近から鉄鏃が出土しないことは、逆にこの場所が武器による威圧を必要としない寺院域であったことを鉄鏃分布が物語っています。

Bは多量の打ち欠き墨書土器が出土する遺構が密集していて、生産活動の拠点であり、労働集団の祭祀の場所であったと考えられるゾーンです。

ここに鉄鏃が集中して出土することは労働集団の中に鉄鏃で武装した人間が含まれていたことを示していて、労働集団に対して 武器による威圧が存在していたことを暗示させます。

一方で墨書土器の風習を広めて文化的に感化し、酒宴を開いて土器の打ち欠きを行うとともに、一方で武器により威圧し、逃亡を防ぎ、場合によっては見せしめとして刃向かうものを殺傷していたのだと思います。

Cは政治拠点であった場所と想定しています。集中していませんが鉄鏃が出土しています。要人の警護などが想定されます。

Dは食糧倉庫群と想定している場所です。その倉庫警備兵が使ったと考える鉄鏃が出土します。

Eは被服倉庫群と想定している場所です。その倉庫警備兵が使ったと考える鉄鏃が出土します。

Fは生産生活活動拠点であった場所と想定しています。その場所に鉄鏃出土遺構が分布することから、住民に対する武器による威圧が日常的に必要な社会であったことが判ります。

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