2015年1月19日月曜日

花見川-平戸川筋の遺跡分布分析 その1

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.43 花見川-平戸川筋の遺跡分布分析 その1

花見川-平戸川(※)筋の遺跡報告書を悉皆的に閲覧して船越仮説に関連する情報を探索することにしました。多少時間がかかると思います。

その探索活動を行う上で、土地勘(遺跡勘)を研ぐために遺跡データの統計や分布をいじくりまわしてみたいと思います。

先ず、分布図そのものをつくってみました。

次は、暫定調査範囲の古代(古墳時代、奈良時代、平安時代)遺跡全体の分布図です。

古代遺跡分布図
▲は文献なし遺跡、■は文献あり遺跡

次は古墳時代遺跡分布図です。

古墳時代遺跡分布図

次は奈良・平安時代遺跡分布図です。

奈良・平安時代遺跡分布図

古墳時代遺跡分布図と奈良・平安時代遺跡分布図を比べると、奈良・平安時代に地域開発が行われた場所が一目瞭然で明確に浮かび上がります。

花見川-平戸川船越を経由して東京湾と香取の海の水運が存在したという私の仮説とどのように関連するか、興味が湧きます。

次の図は古墳時代と奈良・平安時代の遺物・遺構が同時に出土した遺跡分布図です。

古墳時代と奈良・平安時代の遺物・遺構が同時に出土した遺跡分布図
この分布図に表現された遺跡が花見川-平戸川筋の初期地域開発拠点であった可能性が濃厚です。

詳しい分析を次の記事で行います。

※ 現在の通称新川は印旛沼堀割普請で川に人工改変が行われたことに着目した名称です。印旛沼堀割普請以前は新川は平戸川と呼ばれていました。このブログで現在扱っている事象は古代の自然河川ですので、河川名称として平戸川を使います。


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