2015年1月12日月曜日

房総古代道研究会発表の要旨・概要と感想

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.41 房総古代道研究会発表の要旨・概要と感想

2015.01.10房総古代道研究会で「忘れられた古代交通施設 -千葉市花見川区に所在した水運路を結ぶ古代道路施設 船越-」と題して発表する機会を得ることが出来ました。
発表の機会を与えていただいた房総古代道研究会様、関係する皆様、会員の皆様に改めて謝意を表します。

この発表で使ったパワーポイント資料(及びpdf化資料)は2015.01.11記事「房総古代道研究会発表資料」に掲載しました。

この発表の要旨・概要と感想をまとめました。

1 発表「忘れられた古代交通施設 -千葉市花見川区に所在した水運路を結ぶ古代道路施設 船越-」要旨
古代(奈良時代頃)において、東京湾と香取の海を結ぶ主な水運路は3箇所あり、船越と呼ばれる陸路で異なる水系の水運が結ばれていた。

そのうちの1箇所の水運路は花見川-平戸川船越で二つの水系がつながっていた。

この水運路の東京湾出口には浮島駅家、浮島牛牧(延喜式)、花見川河口津があり、花見川河口津には遺跡と地名(玄蕃所)から俘囚収容所施設が存在したと考えられる。俘囚は陸奥国から香取の海、印旛浦、花見川-平戸川船越を経由して花見川河口津に着いたと考えられる。玄蕃所における俘囚の検見は、この地に地名「検見川」を残したと考える。

花見川-平戸川船越付近には地名「柏井」があり、これは古語「杵隈(かしわい)」であり、船着場を意味すると考える。柏井には水運と陸運を乗り換える適地に古代駅家を連想させる名主屋敷外構が現存する。

柏井から高津の間には二つの古墳を起終点として、地形を無視して機械的に直線を保つ境界が存在し、近世には馬防土手として利用されていた。地番割図からこの境界(馬防土手)を分析すると、幅員11mの直線道路が廃絶して土地の取り合いがあった様子を想像することもできる。

高津には古代土塁遺跡似の人工構造物が米軍空中写真から判読でき、高津直轄港湾跡と考えられる。この古代土塁遺跡似地物は調査されることなく土地開発された。

高津馬牧(延喜式)の領域は近世高津村に該当すると考えられる。

以上の諸情報から、古代には花見川-平戸川船越を経由する東京湾と香取の海を結ぶ水運路が存在し機能していたと考える。

しかし、蝦夷戦争終結による緊急輸送要請の低減、海面低下による内陸水運の困難性増大等の要因から中世には花見川-平戸川船越を経由する水運路は廃絶し、その後、施設(地物)、交通活動、関係地名の意味など全てが忘れられ、現在に至っていると考える。

2 発表「忘れられた古代交通施設 -千葉市花見川区に所在した水運路を結ぶ古代道路施設 船越-」概要
2-1 花見川について(フィールドの特性紹介)
・花見川は東京湾水系の自然河川で、河川行政上は印旛沼の放水路として位置付けられている。
・地学現象「河川争奪」の現場であり、ここだけ東京湾水系の分水界が2㎞ほど北上していて、異常となっている。
・そのため花見川は縄文海進の海が台地深く入り込み、古代には舟運が可能な谷津であった。
・この特性を利用して近世には印旛沼堀割普請が3回にわたって行われ、戦後に印旛沼開発事業が完成した。

2-2 船越について(本発表のキー概念の説明)
・古代には異なる水系の水運路を結ぶ専用短区間陸路が存在し、船越と云われる。
・古逗子湾と東京湾(横須賀市田浦)を結ぶ古代船越の実例は有名である。
・古代ギリシャには船越進化形が存在し、石敷軌道が設置され船の陸送が行われた。
・日本の船越は全て船乗継タイプであると考えられる。
・東京湾と香取の海を結ぶ水運路の船越は3箇所あったと考えられる。そのうちの1箇所(花見川-平戸川船越)を詳細に検討する。

2-3 本論 古代「花見川-平戸川船越」付近の地物
2-3-1 花見川河口付近(浮島付近)
ア 浮島
・幕張湾に発達する砂丘が地名「浮島」と対応すると考える。この浮島(砂丘)上に浮島牛牧、浮島駅家が存在したと考える。
イ 河口津
・砂丘背後に残された内湾が花見川河口津となったと考える。
・河口津台地(検見川台地)には掘立柱建物だけで40棟が検出されていて、官施設があったと考えられる。
・玄蕃所地名が残っていて、治部省玄蕃寮の東国出先施設があったと考える。ここには俘囚収容施設があったと考える。
・俘囚は花見川-平戸川船越を経由して香取の海方面からこの地に送られてきたと考える。
・地名「検見川」は玄蕃所で俘囚を検見したことに由来する地名であると考える。

2-3-2 船越部付近(柏井、高津)
ア 柏井
・地名「柏井」は古語「杵隈(かしわい)」であり、船着場を意味すると考える。
・柏井に現存する名主屋敷外構が水運から陸運に乗り換える古代駅家の存在をイメージ的に彷彿とさせる。
イ 船越陸路(直線道路)
・17世紀絵図による柏井内野の東側境が直線状であり、現代町丁目境と対応する。
・この境の両端はともに古墳にドンヅケでぶつかる。
・この境を地番割図でみるとクランクや細長い筆が存在し、古代道路が廃絶後近隣地域が土地を取り合った跡であると考えることもできる。
・境の両端の地名が「高台」と「高台向」であり、一方が他方を意識している地名である。
・境の大半は迅速図では馬防土手が描かれている。
・迅速図で馬防土手が描かれていない範囲を1949年撮影米軍空中写真で分析すると、地形を無視した直線状小径(土手)と土地利用界を観察できる。
ウ 高津(直轄港湾)
・1949年撮影米軍空中写真で分析すると、古代土塁遺跡似の人工地物が観察できる。
・古代土塁遺跡似地物は調査されることなく小学校敷地等として開発された。
・小学校建設時のボーリングデータに古代土工事を想起させる記述がある。
エ 高津馬牧
・高津馬牧の場所は吉田東伍(大日本地名辞書)によって地名「高津」付近に推定されている。
・17世紀絵図を使って分析し、高津馬牧が17世紀の高津内野の場所であり、それは近世高津村の領域に該当すると考えた。

2-3-3 古代「花見川-平戸川船越」に関する考察結果
・柏井・横戸境のかつて馬防土手があった地物は次の多様な間接情報から古代交通施設としての船越の直線道路遺構と考える。
・直線道路遺構と考える理由…a直線性、広幅員、起終点が古墳、b二つの水系を結ぶ、c船着場(杵隈)と高津土塁の存在、d花見川河口の玄蕃所が船越利用交通を証明、e浮島牛牧・高津馬牧(ともに延喜式)の存在
・中世には「花見川-平戸川船越」は次の理由から廃絶していたと考える。
・船越が廃絶した理由…a蝦夷戦争の終結(緊急輸送の要請低減)、b海面低下による内陸水運の困難性増加、c造船技術、航海技術、土木技術の向上、d陸運の発達(家畜、車輪の利用)
・中世には「花見川-平戸川船越」が廃絶し、関連施設(地物)、その施設で営まれた活動(交通活動)、関係地名の意味などが全て忘れられ、そのまま現在に至っていると考える。

発表に使ったスライド一覧

3 発表の感想
3-1 話はご理解していただいた
・専門知識無しの無手勝流の発表でしたが、私が話したいことの趣旨は聞き手にご理解していただき、ある程度の興味も持っていただいたと思います。

3-2 自分の説が新説であることに気がつかされる
発表後のコメントの中に、「あなたの発表したことは、だれか専門家がそのようなことを言っているのですか、それとも新説ですか。」という質問がありました。
この発表の素材は全てこのブログ記事であり、それはほとんど全て自分だけが唱える新説です。こうした状況の中で、上記質問を聞いて、自分の話が全て新説から成り立っていることが、「当たり前の大前提」ではなく、「説明すべき特色」であったのだと強く意識させられました。
もう少し丁寧な説明を心がけるべきだったと思います。
残念ながら、自分は歴史考古の専門家でないため、既知の専門知識や学説との関連で自分の考え(新説)を説明できないので、生で自分の興味を話すしか方法はありませんが、それは当面仕方がないことです。

3-3 決定的証拠がないことに気がつかされる
・よくよく考えると船越に直線道路があったという発想を支える情報は全て間接情報です。状況証拠みたいなものばかりです。
・一つ一つの情報は面白くブログ記事作成の際には熱中したのですが、最後の「直線道路の存在」を立証する直接証拠に欠けます。

3-4 今後の検討方向についての質問があった
・発表した内容を今後どのように検討を深めて行くのかという質問があり、今回の発表では東京湾岸と船越部の2地点の検討をしましたが、それより北の印旛浦の地物の検討を今後したいという回答をしました。
・自分が出来る検討方法を考えると、効率的で決定的な方法を思い浮かべることができません。より沢山の関連情報をこつこつと集めて、仮説の確からしさを少しづつ高めることになると思います。
・いつか思いもよらない情報を見つけ出し、仮説の確からしさを一気に向上させることが出来ると信じています。
・このテーマが社会的関心を集め、将来万が一、印旛沼堀割普請捨土土手の発掘調査が実施できれば、古代道路遺構直接検出の可能性はあります。

3-5 発表したらどうかというお話をいただく
・話を多くの人に興味を持ってもらうために、文章などにして発表したどうかというアドバイスをいただきました。
・またグループなどに入り他の人と一緒に検討をすすめたらどうかというアドバイスもいただきました。

3-6 駅路との関係について
・水運路、船越と駅路との関係を詳しく調べたら面白いというご意見をいただきました。

3-7 地学と歴史の情報を使っている点
・地学の情報と歴史の情報を一緒に使っている点は面白いというご意見をいただきました。

3-8 防災対策との関係について
・発表したような内容を地域毎に調べておくと、地域防災上役立つのではないかというご意見をいただきました。

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