2011年7月28日木曜日

子和清水

犢橋川流域紀行5 子和清水

            「子和清水源泉の跡」の碑

 犢橋川の源流部は谷津は子和清水調整池となっており、周辺台地は清掃工場、東関東自動車道千葉北インターなどになっています。
 残念ながらここが谷津であったという雰囲気はあまり感じません。調整池が盛土されたためか、台地が削られたためか確認していませんが、全体にのっぺらした感じの風景になっています。
 調整池の奥まったところに「子和清水源泉の跡」の碑がありました。
 名前の由来として、次の文章が彫られています。

昔、この地に、たいそうな親孝行息子がいたそうな、息子は毎晩のようにお酒を買って父親に飲ませていたそうな。
ある日、お酒を買えなくなった息子は思案の末、森の土手より湧き出る清水を徳利に入れ家に持ち帰ったそうな。これを差し出すと父親はひと口飲んで『旨い』と言い、飲むほどに酔うて来たそうな。
父親はあまりに旨いお酒なので『どこで買ってきたか』と尋ねると、困った息子は『清水』と言ったそうな。
この話が村人に知られ、『親は酒でも子は清水』と言われるようになり、やがて、この地を『子和清水』と言う。

            子和清水調整池

 旧版1万分の1地形図「三角原」(大正6年測量)にはコワ清水の姿がリアルに描かれています。谷津谷頭斜面から流れる水流とそれを貯める池が描かれています。GISで地図を拡大して測量すると、斜面から流れる水流延長15m、清水の池は7m×5mでした。この値から清水(清らかな湧き水)の規模を想像できます。

            コワ清水(旧版1万分の1地形図「三角原」)

 コワ清水の語源は「強(こわ)い」の語幹のコワが清水を形容しているものと考えます。「強く激しい、頑強である」という意味であり、要するに干天になっても泉の水が涸れることはない、水の湧き出す力が強い清水であることを表現しているものと考えます。
 古代人にとって飲料水の確保は死活問題ですから、清水の存在だけでなく、湧泉力の強さを地名に表現する切実さがあったものと考えます。
 歴史時代になると生活の水事情も改善し、「コワ」の意味を直接的に解釈しなくてもよいような(あるいや「コワ」の意味を忘れた)社会状況となり、上記のような民話により「コワ」の意味を説明するようになったのだと(常識に従えば)思います。

 「コワ」が「怖い」の語幹であり、「思いもよらない不思議な力がある」という霊力に関する意味が、「強い」の意味にオーバーレイして、この泉にまとわりついているのかもしれません。もしかしたら、上記民話はこの泉の霊力を伝えているのかもしれません。歴史時代につくられたおとぎ話ではなく、旧石器時代、縄文時代の人々の気持ちが、変形しながら、この民話として伝わってきているのかも知れません。(私の想像です。)

 子和清水の水は旧石器時代、縄文時代およびそれ以降の人々の重要な水源となってきたものです。

            子和清水跡の現代地図プロット
 子和清水の跡は現在は東関東自動車道千葉北インターの道路敷になっています。

2 件のコメント:

  1. 本日子和清水に行って来ました。
    地元に湧水があったなんて驚きです。
    これからも花見川周辺の記事楽しみにしています(★`・v・)+゚

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  2. 匿名さんコメントありがとうございます。
    とても励みになります。
    これからもよろしくお願いします。

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