2018年1月21日日曜日

竪穴住居環状焼土から出土した特殊遺物

大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 13

竪穴住居環状焼土堆積物から出土する特殊遺物について観察します。

1 環状焼土の堆積する竪穴住居
大膳野南貝塚後期集落では4軒の竪穴住居から、住居壁内側に沿って環状に分布する焼土堆積が検出されています。
焼土堆積内には多量の炭化物が含まれていて、さらに焼土堆積下の住居床面の一部は被熱により赤化しています。
4軒の竪穴住居は北貝層の称名寺式期竪穴住居(J34)と堀之内1式期竪穴住居(J63)、南貝層の称名寺式期竪穴住居(J104)と堀之内1式期竪穴住居(J105)であり、空間的(北貝層と南貝層)かつ時期的(集落最初期と集落発展ピーク期)に対応していることが着目されます。
また4軒ともに漆喰貝層有竪穴住居です。

環状焼土堆積のある竪穴住居

2 環状焼土堆積から出土する特殊遺物
発掘調査報告書では特殊遺物としてJ34の大型石棒、J63の鹿骨製垂飾、J105の鯨骨製骨刀をあげていますが、J104の注口土器も重要な特殊遺物であると考えられ、この記事で追加します。
これらの焼土および特殊遺物については、何らかの重要な廃屋儀礼(住居廃絶後の火入れ行為等)にともなうものと考えられ、その住居の主が集落のなかで何らかの枢要な役割を果たしていたことを暗示しています。

竪穴住居環状焼土堆積から出土した特殊遺物 J34 J63 J105

竪穴住居環状焼土堆積から出土した遺物 J104

これらの特殊遺物のうちJ34の大型石棒、J105の鯨骨製骨刀、J104の注口土器は祭祀行為と深くかかわる遺物であると考えられることから環状焼土堆積のある竪穴住居の主は祭祀面においても集落を率いていた可能性が濃厚です。住居の主はシャーマンだった可能性が濃厚です。

3 鯨骨製骨刀の出土遺跡
鯨骨製骨刀の出土は全国的に見ても珍しく、関東では大膳野南貝塚が初例です。
発掘調査報告書では北海道と東北の4例をあげ、いずれも縄文時代後期初頭~前葉であり、時期的には大膳野南貝塚と近いとしています。また「本州北半の太平洋岸域、特に仙台湾沿岸地域からの伝播が考えられるであろう。」と記述しています。

鯨骨製骨刀出土遺跡
大膳野南貝塚出土鯨骨製骨刀が東北から運ばれてきたものであるとするならば、東北縄文人と千葉縄文人の交流が行われていた証拠になります。関東と東北の貝塚を形成する縄文人(漁猟従事縄文人)が鯨を追ってお互いのテリトリーまで到達していたのかもしれません。
また、大膳野南貝塚の縄文人が東京湾だけでなく九十九里(太平洋)に出ていた可能性も検討対象になります。



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