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2021年12月17日金曜日

ミニチュア土器の3Dモデル観察

 3D model observation of miniature pottery


We observed 7 miniature pottery exhibited at the Kasori Shellmound Museum special exhibition with a 3D model. Miniature pottery is a rare Jomon period "second tool" that survived the Yayoi period.


加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されていたミニチュア土器7点を3Dモデルで観察しました。ミニチュア土器は弥生古墳と生き残った稀な縄文時代「第二の道具」です。

1 ミニチュア土器7点(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル 7 miniature pottery

ミニチュア土器7点(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル 7 miniature pottery

縄文時代後晩期

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.12.02


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

実寸法付与

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.010 processing 86 images

7 miniature pottery (Neda Gionbara shell mound, Ichihara city) Observation record 3D model

Late-Final Jomon period

Location: Kasori Shellmound Museum Special Exhibition "-Designated as a historic site in Ichihara City-Gionbara Shell Mound, Jomon village that lasted for a thousand years"

Shooting date: 2021.12.02

Shooting through a glass showcase

Give actual dimensions

Generated with 3D model photogrammetry software 3DF Zephyr v6.010 processing 86 images


3Dモデルの動画

2 メモ

2-1 大きさ

実寸法を付与した3Dモデルから7点のミニチュア土器寸法を計測しました。


ミニチュア土器の寸法


参考 オルソ投影 上から


参考 オルソ投影 正面

小林達雄編「総覧縄文土器」の「ミニチュア土器」(菅野和郎)ではミニチュア土器を口径・最大径とも10㎝以内におさまるものと規定していますが、7点はほぼその範囲におさまります。

2-2 手抉(たくじり

縄文時代ミニチュア土器は神への供え物容器として使うなどの祭器(「第二の道具」)であったと考えられます。ミニチュア土器は供え物とはいえ実用的機能を備えていることから「第二の道具」としては稀なこととして、弥生古墳へと生き残って使われていきました。日本書紀にも手抉(たくじり)として登場します。

精選版日本国語大辞典「手抉(たくじり)」

〘名〙 古代に、土をまるめて指先でその中をくじりくぼめて作った粗末な土器。神前への供え物を盛ったものか。

※書紀(720)神武即位前戊午年九月「天の手抉八十枚〈手抉、此をば多衢餌離(タクジリ)と云ふ〉」

次の小型甕は2011年8月千葉市埋蔵文化財調査センターで閲覧した千葉市花見川区子和清水遺跡古墳時代住居出土遺物ですが、その大きさから供献用土器と考えられています。


千葉市花見川区子和清水遺跡古墳時代住居出土小型甕(千葉市埋蔵文化財調査センター所蔵)


実測図 発掘調査報告書から引用

10年前はこの供献用土器のルーツがはるか縄文時代まで遡るとの知識はありませんでした。今再びこの古墳時代供献用土器観察をふりかえると、縄文時代学習が弥生時代古墳時代学習にとっても必須であることがよく理解できます。

2011.09.19記事「子和清水遺跡の出土物閲覧6




2021年12月16日木曜日

ゴカイ棲管製垂飾の観察

 Observation of Polychaeta burrow decoration


I observed the Polychaeta burrow decoration exhibited at the Kasori Shellmound Museum special exhibition with a 3D model. I think that Polychaeta were not only delicious as food, but also effective as fishing bait. Therefore, I imagined that the Jomon people loved Polychaeta by making burrow decorations.


加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されていたゴカイ棲管製垂飾を3Dモデルで観察しました。ゴカイが食料であり美味しかった(珍味?)のでその棲管がペンダントにつかわれたのだと想像しました。

1 ゴカイ棲管製垂飾(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル Polychaeta burrow decoration

ゴカイ棲管製垂飾(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル Polychaeta burrow decoration

縄文時代後晩期

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.12.02


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.010 processing 92 images

Polychaeta burrow decoration (Neda Gionbara shell mound, Ichihara city) Observation record 3D model

Late Jomon period

Location: Kasori Shellmound Museum Special Exhibition "-Designated as a historic site in Ichihara City-Gionbara Shell Mound, Jomon village that lasted for a thousand years"

Shooting date: 2021.12.02

Shooting through a glass showcase

Generated with 3D model photogrammetry software 3DF Zephyr v6.010 processing 92 images


3Dモデルの動画

2 メモ

展示製品は棲管の一部を切り取っているだけのようです。表面に見える模様や凹凸は人工ではなく自然のようにみえます。

現代人からみると美しさとか、珍しさなどを感じることが少ないゴカイ棲管を垂飾(ペンダント)にした理由を次のように想像します。

ア ゴカイを食料として、おそらく珍味のような食べ物として珍重していた。

イ 現代と同じようにゴカイを釣りの餌として使っていて、魚がよく釣れる餌として重宝していた。

ウ アとイから、ゴカイは生活にとって重要な生き物であると考え、その棲管で垂飾(ペンダント)をつくり、ゴカイ愛を深めた。

webを検索して、ベトナムや中国でゴカイを使った料理があることを知りました。


2021年10月29日金曜日

大小の土製耳飾の3Dモデル観察

 加曽利貝塚博物館で開催中の特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されている大小12点の土製耳飾(ピアス)の3Dモデルを作成観察して感想をメモしました。

1 土製耳飾(ピアス) (市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

土製耳飾(ピアス) (市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

縄文後晩期

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.10.07


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.010 processing 87 images


3Dモデルの動画

2 観察とメモ

2-1 大きさ

3Dモデルから直径と高さ(幅)を計測しました。


直径と高さ

最小のものは直径5.3㎜、高さ(幅)6.1㎜、最大のものは直径65.5㎜、高さ(幅)16.3㎜です。

最小のものを少年少女期に耳朶に穴を開けて差し込み、年齢がたつに従って徐々に大きな耳飾をつけて耳朶を広げ、最後は耳の大きさに匹敵あるいはそれ以上の耳飾をつけたのだと思います。ちなみに私の耳の鉛直方向の長さは65㎜です。私が直径65.5㎜の耳飾をつければ正に耳の大きさが鉛直方向で2倍になります。

次の図は千葉市内野第一遺跡出土縄文後晩期の耳飾の大きさのグラフで、少年少女期、青年期、壮年熟年に仮説として対応させたものです。この遺跡では耳飾の最も大きいものは直径は80㎜以上ありました。


参考 千葉市内野第一遺跡出土縄文後晩期耳飾の大きさ別出土数

2020.09.15記事「内野第1遺跡土製耳飾119点の最大直径別頻度分布

2-2 模様

展示耳飾12点の模様をみると凝った模様のあるもの、簡素な模様のあるもの、模様のないものに分けてみることができます。最大直径のものは凝った模様になっていますが、2番目に大きなものの模様は比較的単純です。この12点だけで必ずしも明瞭ではありませんが、千葉市内野第一遺跡出土縄文後晩期耳飾では小さいもの(少年少女用)、中ぐらいのもの(青年用)、大きなもの(壮年熟年用)にそれぞれ装飾性高・中・低のものがあります。このことから、内野第一遺跡では家柄や身分などの階層が存在していて、それぞれの家柄・身分に応じてに装飾性高・中・低を使っていたと想像しました。


参考 千葉市内野第一遺跡 大きな耳飾の装飾性


参考 千葉市内野第一遺跡 中程度と小さな耳飾の装飾性

祇園原貝塚の耳飾文様も出土情報を悉皆的に詳しく分析すると内野第一遺跡と同じような結果が出るかもしれません。

2020.09.12記事「縄文後晩期土製耳飾に関する問題意識

2021年10月26日火曜日

アホウドリ骨製垂飾の3Dモデルによる観察

 加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されているアホウドリ骨製垂飾について2021.10.12記事「アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)」で「アホウドリの雄大な飛翔力(霊力)を自分に取り込む」という観念が働いていたと考えました。この垂飾の3Dモデルを作成して詳しく観察しました。刻印が付いていることに気が付きました。

1 アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.10.14


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.010 processing 57 images


3Dモデルの動画

2 観察

2-1 サイズ

ショーケースの前にスケール(ファイバー製折尺)をおいて3Dモデルの中にスケールを取り込み、アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)のサイズを計測しました。


アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)

現代ご婦人が着装するペンダントトップとほぼ同じくらいの大きさです。

2-2 浅い溝と刻印


浅い溝と刻印

3Dモデルで観察すると両端に近い場所に浅い溝があります。ここに紐を結び首からかけたものと推察できます。

深い刻印が2つ、浅い刻印が3つあります。ペンダントを首にかけた時、この刻印が正面に見えるようになります。

骨の厚さは0.8㎜ですから、深い刻印を石器等で刻むとき骨を貫通しないような微妙な手加減が必要となり、かなり意識を集中する作業になったことと推察します。

2-3 刻印の意味

刻印について最初は別のモノ(Y字型などの何か)をこの垂飾に付けた跡かもしれないと考えました。しかし、別のモノを付ける(縛る)とこのアホウドリ骨はあまり見えなくなってしまいます。そもそも市原ではアホウドリは獲れなかったと考えられます。このアホウドリの骨は南房総海洋をテリトリーとしている縄文人から入手した貴重で特別な霊力を帯びたものです。従って垂飾としてこの骨を骨として見せるような使いかたをしたと考えるのが順当です。従って、刻印はそれ自体に意味があるに違いありません。呪的意味のある模様(記号)であると想像します。この1点だけをいくら見つめても、残念ながらそれ以上に考えは深まりませんでした。

2021年10月18日月曜日

垂飾(ペンダント)スタンプ状土製品(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

 加曽利貝塚博物館で開催中の特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されている垂飾(ペンダント)スタンプ状土製品の3Dモデルを作成して観察して感想をメモしました。

1 垂飾(ペンダント)スタンプ状土製品(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

垂飾(ペンダント)スタンプ状土製品(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

縄文後晩期

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.10.07


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.009 processing 71 images


3Dモデルの動画

2 感想

「判面」が白っぽく、握りの部分が黒くなっています。黒い部分が本来のこの土製品の色で、白っぽい部分は被熱の結果ではないかと推定します。

この1製品だけの特徴でスタンプ状土製品が何を目的とするものか判断するのは冒険であるといえます。しかしせっかくですから冒険して楽しむことにします。

このスタンプ状土製品は炉で「判面」を熱して皮膚に押し付けて火傷を起こし、結果として模様のある瘢痕傷身(盛り上がった傷跡…ケロイド)を生じさせる身体変工の道具であると想像します。イレズミだけでなく瘢痕傷身(盛り上がったケロイド)が一緒に行われることは未開社会では極一般的です。


展示説明写真

展示説明写真の例をよく見ると、「判面」模様パターンが幾つかに分類できて「系統」があるような印象を受けます。スタンプによる瘢痕傷身は集落とか家族とかの小グループの識別の意味があるのかもしれません。あるいは大きな火傷に耐えるだけの資質を証明する印であり、つまりリーダー(=社会的地位の高さ)の印としての瘢痕であったのかもしれません。

もしスタンプ状土製品が瘢痕傷身の道具であったとすれば、縄文後晩期には身体変工として少なくとも抜歯、耳朶穿孔肥大化、イレズミ、瘢痕傷身が行われていたことになります。(2021.10.19追記 ペニスも身体変工の対象であったと石棒の様子から推定します。2020.09.15記事「メモ 石棒先端装飾意味と身体変工」)


2021年10月17日日曜日

ミミズク土偶(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

 加曽利貝塚博物館で開催中の特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されているミミズク土偶の3Dモデルを作成して観察しました。

1 ミミズク土偶(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

ミミズク土偶(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

縄文後晩期

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.10.14


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.009 processing 56 images


3Dモデルの動画

2 メモ

顔面と両耳輪とおでこの一部が赤彩されています。この土偶では顔が最も重要な要素であったようです。発生期土偶は顔はなく、顔がうまれても小さく、後晩期になると顔を含む頭がだんだん大きくなります。この一連の変化だけみても、土偶に関わる宗教的観念は大いに変化していることが推測できます。


参考 山形土偶からみみずく土偶への変化に関する記述の理解

設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)掲載図に加筆


2021年10月14日木曜日

土偶(市原市根田祇園原貝塚)1 観察記録3Dモデル

 加曽利貝塚博物館で開催中の特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されている土偶の一つに顔が星形のように見えるものがあります。この土偶の3Dモデルを作成して観察し、感想をメモしました。

1 土偶(市原市根田祇園原貝塚)1 観察記録3Dモデル

土偶(市原市根田祇園原貝塚)1 観察記録3Dモデル

縄文後晩期

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.10.07


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.009 processing 30 images


3Dモデルの動画

2 メモ

ア 山形土偶の一種であると見立てました。耳と頭を別々に表現したので結果として星形になったのだとおもいます。

イ 同じ土偶でも時間をかけてかつ造形スキルを投入して丁寧につくったものと、あまり時間をかけないで粗く作ったものがあり、この土偶は後者のような感じをうけます。土器に精製土器と粗製土器があるのと同じように、土偶にも現代人が優品と呼ぶような「精製土偶」と多数出土する「粗製土偶」があり、その使われ方が違っていたのかもしれません。

ウ 他の土偶と異なり口を特段に大きく開いています。この土偶を作った縄文人は意図(観念)があって口を大きく表現していると考えます。それが何か妄想が妄想を生みます。

エ 口下の喉の割れたところに白い粒状の素材が見えます。ツキノワグマの三日月模様みたいな印象を受けます。山形土偶ではこの部分に刺突文があるところです。写真が不鮮明でそれが何であるか判りませんが、なぜそれがあるのか知りたくなります。→追記 Twitter脇舞えない数羊さんから指摘があり発掘後の注記であるとのことでした。確かにそのとおりです。凸凹したところに長く書いてあり、字として読めないので勘違いした次第です。


2021年10月9日土曜日

鼻の穴1つの土偶(市原市根田祇園原貝塚)

 加曽利貝塚博物館で開催中の特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されている土偶の一つは鼻の穴が1つで異様な印象を受けます。この土偶の3Dモデルを作成して観察して感想をメモしました。

1 土偶(市原市根田祇園原貝塚)2 観察記録3Dモデル

土偶(市原市根田祇園原貝塚)2 観察記録3Dモデル

縄文後晩期

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.10.07

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.009 processing 34 images


展示の様子


カメラの配置


3Dモデルの動画

2 感想

・この土偶の顔は人間の顔に似せてつくられています。しかし鼻の穴が1つであり、人間ではあり得ない(動物でもあり得ない)姿となっています。このことからこの土偶が表現しているのは作者が空想する神の姿であると考えます。

・後晩期縄文人は神の姿を擬人化して、それを土偶に表現していたのだと考えます。この土偶作者は鼻の穴をわざと1つにして、自分が想像する神の姿は人間っぽいけれど人間ではないことを強調したのだと思います。

・土偶の足指が4本とか6本ある例もありますが、その例も同じで、神は人の足と似た足を持っているけれども指が5本ではなく4本であるとか6本であるとかの想像をわざと表現していて、人と神の差別化を図ったのだと思います。


足指が6本、4本の土偶

「国立歴史民俗博物館研究報告第37集土偶とその情報」収録「東京都の土偶」(1992)から引用

・鼻の穴が1つとか、足指が4本・6本とかの縄文人作者は、自分が作った土偶がいつかだれかにみつけられたとき、それが人の姿を模した神であるという自分の思考が間違いなく伝わるように意図したのだと思います。

…………………

「国立歴史民俗博物館研究報告第37集土偶とその情報」収録「東京都の土偶」(1992)では4本指6本指土偶に関して次のような興味深い記述をしています。

「25(文10)・26(文42)・27(文78)は脚幅7cmから10cm前後を測る。足の指が25では6本,26では4本であり,このほかの例にあっても「正しい数の5」にとりたてて拘泥していないところに,数に対する縄文人の観念があったのかもしれない。仮に,人間の姿をした土偶なら手足の指5本であるべきなのになどと,現代人の発想で縄文人の数理に対する概念を揶揄すれば,たまたま人の姿に一部を仮託しただけだと,かえって縄文人から説諭されそうでもある。」