検討可能な情報が掲載されている直道遺跡発掘調査報告書(「千葉市直道遺跡」(1995、財団法人千葉市文化財調査協会))を例にとり、検見川台地で集中的に検出された掘立柱建物址と竪穴住居址の相対的時代関係を見てみました。
なお、直道遺跡では全ての遺構について、主な時代は「古墳・奈良平安」とされていて、それ以上の時代検討は行われていません。
発掘調査報告書の記述及び掲載図面から、掘立柱建物址と竪穴住居趾の間の「切った、切られた」という関係を調べ、次に図化しました。
直道遺跡の掘立柱建物址と竪穴住居址の新旧の関係
特徴的なことが判明しました。
竃が住居址の北西方向に位置するもので、掘立柱建物址と重複するものは、全て竪穴住居址が古く、掘立柱建物址が新しいという関係になります。
一方、竃が住居址の西北西に位置するもので、掘立柱建物址と重複するものは、全て竪穴住居址が新しく、掘立柱建物址が古いという関係になります。
竪穴住居址と掘立柱建物址はそれぞれ重複しないものがありますから、100%そうだとは言えませんが、次のような関係を作業仮説として想定することは意義があると考えました。
1 竃が住居址の北西方向に位置する竪穴住居址が分布する時代があった。
2 その竪穴住居址を取り払い、掘立柱建物址を建設した時代があった。
3 掘立柱建物址の役割が終わった時代にそれが取り払われ、再び竪穴住居址がつくられる時代があった。
上記の図面を見ると、時間的前後関係を別にしても、竪穴住居址と掘立柱建物址が、まるで1:1に対応しているところが多いように見えてしまい、興味をそそります。
この情報を使って、台地全体の遺跡の時代について次の記事で考察します。
なお、溝状遺構は竪穴住居址と掘立柱建物址の双方を切っている関係にあります。
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