2015年3月12日木曜日

検見川台地の古代竪穴住居址分布

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.84 検見川台地の古代竪穴住居址分布

検見川台地の古代竪穴住居址分布をざっくりと把握してみました。

時代別等の整合のとれた、整理された情報が無いので、まずは可能なざっくりした検討を行って、自分なりのイメージをつかみます。

次の図は直道遺跡・居寒台遺跡の他近隣の大久保貝塚、横塚遺跡、玄蕃所遺跡を加えた検見川台地古代5遺跡の発掘調査区図です。

検見川台地上5遺跡の発掘調査区
このような図を作成すると全部で16の発掘調査区が存在していることがわかります。

この図に古墳時代~平安時代の竪穴住居址数を書きこんでみました。

古墳・奈良・平安時代竪穴住居址の検出数
サンプル数16の数値分布図ができたのです。
この数値分布図を見ると、中央部に竪穴住居址分布密度が濃く、縁辺部に密度が薄くなる状況をイメージすることができます。
そのイメージを次に分布図にしてみました。

古墳・奈良・平安時代竪穴住居址の密集地想定
検見川台地の中でも、西に出っ張った部分が拠点集落の主要部であることがわかりました。
また、密度の低い集落域は台地全体に広がっていたことも想定できます。

これで花見川河口の検見川台地上の古代拠点集落のイメージを自分なりにつくることができました。

この図の基図を旧版1万分の1地形図に差し替えると次のようになります。

古墳・奈良・平安時代竪穴住居址の密集地想定
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)

横塚遺跡付近が微高地となっていて、この微高地より西側の一続きの台地が古代拠点集落の中心域であったようです。


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