3D distribution of Atamadai-style and Nakabyo-style pottery in valley head
Observing the 3D distribution of Atamadai-style and Nakabyo-style pottery on the north slope of the Ariyoshi Kita Shell Mound. In this article, I observed the state of the valley head. Nakabyo-style pottery was dumped from the upper part of the valley head towards the bottom of the valley, and the action remains physically on the steep slope.
有吉北貝塚北斜面貝層の阿玉台式・中峠式土器の3D分布を観察しています。この記事では谷頭部の様子を観察しました。中峠式土器が谷頭上部から谷底に向かって投棄され、その行為が急斜面に物的に残っています。
1 谷頭部の位置
谷頭部の位置は次図に示す通りであり、ガリー侵食の急崖が台地面に立地する竪穴住居群に迫っています。
谷頭部の位置
2 中峠式土器61(赤)と141(青)の3D分布
中峠式土器61(赤)と141(青)の3D分布赤立方体:61土器(中峠式)の破片
青立方体:141土器(中峠式)の破片
白立方体:阿玉台式土器及び中峠式土器の破片
立方体の大きさは0.3m×0.3m×0.3m
白線は谷頭部縁取線及び貝層断面図基底線
61土器と141土器分布の立面投影
3D distribution of Nakabyo pottery 61 (red) and 141 (blue)
Red cube: Fragment of 61 pottery (Nakabyo-style)
Blue cube: Fragment of 141 pottery (Nakabyo-style)
White Cube: Fragment of Atamadai-style and Nakabyo-style pottery
The size of the cube is 0.3m x 0.3m x 0.3m
The white line is the border line of the valley head and the base line of the cross section of the shell layer.
「中峠式土器61(赤)と141(青)の3D分布」画像
3 メモ(観察と考察)
3-1 61土器は谷頭上部から谷底に向かった投棄された
61土器は谷頭部急斜面に堆積破片が7点直線状に分布し、その延長約9m、比高4.5mになります。水平面に対する角度は34度です。傾斜34度の急斜面の崖の上から61土器が投げ込まれ、砕けながら散らばった様子として観察することができます。
Blender3D空間で角度を計測している様子
3-2 中峠式期には谷頭上部から貝が投棄され、斜面に混貝土層が形成されていた
最上位の破片は貝層(混貝土層)が堆積する範囲外の急斜面部土層から、それ以外は急斜面を埋めて堆積する貝層(混貝土層)から出土します。この事象から、中峠式期にはすでに谷頭最上部から投棄される貝によって急斜面に広範囲に貝と崩れ落ちる土が混じった混貝土層が生成していたことが判ります。
3-3 ガリー侵食による谷頭急斜面後退は緩やかだった
中峠式期土器と混貝土層が急斜面で出土することは、この急斜面(ガリー侵食による急斜面)がすくなくとも中峠式期以降には侵食されていないことを証明します。つまり、61土器出土付近の斜面は、中峠式期以降「ガリー侵食が発達して急崖が後退した」という現象を否定します。
谷頭急斜面において最も侵食が激しい付近は、地形の様子から61土器破片が並ぶ付近と一致するように観察できます。従ってガリーによる谷頭浸食は中峠式期以降は低調であったと考えることができます。この考えは下流貝層断面に谷頭浸食に起因する土砂層がほとんど見られないこととも整合します。
3-4 仮説 谷頭からの貝投棄による混貝土層生成がガリー侵食を抑制した
「ガリー侵食による谷頭急斜面後退は緩やかだった」という事象は混貝土層がガリー侵食を抑制したからであると捉えることが出来る可能性があります。貝片を混ぜた土材料は現代土木でも難侵食材料として使われます。縄文人による長期にわたる貝投棄が結果としてガリー侵食拡大防止に役立った可能性に着目する必要があります。
3-5 谷頭から投棄された土器は流水で下流に運ばれた
141土器は急斜面に堆積する混貝土層から1点の破片が、12m程下流に別の1点の破片が出土します。なお、下流の1点はガリー流路堆積層のかなり上部(混土貝層)から出土していて、加曽利EⅡ式土器がその層位より下位から出土しています。この事象から、下流1点は加曽利EⅡ式期以降に流水により運ばれたものであることが確認できます。つまり、141土器破片分布は人の手でばら撒かれたもので無いことが証明されます。
141土器(中峠式)と227土器(加曽利EⅡ式)の出土層位(貝層断面6)
【解説】加曽利EⅡ式土器が集中投棄された直後以降に純貝層(ピンク)が堆積したと想定しています。その想定と断面図6付近の227土器出土層位は矛盾しないように観察できます。しかし加曽利EⅡ式土器よりおよそ350年前の土器型式である中峠式土器141土器が層位最上層付近に出土します。これは、141土器が最初に投棄されて堆積してから以降の350年間にガリー流路で侵食と堆積の繰返しがあり、つまり流水による撹乱が継続して行われ、一見すると矛盾するような事象が生み出されたと考えます。
3-6 過去記事における想定(仮説)「土器破片はばら撒かれた」は間違い
過去記事(例 2022.09.29記事「土器破片出土場所推測結果の検証と推測方法の改良」など)において、土器破片は現場で破壊されてその破片は意図して広域にばら撒かれたとの想定を仮説して検討してきました。しかしこの想定(仮説)は詳細データ観察のなかで間違いであることが判明しました。従って想定(仮説)「土器破片はばら撒かれた」の役割は終わりましたので、棄却します。
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