花見川の堀割普請が小学校社会科副読本でどのように登場しているかということを紹介します。
千葉市の副読本「わたしたちの千葉市」(千葉市教育委員会、平成22年版)と八千代市の副読本「わたしたちの八千代市」(八千代市教育委員会、平成22年版)を見てみました。両市の副読本ともに郷土の歴史として花見川と新川の歴史を大きな題材として扱っていました。
千葉市小学校社会科副読本「わたしたちの千葉市」より
「わたしたちの千葉市」では郷土の歴史が「昔の道具とくらしのへんか」、「れきしマップづくり」、「みんなのために努力した人たち」の3つから構成され、「みんなのために努力した人たち」は3つの題材(「大賀一郎とオオガハス」、「丹後堰をつくった布施丹後」、「花見川を開く」)が取り上げられています。「みんなのために努力した人たち」の目次には3つの題材にくくりがしてあり、「どれかを詳しく調べる」とかかれています。
「花見川を開く」は6ページで花見川と印旛沼の開発の歴史がテーマとなっており、次の6つの項目から構成されています。
●花見川サイクリングロードのたんけん・・・むかしは新川と花見川はつながっていなかった。
●昔の花見川のまわりと水がいの様子・・・印旛沼は水害に苦しめられた。
●人々のねがいと染谷源右衛門・・・新田開発と水害を防ぐため印旛沼の水を東京湾へ流そうとした。
●開発工事の様子・・・源右衛門は財産を全部売って大工事をした。
●花見川を開く計画とその後の開発・・・工事は引き継がれ、1843年の工事は84万人参加し、1968年に完成した。
●花見川・印旛沼とこれからのわたしたち・・・水田が増え、飲み水、工業用水としての利用、洪水を防ぐ。自然がいっぱいのいこいの場所。
この副読本を読んで、次の2点が印象に残りました。
1水害を防ぎ、新田開発するという視点で開発工事が行われ、1968年に国の工事として完成し、洪水防御、干拓のみならず水資源開発がおこなわれたという、地域開発の総合性について学習しようとしていること。
2サイクリングや掃除の写真、あるいは川をきれいによびかけるポスターなどを掲載して、花見川の利用や愛護に学習の幅を広げようとしていること。
八千代市小学校社会科副読本「わたしたちの八千代市」より
「わたしたちの八千代市」では郷土の歴史の題材が2つ(開発につくした人々、上代芳太郎のらく農)取り上げられています。
そのうちの1つである「開発につくした人々」8ページが全て花見川と新川の歴史となっています。
「開発につくした人々」は次の4つの項目から構成されています。
●印旛沼の開発・・・今と昔で印旛沼の形がちがうこと。
●印旛沼の大水・・・印旛沼は水害に苦しめられた。
●「ほりわり」工事・・・1染谷源右衛門が印旛沼の水を江戸湾に流す工事にとりかかった。2島田村の次郎兵衛が工事を始めた。3江戸幕府が工事を進めた。
●大和田排水機場・・・大和田排水機場が完成し、印旛沼の水害はなくなった。印旛沼や新川を大切な自然として守る。
この副読本を読んで、次の2点が印象に残りました。
1印旛沼の水害克服という明解な視点で享保期、天明期、天保期の3回の堀割普請の歴史に詳しくふれ、大和田排水機場の役割も理解できるように、学習のわかりやすさを意識していること。
2続保定記の黒鍬者もっこ担ぎイラスト、当時の道具イラスト、もっこ担ぎ体験写真を掲載して、労働体験(筋肉感覚体験)により学習を深めるようと工夫していること。
花見川流域を散歩し、堀割普請に興味をもつものとして、千葉市、八千代市ともに堀割普請に関連する花見川の歴史を掘下げて学習教材とされていることに感銘しました。また、安心しました。
私は花見川の素掘堀割部分は土木遺産、文化遺産として価値があると思っています。その価値をもっと大切にした方が地域のためによいと思っています。しかし、社会的には花見川素掘堀割部分にそのような明確な価値は与えられていません。社会がその価値に気がついていないように感じています。花見川を散歩すると、現場には歴史を情報として受け取れるところがほとんどないことからも実感します。(花島公園内に千葉市教育委員会の歴史説明板が1つあります。)
このような私が千葉市と八千代市の小学校社会科副読本をみると、勇気が湧いてきます。というのも、子どもたちに郷土の歴史として花見川の堀割普請を重要な出来事として教える、しかし、花見川の堀割現物がほぼそのまま残っていてもその土木遺産、文化遺産としての価値は気がつかない、ということは社会として間尺に合わないことです。そういう間尺に合わないことは、いつか解決されるに違いないという必然性みたいなものを直感するからです。
なお、千葉市、八千代市双方の副読本ともに続保定記の黒鍬者のもっこ担ぎのイラストを掲載しています。子どものみならず大人でもインパクトを受ける資料です。続保定記には別に多量のイラスト、絵地図が掲載され、それらは「天保期の印旛沼堀割普請」(千葉市発行)として刊行されています。私は、このような情報の存在自体が花見川の素掘堀割部分の土木遺産、文化遺産としての価値を高めていると思います。
江戸働黒鍬之者大もつこうにて堀捨土をかつく図
久松宗作著「続保定記」
(「天保期の印旛沼堀割普請」〔千葉市発行〕より引用)
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