2019年3月8日金曜日

加曽利EⅡ式円文楕円形区画文土器の観察

縄文土器学習 62 加曽利貝塚博物館企画展展示土器の観察 37

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(終了)の展示土器38点の個別観察をメモしています。この記事では展示土器個別観察の最後として加曽利EⅡ式円文楕円形区画文土器No.38(「巨大土器」として入口に展示されていた土器)を観察します。
なおこの土器は既に次の記事で一部観察しています。
2019.02.04記事「加曽利貝塚博物館企画展展示巨大土器について
2019.02.05記事「加曽利博展示巨大土器に火焔摩滅発見

1 加曽利EⅡ式円文楕円形区画文土器 No.38

加曽利EⅡ式円文楕円形区画文土器 No.38
有吉北貝塚北斜面貝層出土

2 発掘調査報告書における記述
No.38土器は有吉北貝塚北斜面貝層の谷底基底部から出土していて「千葉東南部ニュータウン19 -千葉市有吉北貝塚1(旧石器・縄文時代)-第1分冊(本文)」(平成10年3月、住宅・都市整備公団・財団法人千葉県文化財センター)(以下発掘調査報告書等として適宜略称)ではこの土器とそれが含まれるグループについて次のように記述しています。

第11群(273~338) 加曽利EⅡ式の最終段階にあたる。連弧文系土器が減少してキャリパー形土器が主体となるが、第10群段階にみられた整った渦巻文が崩れだし、円文化の傾向が現れる。文様の施文方法も粗雑化し、器形的にも緩やかなカーブを描く整ったキャリパー形から次第に直線的なものが多くなる。加曽利EⅢ式の特徴である磨消懸垂文の幅広化や口縁部文様帯との癒着傾向が早くも現出し始める段階でもある。第10群段階では皆無に等しかった、波状口縁を呈するものや突起、把手が付される例も存在している。有吉北貝塚の北斜面貝層への投廃棄は本段階が最も盛んであるといえる。」(No.38土器は発掘調査報告書では294番で第11群にグループわけされています。)

出土土器挿図
発掘調査報告書から引用

出土土器写真
発掘調査報告書第3分冊から引用

(参考 294番土器が展示土器No.38であることは土器割れ目や模様などから確実です。しかしその全体形状が発掘調査報告書では細長くなっています。おそらく発掘調査報告書作成作業における写真操作で手違いがあり、縦横比が狂い、それに従って挿図も描かれたと想像します。)

3 観察と考察
3-1 被熱し損傷しているピースの存在
No.38土器の写真中央部の大きなピースは被熱していて一部表面が削られています。このピース以外にも全く別の場所に被熱して風化が進んだピースがいくつか見られます。

被熱し損傷しているピースの存在

3-2 この土器が廃棄された時の状況
被熱し損傷しているピースが存在することから、この土器が廃棄されるときの状況をつぎのように想像します。
ア 通常の実用土器として集落で使われていた。
イ 北斜面ガリーに土器を丸ごと投げ込んで廃棄した。
ウ 土器落下場所で火を使う祭祀が行われた。
その際土器ピースの一部が被熱した。
エ 落下場所がガリー谷底であることから地下水等の影響で被熱したピースの風化・損傷が進んだ。

No.38土器(294番土器)出土の様子
・この出土状況図(ガリー谷底における土器破片分布図)のNo.38土器(294番土器)大きなピースはその大きさと形状から3-1の被熱し損傷しているピースであると考えられます。
・北斜面ガリーに廃土器を投棄する行為は単純な廃棄ではなく、ガリー浸食防止祈願や食料増収祈願祭祀の一環としての行為であったと想像します。(土器塚と言われるものと同じ活動であったと想像します。)
・廃土器投棄を伴う祭祀では土器破片近くで火が使われ、獣焼骨も発生したと想像しますが、焼骨は流水で全て流出してしまったと推測します。

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展示会場

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