花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.33 古語「杵(かし…舟の停泊杭)」を現代に伝える地名「柏井」
地名「柏井」が丁度東京湾水系を登り切った場所にあります。
現在の千葉市花見川区柏井町領域(近世柏井村の領域に近似)
この地名「柏井」は古代の用語「杵(かし…舟の停泊杭)」と「隈(わい…界隈・山隈などとして使われる、いりこんだところを指す)」が結びついて、舟の停泊杭が入り込んだところ、つまり船着場を表す古代の用語であると考えます。
「柏井(かしわい)」は「杵隈(かしわい)」だったのです。「柏井」の漢字はその意味が忘れられた後、付けられた当て字です。
古代の用語「杵(かし)」は世界大百科事典で次のように説明されています。
かし【河岸】
江戸時代に河川や湖沼の沿岸にできた川船の湊。古代~中世には船をつなぐために水中に立てる杭・棹を〈かし〉といい,牫牱または杵と表記した。船に用意しておき,停泊地で水中に突き立てて用いた(《万葉集》1190)。古代には〈かし〉が一種の呪力を有しており,停泊地の海底に穴をあけて清水を噴出させたり(《肥前国風土記》杵島郡の地名説話),海の向こうから国引きしてきた土地を固め立てたり(《出雲国風土記》)したという〈かし〉立て説話がある。杖の有する同じような呪力は,杖が古代的土地占有のシンボルとして大地に立てられたことに起因するが,〈かし〉も,船に乗って海辺の土地を占定していく際のシンボルであった。中世の特権漁民として有名な賀茂社神人〘じにん〙は〈櫓〘ろ〙棹〘さお〙杵〘かし〙の通路の浜〉に対する漁場占有を主張したが,その際の〈杵〉にも同様の意味が込められている。また,〈海のかし立てを限る〉という中世荘園の境界・四至表示は,〈かし〉の届く水深の水域の領有を示している。以上のように〈かし〉はもと船具を意味したが,船着場に固定された舫杭〘もやいぐい〙も〈かし〉といわれ(〈建久7年造大輪田泊太政官符〉《東大寺文書》),そこから船の荷揚場を〈かし〉というようになったのである。〈かし〉を河岸と表記するようになったのは近世に属する。
『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズ
古語「杵(かし)」から近世に「河岸(かし)」という言葉が生まれたのです。
地名「柏井」はこの場所が古代の船着場であったことを伝えています。
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参考 全国の柏井
国土地理院WEBサイトで全国を対象に地名「柏井」を検索すると次の7箇所の柏井が見つかります
全国の柏井地名
柏井…茨城県笠間市
柏井町…千葉県千葉市花見川区
柏井町…千葉県市川市
柏井町…愛知県春日井市
柏井町…愛知県尾張旭市
柏井…高知県高岡郡日高村
現在の市川市柏井町の領域(近世柏井村の領域に近似)
市川市柏井町は大柏川の上流部にあり、周辺に古代遺跡が多く、地名「柏井」が古代船着場に由来すると考えることが合理的です。
他の箇所の柏井も地図を拡大してみると、全て低地の谷津に面した場所にあり、古代船着場由来と考えることに合理性を欠くものはありません。
なお、地名「柏」(例 千葉県柏市など)も「河岸」という言葉が生まれる近世以前に付けられた地名であり、古語「杵(かし)」に由来するものが多いと考えます。
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