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2021年10月29日金曜日

大小の土製耳飾の3Dモデル観察

 加曽利貝塚博物館で開催中の特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されている大小12点の土製耳飾(ピアス)の3Dモデルを作成観察して感想をメモしました。

1 土製耳飾(ピアス) (市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

土製耳飾(ピアス) (市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

縄文後晩期

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.10.07


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.010 processing 87 images


3Dモデルの動画

2 観察とメモ

2-1 大きさ

3Dモデルから直径と高さ(幅)を計測しました。


直径と高さ

最小のものは直径5.3㎜、高さ(幅)6.1㎜、最大のものは直径65.5㎜、高さ(幅)16.3㎜です。

最小のものを少年少女期に耳朶に穴を開けて差し込み、年齢がたつに従って徐々に大きな耳飾をつけて耳朶を広げ、最後は耳の大きさに匹敵あるいはそれ以上の耳飾をつけたのだと思います。ちなみに私の耳の鉛直方向の長さは65㎜です。私が直径65.5㎜の耳飾をつければ正に耳の大きさが鉛直方向で2倍になります。

次の図は千葉市内野第一遺跡出土縄文後晩期の耳飾の大きさのグラフで、少年少女期、青年期、壮年熟年に仮説として対応させたものです。この遺跡では耳飾の最も大きいものは直径は80㎜以上ありました。


参考 千葉市内野第一遺跡出土縄文後晩期耳飾の大きさ別出土数

2020.09.15記事「内野第1遺跡土製耳飾119点の最大直径別頻度分布

2-2 模様

展示耳飾12点の模様をみると凝った模様のあるもの、簡素な模様のあるもの、模様のないものに分けてみることができます。最大直径のものは凝った模様になっていますが、2番目に大きなものの模様は比較的単純です。この12点だけで必ずしも明瞭ではありませんが、千葉市内野第一遺跡出土縄文後晩期耳飾では小さいもの(少年少女用)、中ぐらいのもの(青年用)、大きなもの(壮年熟年用)にそれぞれ装飾性高・中・低のものがあります。このことから、内野第一遺跡では家柄や身分などの階層が存在していて、それぞれの家柄・身分に応じてに装飾性高・中・低を使っていたと想像しました。


参考 千葉市内野第一遺跡 大きな耳飾の装飾性


参考 千葉市内野第一遺跡 中程度と小さな耳飾の装飾性

祇園原貝塚の耳飾文様も出土情報を悉皆的に詳しく分析すると内野第一遺跡と同じような結果が出るかもしれません。

2020.09.12記事「縄文後晩期土製耳飾に関する問題意識

2020年12月30日水曜日

有吉北貝塚 前期土製耳飾

 縄文社会消長分析学習 66

有吉北貝塚前期土製耳飾について学習しました。

1 前期の土製耳飾

有吉北貝塚の前期遺物として11点の土製耳飾が出土しています。すべて玦状耳飾です。


前期土製耳飾実測図

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用。

2 前期土製耳飾分布図

遺構番号を手がかりに前期土製耳飾出土場所の分布図を作成しました。


有吉北貝塚 前期 土器埋設 土坑 土製耳飾 土器分布(2D)


有吉北貝塚 前期 土器埋設 土坑 土製耳飾 土器分布(3D)

南貝層斜面から6点、台地面とその周辺から3点、北貝層斜面から2点出土しています。前期遺構はほとんどすべて中期遺構で上書きされ消滅していますので、土製耳飾もほとんどが中期に人為的に移動したものであり、その分布から有用情報を汲み取ることは困難です。

3 ブロック分割番号を利用した分布図の作成

前期土製耳飾の出土位置は次の遺物表掲載遺構番号欄情報から知ることができます。

前期土製耳飾の遺物表

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用

11点遺物のうち遺構番号→発掘調査報告書貼付図面からその位置が判るものは2点あります。

他の9点はグリッド分割番号からその位置が判ります。グリッド分割番号からその位置を視認してGISにプロットするために、次の作業補助資料を作成しました。


3腫のグリッド分割図

GISのレイヤーとして基本・北斜面貝層・南貝層斜面グリッド分割図を貼り付けました。


視認補助資料

基本・北斜面貝層・南貝層斜面グリッド分割図における番号特定のための視認補助資料(手持ち資料)を作成しました。

この資料作成により今後の発掘調査報告書解読分析がかなり緻密になると期待します。場所の正確な確認は省略して読み進むという弊害が除去されることになります。


2020年9月15日火曜日

内野第1遺跡土製耳飾の最大直径別出土数と装飾性との関係

 縄文土器学習 467

2020.09.15記事「内野第1遺跡土製耳飾119点の最大直径別頻度分布」のつづきです。

1 実測図による装飾性分級

発掘調査報告書では土製耳飾を6群31類に分類していますが、この記事では土製耳飾の全体像をざっくり知ることが目的ですので、最大直径区分別実測図集成を見ながら、次のような装飾性分級を行いました。

●最大直径1.0~3.4㎝(少年少女)

装飾性高…有文のもの

装飾性中…無文で中央部穿孔のあるもの

装飾性低…無紋で中央部穿孔のないもの

●最大直径3.5~5.9㎝(青年)

装飾性高…円形で全面有文のもの

装飾性中…環形で有文のもの

装飾性低…円形または環形で無文のもの

●最大直径6.0~8.4㎝(壮年熟年)

装飾性高…滑車形で有文のもの

装飾性中…環形で有文のもの

装飾性低…円形または環形で無文のもの

最大直径1.0~3.4㎝(少年少女)装飾性分級


最大直径3.5~5.9㎝(青年)装飾性分級


最大直径6.0~8.4㎝(壮年熟年)装飾性分級

2 装飾性差異の意味

最大直径区分(=世代区分)のそれぞれに装飾性高のもの、中のもの、低のものが出現します。つまり、各世代ともに装飾性という観点でいうと明白な差異が存在していることがわかります。

装飾性の高中低という差異はその耳飾を装着していた人の社会階層に対応していると想定します。

装飾性高の耳飾を装着していた少年少女・青年は集落のなかで高位のポジション、指導的ポジション、祭祀執行的ポジションにある家柄出身である考えます。その耳飾を装着していた壮年熟年は実際に高位的、指導的、祭祀執行的な人物であったと考えます。

装飾性中の耳飾を装着していた少年少女、青年、壮年熟年は集落の一般住民であったと考えます。

装飾性低の耳飾を装着していた少年少女、青年、壮年熟年は集落の中で下層で劣位な立場の住民であったと考えます。

3 最大直径区分別の装飾性分級

最大直径区分別(=世代区分別)の装飾性分級をグラフで示すと次のようになります。


最大直径区分別(=世代区分別)の装飾性分級

少年少女(~3.4㎝)と青年(3.5~5.9㎝)のグラフパターンは極端に違いません。しかし壮年熟年になると少年少女や青年と比べて、装飾性中の数が増えます。

この関係をより分かりやすく知るために、各世代ごとに装飾性高中低の割合を見てみました。


最大直径区分別(=世代区分別)の装飾性分級(割合)

少年少女や青年と比べて、壮年熟年になると装飾性中の割合が増え、装飾性低と高が減少します。

この現象は後晩期の階層性が強まった縄文社会の様子を伝えているものとして興味を持ちます。

4 世代区分別に装飾性分級の割合が変化する理由

現時点では次のような状況を空想します。

【装飾性低装着の人々】

・装飾性低の耳飾を装着していた人々は社会下層に位置付けられていた。その社会位置を示すものとして装飾性低の耳飾装着を義務付けられていた。

・社会下層の人々はそれ以外の人々と比べ食糧事情など生活環境が劣悪であり、また危険や不衛生な仕事に携わる機会も多く死亡率が高かった。

・さらに犠牲(人身御供など)が必要な場合は社会下層の人々が主にその対象となった。

・したがって少年少女では装飾性低は一番割合が多いが、青年になると少なくなり、壮年熟年ではさらに割合が減少し、少年少女の半分近くになる。

【装飾性中装着の人々】

・装飾性中の耳飾を装着していた人々は社会の中核をなす人々つまり一般住民であり、その社会位置を示すものとして装飾性中の耳飾装着を義務付けられていた。

・装飾性低や高の耳飾を装着する人々(下層民、指導層)の死亡率が高いため、壮年熟年になると相対的に一般住民の割合が増える。

【装飾性高装着の人々】

・装飾性高の耳飾を装着していた人々は集落の中で高位的、指導的、祭祀執行的な立場にある上層民であり、一言で特徴づければシャーマンとその家族であった。シャーマンは装飾性高の耳飾装着が義務付けられていた。

・シャーマンは霊力を失ったときには殺されたりしたため寿命が短かった。そのため壮年熟年になるとその数が減少した。

内野第1遺跡土製耳飾119点の最大直径別頻度分布

 縄文土器学習 466

2020.09.12記事「縄文後晩期土製耳飾に関する問題意識」で、土製耳飾に大中小があり、それは装着年齢を表していますが、それぞれに装飾性の高いものから低いものまであることを直観しました。この直観が正しければ、土製耳飾出土情報が社会階層性存在の明瞭な指標となっているかもしれないと考え、大いに興味を持ちました。そこで、発掘調査報告書データを直接いじくって、最大直径データ(=年齢相関データ)と装飾性分級との関係について簡易な分析をしてみました。

この記事では最大直径別出土数について集計しました。

1 土製耳飾119点の最大直径頻度分布とその解釈

発掘調査報告書で最大直径(㎝)としている数値は耳飾が断片であっても円形と仮定して求めている仮想完成形の直径であると考えられます。したがって、この最大直径の数値をそのまま利用して、その頻度分布を0.5㎝刻みで求めてみました。

なお、出土119点のうち最大直径記載のないもの3点を除いて分析しました。


千葉市内野第1遺跡 土製耳飾最大直径別出土数

この頻度分布図を次のように解釈します。

・1.0~3.4㎝では1.5~1.9㎝をピークとした山形分布をしています。この分布は少年少女が最初に耳たぶに穴を開け小さな耳飾を装着した様子を表現していると考えます。

・3.5~5.9㎝ではピークが存在しない平滑な分布がみられます。これは青年期に至った人々が耳たぶに開けた穴を順次拡大して少しづつ大きな耳飾りに取り換えている様子を表現していると考えます。

・6.0~8.4㎝では6.0~7.4㎝が大きなピークとなっています。これは壮年熟年に至った人々の耳たぶ穴の大きさの限界を示していると考えます。

この解釈の様子を色分けして示すと次のようになります。


土製耳飾最大直径と世代との関係イメージ

最大直径区分別(=世代別)の出土数は次のようになります。


土製耳飾最大直径区分別(=世代別)の出土数

この数値は世代別人口に比例していると考えられるので、興味が湧きます。つまりこのグラフは世代別人口構成比がイメージできるグラフです。

少年少女(10~16歳くらい?)と青年(17~22歳くらい?)の人口は変化は見られません。壮年・熟年(23歳以上)になると数値は大きくなりますが、その増加割合は控えめであり、寿命の短さを暗示しています。

青年の期間を17~22歳の6年間として、その期間の土製耳飾出土数35から、機械的に按分比例で壮年熟年の期間を求めてみると約8年となり、寿命は30歳ということになります。超ラフな思考ではありますが、生データから内野第1遺跡平均寿命をイメージできたことは楽しいことです。

2 最大直径区分別(=世代別)実測図集成

最大直径区分別(=世代別)に土製耳飾実測図を集成しました。

実際の作業は次の通りです。

発掘調査報告書実測図スキャン→Photoshopで個々の実測図切り抜きファイル化→最大直径区分別フォルダーにファイル収納


最大直径1.0~3.4㎝(少年少女)実測図集成


最大直径3.5~5.9㎝(青年)実測図集成


最大直径6.0~8.4㎝(壮年熟年)実測図集成

次にこの実測図集成を使って装飾性分級を行うことにします。(つづく)

2020年9月12日土曜日

縄文後晩期土製耳飾に関する問題意識

 縄文土器学習 464

千葉市埋蔵文化財調査センターに展示されている4点の土製耳飾について3Dモデルをつくり観察しました。マジマジと縄文耳飾を観察し、耳飾は何が問題なのか考えたのは極端に言えば生まれて初めてです。

2020.09.11記事「縄文後晩期土製耳飾2点の3Dモデル

2020.09.02記事「縄文後期終末土製耳飾2点の3Dモデル

この4点の展示耳飾の実測図を発掘調査報告書で探してブログ記事に引用する作業をする中で、千葉市内野第1遺跡の耳飾実測図掲載5ページと一覧表4ページを何回も見て、スキャンなどもしました。

内野第1遺跡出土の土製耳飾は全部で119点あります。

ふと気が付くと、次のような問題意識が自分の思考に生まれましたのでメモします。

1 土製耳飾は大中小が存在する。

土製耳飾は直径1.5㎝程度の小さいもの、直径5㎝程度の中程度のもの、直径7㎝程度の大きなものまで大中小の大きさの異なるものが出土します。

おそらく小さなものは少年少女が初めて耳たぶに穴を開けてその穴にはめ込んだ最初の土製耳飾であると考えられます。

その後人々は耳たぶの穴を広げる努力をして青年期頃(結婚適齢期頃?)には中程度の土製耳飾を耳に装着していたと考えます。

そして壮年期・熟年期になると最大の大きさの土製耳飾を耳に装着していたと考えます。

つまり土製耳飾の直径の大きさはそれを装着する人の年齢に対応すると考えられます。

2 土製耳飾大中小ともに装飾性が高いものから低いものまで存在する

土製耳飾大中小ともに装飾性が高いもの、中程度のもの、低いものが存在します。


大きな耳飾(壮年・熟年用?)の装飾性


中程度(青年用?)と小さな(少年少女用?)耳飾の装飾性

3 家柄(世襲的血統)による階層の存在か

大中小の各大きさともに装飾性の差別化があるという事実から否が応でも土製耳飾に対する強い興味が生まれます。

少年少女、青年、壮年・熟年ともに3段階の装飾性差別化があるということは、家柄(世襲的血統)による明確な階層が内野第1遺跡に存在していたことを物語っているのではないかという問題意識が生まれます。

「耳飾とは家柄(世襲的血統)を示すサインであり、内野第1遺跡社会は明瞭な階層社会であった」という学習上の作業仮設を設定し、その検証を学習プロセスの中に組み込みたいと思います。

4 内野第1遺跡出土土製耳飾119点の分類

内野第1遺跡出土土製耳飾119点の分類を統計的手法を使って行い、大きさと装飾性の関係を定量的に把握してみることを当座、臨時的に寄道学習することにします。

2020年9月11日金曜日

縄文後晩期土製耳飾2点の3Dモデル

 縄文土器学習 463

千葉市埋蔵文化財調査センターに展示されている縄文後晩期土製耳飾2点について3Dモデルを作成して観察しました。2020.09.02記事「縄文後期終末土製耳飾2点の3Dモデル」で観察した土製耳飾と一緒に展示されているものです。

1 縄文時代後晩期土製耳飾(千葉市内野第1遺跡)2点 観察記録3Dモデル

縄文時代後晩期土製耳飾(千葉市内野第1遺跡)2点 観察記録3Dモデル

右:番号113、最大長5.0㎝、最大厚1.5㎝、重量31.9g、刻目列、刻目瘤 

左:番号83、最大長5.3㎝、最大幅0.8㎝、最大厚2.3㎝、重量33.1g、刻目瘤、沈線 

撮影場所:千葉市埋蔵文化財調査センター 

撮影月日:2020.08.20 

ガラス面越し撮影 

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v5.007 processing 39 images


展示の様子


展示の様子 特殊モード写真


右:番号113の実測図

千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書から引用


左:番号83の実測図

千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書から引用


3Dモデルの動画

2 メモ

・この二つの耳飾は直径5㎝、重量30g程度です。これを耳たぶに装着すればかなり強い印象を与えることができます。2020.09.02記事「縄文後期終末土製耳飾2点の3Dモデル」で観察した耳飾は直径7㎝、重量50g程度になります。これらの耳飾を付けた縄文人を現代人が見れば「美しい」という印象ではなく「恐ろしい」という威圧感を感じるに違いありません。

・縄文中期遺跡から出土する耳飾りは別のタイプで小さなもので、出土量もわずかです。

・縄文後晩期における土偶祭祀と耳飾りの盛行は、石棒祭祀や抜歯習俗、入れ墨習俗と一連の社会現象で、その根は同じ外来「排他的新興宗教」みたいなものから派生していると想像します。中期に大陸から伝来した地母神殺害再生神話が後期に異常な展開をして、社会ががんじがらめになってしまったと考えます。

・後晩期女性縄文人は耳たぶに穴を開けて徐々に大きくして、年齢とともに大きな耳飾を付け、現代人からみると「苦痛に耐えることが生きること」という幸福でない人生を送っていたと考えます。

2020年9月2日水曜日

縄文後期終末土製耳飾2点の3Dモデル

 縄文土器学習 462

千葉市埋蔵文化財調査センターに展示されている大型の縄文後期終末土製耳飾2点について3Dモデルを作成して観察しました。

1 縄文後期終末土製耳飾(千葉市内野第1遺跡)2点 観察記録3Dモデル

縄文後期終末土製耳飾(千葉市内野第1遺跡)2点 観察記録3Dモデル

右:番号34、最大長7.2㎝、最大幅5.6㎝、最大厚2.2㎝、重量40.2g、刻目列、刻目瘤

左:番号36、最大長7.0㎝、最大幅5.2㎝、最大厚2.1㎝、重量58.7g、刻目列、刻目瘤

撮影場所:千葉市埋蔵文化財調査センター

撮影月日:2020.08.20

ガラス面越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v5.006 processing 44 images


展示の様子


展示の様子 特殊モード撮影


右:番号34の実測図

千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書から引用


左:番号34の実測図

千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書から引用


3Dモデルの動画


3Dモデルの動画(ソリッドタイプ)

2 メモ

・耳たぶに穴をあけ、徐々に広げていき、この大きさの耳飾をはめ込むまでには長年月がかかると想像します。

・耳たぶの強度がこの耳飾を支えるだけあること自体が想像できません。

・体の振動により耳たぶが切れるリスクがあるような気がしますので、実際にこの耳飾を装着するのは限られた祭祀の時だけだと空想します。

・この大型の耳飾は経験を積んだ女性リーダー格が装着していたと想像します。