2020年9月11日金曜日

縄文後晩期土製耳飾2点の3Dモデル

 縄文土器学習 463

千葉市埋蔵文化財調査センターに展示されている縄文後晩期土製耳飾2点について3Dモデルを作成して観察しました。2020.09.02記事「縄文後期終末土製耳飾2点の3Dモデル」で観察した土製耳飾と一緒に展示されているものです。

1 縄文時代後晩期土製耳飾(千葉市内野第1遺跡)2点 観察記録3Dモデル

縄文時代後晩期土製耳飾(千葉市内野第1遺跡)2点 観察記録3Dモデル

右:番号113、最大長5.0㎝、最大厚1.5㎝、重量31.9g、刻目列、刻目瘤 

左:番号83、最大長5.3㎝、最大幅0.8㎝、最大厚2.3㎝、重量33.1g、刻目瘤、沈線 

撮影場所:千葉市埋蔵文化財調査センター 

撮影月日:2020.08.20 

ガラス面越し撮影 

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v5.007 processing 39 images


展示の様子


展示の様子 特殊モード写真


右:番号113の実測図

千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書から引用


左:番号83の実測図

千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書から引用


3Dモデルの動画

2 メモ

・この二つの耳飾は直径5㎝、重量30g程度です。これを耳たぶに装着すればかなり強い印象を与えることができます。2020.09.02記事「縄文後期終末土製耳飾2点の3Dモデル」で観察した耳飾は直径7㎝、重量50g程度になります。これらの耳飾を付けた縄文人を現代人が見れば「美しい」という印象ではなく「恐ろしい」という威圧感を感じるに違いありません。

・縄文中期遺跡から出土する耳飾りは別のタイプで小さなもので、出土量もわずかです。

・縄文後晩期における土偶祭祀と耳飾りの盛行は、石棒祭祀や抜歯習俗、入れ墨習俗と一連の社会現象で、その根は同じ外来「排他的新興宗教」みたいなものから派生していると想像します。中期に大陸から伝来した地母神殺害再生神話が後期に異常な展開をして、社会ががんじがらめになってしまったと考えます。

・後晩期女性縄文人は耳たぶに穴を開けて徐々に大きくして、年齢とともに大きな耳飾を付け、現代人からみると「苦痛に耐えることが生きること」という幸福でない人生を送っていたと考えます。

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