直道遺跡と居寒台遺跡が指す一連の古代拠点集落の素性を、既存発掘調査報告書の情報を整理して浮き彫りにしようとしています。
試行錯誤の作業のなかから生まれた情報を、非体系的になりますが順次報告します。
掘立柱建物址の密度が濃く、それが公的、軍事的機能と結びついていると考えるので、掘立柱建物址を実際に地図にプロットして検討してみました。
次の図は直道遺跡と居寒台遺跡で検出された掘立柱建物址と参考出土物をプロットした地図です。
直道遺跡・居寒台遺跡で検出された掘立柱建物址
居寒台遺跡B区で20棟、直道遺跡で20棟の掘立柱建物址が検出されそれが全体の93%になります。著しく偏在している様子が判ります。
また、これらの数値は建替えした棟の分も含めているものですから、ある時点における棟数はこの数値より少ないものです。
しかし、繰り返し建替えが行われた様子が良くわかりますので、掘立柱建物は大変よく使い込まれていた様子を感じることができます。建物としての機能を発揮していた様子が、繰り返される建替え跡から判ります。
同時に直道遺跡では馬骨と10㎝の大きさの銅製帯金具(鉸具)(バックル)が出土しています。
掘立柱建物址と馬との関係が想定されます。
掘立柱建物址が偏在している様子の想定を次に地図に表現してみました。
直道遺跡・居寒台遺跡付近の掘立柱建物址密集地想定
この地図に示した掘立柱建物址密集地(想定)がおそらく検見川台地上古代拠点集落の中心部である可能性が濃厚です。
掘立柱建物址と馬との関連は直道遺跡で見られます。
次の図は直道遺跡検出掘立柱建物址の検討図です。
直道遺跡検出掘立柱建物址の検討
「千葉市直道遺跡」(1995、財団法人千葉市文化財調査協会)の情報に基づく
掘立柱建物址の特徴として、縦長の掘立柱建物址群が存在し、その傍で、廃馬を食した跡と考えられる馬骨出土と銅製帯金具(馬具)出土があります。
この事実から、縦長掘立柱建物址群は厩舎群である可能性が高いと考えます。今後検討を深めたいと思います。
厩舎群があったと考えると、この場所が蝦夷戦争における騎馬部隊の集結基地であったというストーリ-を描くこともできるかもしれません。(あるいは騎馬を含む部隊の集結地。)
西日本から馳せ参じる武将に、検見川の地で馬を与えたり、連れてきた馬を休養させたりしたのかもしれません。
掘立柱建物址密集地の南端部は厩舎地帯であったと考えることが出来そうです。
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追記 銅製帯金具についての訂正等(2015.03.19)
1 銅製帯金具についての訂正
直道遺跡から出土した銅製帯金具は馬具ではなく、鉸具(かこ)と呼ばれる尾錠止め(ピンバックル)であり、装飾板(銙)を取りつける腰帯[銙帯(かたい)]であることを知りましたので、訂正します。
銙帯は奈良時代官人の服制です。
2015.03.19記事「検見川台地から銙帯具出土を知る」参照
2 居寒台遺跡(D区)の馬歯出土について
直道遺跡の近くの居寒台遺跡(D区)から馬歯出土を知りました。古墳時代末期住居址が奈良時代にゴミ捨て場となり、その堆積物の中に馬歯が含まれていました。直道遺跡の馬骨出土状況と似ています。
検見川台地拠点集落に軍馬がいた証拠となると考えます。
2015.03.13記事「検見川台地の鍛冶遺物出土を知る」参照
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