2015年6月6日土曜日

八千代市井戸向遺跡の活動活発時期イメージ

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.142 八千代市井戸向遺跡の活動活発時期イメージ

1 萱田地区遺跡の竪穴住居消長図
「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編」(1991、住宅都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)に萱田地区遺跡の竪穴住居消長図が掲載されています。

その図に、竪穴住居活動が活発であった時期が前半期(主に8世紀代頃をイメージ)のものと、後半期(主に9世紀代頃をイメージ)のものに2分した色分けをして、検討図を作成してみました。

井戸向遺跡及び近隣遺跡の竪穴住居消長

この2分割塗色の目的は、あくまでも遺跡消長の大局観を得るためであり、正確な遺跡消長を知ろうとしているのではありません。

2 竪穴住居消長からみたゾーンの活動活発時期区分
この図に基づいて、井戸向遺跡のゾーンを前半期活発ゾーンと後半期活発ゾーンに2分して色分けしてみました。

井戸向遺跡 竪穴住居消長からみたゾーンの活動活発時期区分

3 井戸向遺跡と白幡前遺跡のゾーンの対応
白幡前遺跡も井戸向遺跡もそれぞれ3期(9世紀初頭)までの活動が活発であったゾーンと4期(9世紀前半)以降に活動が活発であったゾーンに分けて捉えることができそうですから、「竪穴住居消長からみたゾーンの活動活発時期区分」図を井戸向遺跡と白幡前遺跡分を並べてみました。

井戸向遺跡・白幡前遺跡 竪穴住居消長からみたゾーンの活動活発時期区分

3期(9世紀初頭)までは白幡前遺跡1A・1B・2A・2Bゾーン及び井戸向遺跡Ⅲ・Ⅳゾーンの活動が活発であったと考えます。
寺谷津を挟んだこれらのゾーン区域がこの付近の古代における「旧地」開発地です。
3期までは主に「旧地」が機能していたと考えます。

4期(9世紀前半)以降は白幡前遺跡2C・2D・2E・2F・3ゾーン及び井戸向遺跡Ⅰ・Ⅱゾーンの活動が活発であったと考えます。これらのゾーン区域はいわば「新地」開発地です。
4期以降は衰えを見せる「旧地」と勢いのある「新地」を含めた全体が機能していたと考えます。

(萱田地区全体の「竪穴住居消長からみたゾーンの活動活発時期区分」は2015.04.18記事「八千代市萱田地区遺跡 軍事兵站・輸送基地発展の様子(想定)」に掲載しています。)

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