花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.28 浮島駅付近古代地物の位置想定と地形
浮島駅付近古代地物の位置想定を地形条件と照らし合わせて検討します。
1 浮島駅付近の地形
浮島駅付近の埋蔵文化財分布図と地形段彩図をオーバーレイして表示し、埋蔵文化財と地形(低地と台地)との関係を一目でわかる様にしてみました。
埋蔵文化財分布図と地形段彩図
花見川河口付近では砂州の上に埋蔵文化財は分布していません。埋蔵文化財の分布は全て台地上です。
この付近の地形の様子を見るために、迅速2万図を見てみました。
花見川河口付近の迅速2万図
砂州の上に砂丘が発達して、それによって谷津が閉塞されている様子が、水田分布からよくわかります。
2 浮島付近の地形発達図を利用した古代地物位置検討
次の図は中野尊正著「日本の平野」(古今書院、昭和31年)に掲載されている検見川低地の地形発達図です。
中野尊正著「日本の平野」(古今書院、昭和31年)に掲載されている検見川低地の地形発達図
この図を利用して、浮島駅付近の古代地物について検討してみました。
検見川低地の地形発達(中野尊正著「日本の平野」(古今書院)から引用)による古代地物検討
・古代に存在した検見川低地の内湾が花見川河口津として利用され、その沿岸台地に軍事・行政施設が配置されていたと考えます。その施設が遺跡として検出されていると考えます。
・古代に初めてその広がりを表した浮島(砂丘を乗せた砂州)は広々とした草地空間であり、それを利用して浮島牛牧がつくられていたと考えます。周辺台地は細かく開析されていて、牧場をつくるにはふさわしい場所であったと考えられません。
・浮島駅家は浮島牛牧と隣接して浮島の上につくられていたと考えます。
浮島駅付近の3つの古代地物(花見川河口津、浮島牛牧、浮島駅家)の位置を地形条件と整合させて想定することができました。
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