横戸川流域紀行4 視図「宇那谷村畑中の独立樹」
宇那谷村畑中の独立樹(ロ)
迅速図「千葉県下総国千葉郡長沼新田印旛郡宇那谷村」図幅(明治15年1月測図)の視図です。
独立樹だけでなく、付近の土盛り(塚)と大小の鳥居、大きな石碑2基(1基は墓?)、独立樹下の小さな石碑(?)3枚なども描かれています。
内戦に備えて、行軍時の重要な目印となるものを視図(スケッチ)として図郭外に掲載したものです。
この視図を描いた測量兵は、単に樹木として描いても意味が少なく、この独立樹周辺が地域住民にとって霊的空間であることを表現すれば、行軍兵が一目で目標を捉えることができることを知っていたと考えられます。古きよき時代の軍事感覚です。
この視図の位置は(ロ)として迅速図中に掲載されています。
宇那谷村畑中の独立樹(ロ)の位置
この位置を現代図にプロットすると次の位置になります。
宇那谷村畑中の独立樹(ロ)の現代地図比定(赤丸)
残念ながら、宇那谷村畑中の独立樹は現在跡形もありません。
宇那谷村畑中の独立樹(ロ)の現代地図比定(赤丸)場所の現況
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偶然ですが、この場所に全く別の意味があります。
2011年6月19日記事「下志津射場図5近衛師団管轄演習場規程(下)」で報告したとおり、この場所は旧軍下志津演習場特殊演習場(毒ガス演習場)のほぼ正確に中央部です。
大正15年から昭和15年の間に下志津演習場が拡張され、宇那谷集落の移転が余儀なくされましたが、集落跡近傍にこの特殊演習場(毒ガス演習場)がつくられました。
宇那谷村畑中の独立樹はこの特殊演習場(毒ガス演習場)建設時に消失したのかもしれません。
なお、この特殊演習場(毒ガス演習場)存在情報は念のため、千葉市に一報を入れてあります。また、私自身の認識が深まった追加情報がありますので、追って記事にする予定です。
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