佐倉の地名研究誌「多輪免喜」(たわめき)(佐倉地名研究会発行)を紹介します。
「昭和61年10月、第3回全国地名シンポジュームが佐倉市で開催されると、有志相集まり、佐倉地名研究会が結成されました。」(多輪免喜第1号「発刊にあたって」より引用)
佐倉地名研究会の29年間の長きにわたる地名研究活動の成果が、地名研究誌多輪免喜として、これまで6号までが発行されています。
多輪免喜 第1号の表紙
多輪免喜は主に小字を対象に地名の意味や、その地域と人びととの関わり合い、歴史などについてまとめている素晴らしい労作です。
調べた地域については小字地図をまとめるとともに、小字解説を行っています。
小字地図の例
多輪免喜第6号から引用
小字解説の例
多輪免喜第6号から引用
佐倉市7地区のうち6地区が既に発行されています。
地区割と多輪免喜発刊号の対応
千葉県小字地名データベースを地図にプロットするための小字分布図データはこの多輪免喜を参照して作成したいと思っています。
なお多輪免喜第1号~第6号は佐倉市立図書館で閲覧(貸出)できます。
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多輪免喜とは佐倉市六崎区にある小字の地名です。角川千葉県地名大辞典附録小字一覧では「たわめき」として掲載されています。
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【メモ】
佐倉市の古代地名の語根型「~部」として「遠部」(とおべ)を抽出しました。(2015.05.29記事「佐倉市小字地名データベース完成」参照
「遠部」が本当に古代部民由来の地名であるかどうか、これから検討して行こうという趣旨の抽出です。
そのような問題意識を持って多輪免喜の該当項目を読んでみると、ヒントとなる情報が掲載されていました。
「遠部下(とおべじた) 現遠部」という項目に次の記述がありました。
「その東端の変電所鉄塔付近に≪磔場(はりつけば)≫と称する場所があって、以前は碑が建っていました。(臼井宿回顧)」(多輪免喜第3号から引用)
処刑場があったという情報です。
一方、「トオベ」は「解部(トキベ)」の転ではないかと考えていました。
解部(トキベ)は事典では次のような説明がされています。
ときべ【解部】
日本古代の訴訟の事実審理に当たった職員。持統朝に100人置かれたことがみえ,令制では,刑部省に大中少合わせて60人,治部省に大少合わせて10人配属され,刑部省解部は被疑者の糾問に当たり,治部省解部は譜第に関し争訟があったとき,審問に当たった。刑部省解部は808年(大同3)に廃止され,治部省解部は799年(延暦18)に4名の定員削減が行われている。明治に入って置かれた刑部省にも大中少からなる三等の解部が置かれ,被疑者の糾問に当たった。
『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズ
この情報と多輪免喜の情報を合わせると、明治時代の解部の処刑場があり、その碑が以前は建っていたという状況を想像しました。
明治時代にこの場所に解部が存在したとして、その場所が古代に遡っても刑罰の場所であったかどうかはわかりません。
しかしこの検討で、多輪免喜の詳しい情報が地名の意味を考える上でとても役立つものであることを実感しました。
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