2013年9月2日月曜日

今後の戸地名検討

花見川地峡の自然史と交通の記憶 71

2013.08.27記事「「戸(と、ど)」地名検討の中間報告」で、千葉市と八千代市分の戸地名プロット図を紹介しましたが、中途半端な作業になっています。

今後次のような作業を継続して、「戸」地名の検討を深めたいと思っています。

1 印旛沼と東京湾周辺市町村の「戸」地名小字分布図の作成
印旛沼水系と東京湾水系を含む地域について「戸」地名小字分布図を作成するために、千葉市、八千代市の他、印西市、佐倉市、酒々井町、栄町、成田市、四街道市(以上「戸」地名リスト作成済み)、八街市、富里市、習志野市、船橋市、鎌ヶ谷市、白井市を対象に「戸」地名小字分布図を作成することとします。

この作業の中で、各市町の小字分布図資料を入手し、次のステップであるGIS上の小字図(小字界線図)作成に備えます。

GIS上に「戸」地名分布図作成を予定している市町

2 「戸」地名の分類
千葉市と八千代市を対象とした検討では、木戸、井戸、出戸、渡戸、橋戸、折戸とそれ以外に分類して、その性格が異なることを検討しましたが、調査範囲を広げ、情報量が増えた段階で、再度「戸」地名の分類について検討します。
検討の狙いは元祖「戸」地名ともいうべき海の民が最初にこの地に植民した当時に付けられた地名をあぶりだすことにあります。

3 「戸」地名の検討
3-1 水系と「戸」地名との関係
水系と「戸」地名の関係にどのような特徴があるか、検討します。
特に、東京湾水系と印旛沼水系の差異に着目し、東京湾水系と印旛沼水系の交流に関する何らかの情報が得られるか注視しています。

東京湾水系と印旛沼水系の主な河川

3-2 「戸」地名と律令制時代の地名(郷名)との関係検討
現在の見立てでは「戸」地名が付けられたのは弥生時代・古墳時代と考えています。
律令制国家の時代に付けられた地名(郷名等)より古いものです。
律令制国家の時代には「戸」地名は地名として土着していて、確固としたポジションを社会の中で獲得していたものと考えます。

一方、律令制国家の時代の下総国の郷名には「戸」地名はありません。
[余戸(あまるべ)については、現段階では一応「戸」地名ではないとしておきます。しかし、戸(こ)と戸(と)は通底していると考えられますので、検討課題であるとは思っています。]

律令制国家の時代の地名の付け方は「延喜式」民部省の項に「凡諸國部郡里等名,並用二字,必取嘉名。」とあるように漢字2字とし、漢字は嘉名(かめい、良い名称、縁起の良い名称)を使うように決まっていました。

律令制国家にとって、「戸」地名は倭人とはいっても、自分たちの系統とは異なる、支配が難しい人々が付けた土着地名であり、支配のための地名としてはあまり好ましくなかったものと想像します。「戸(と、ど)」は律令国家では地名に積極的につかう漢字ではなかったと考えます。

このような事情から、律令制国家が支配の拠点とした場所(主要な支配施設があった場所、津など)では「戸」地名は少なく、そうではない場所(律令国家の支配が弱かった場所)では「戸」地名の分布が多いという現象があるのではないかという作業仮説が生れます。

こうした作業仮説について、作成した「戸」地名分布図を活用して検討してみたいと考えています。


つづく

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