2024年8月17日土曜日

長野県原村阿久遺跡の廃棄帯

 谷口康浩著「土偶と石棒 儀礼と社会ドメスティケーション」学習 16


The abandoned zone at the Akyu site in Haramura, Nagano Prefecture


Study 16 “DOGU & SEKIBOU: Rituals and the Domestication of Society in Prehistoric Jomon” by Yasuhiro Taniguchi


I didn't understand the meaning of the abandoned zone at the Akyu site in Haramura, Nagano Prefecture, introduced in “DOGU & SEKIBOU”by Yasuhiro Taniguchi, so I looked it up in the excavation report. A large amount of pottery was ritually discarded (destroyed) in the circular stone cluster area that borders the burial zone (the afterlife) and the settlement (this world).


谷口康浩著「土偶と石棒」で紹介されている長野県原村阿久遺跡の廃棄帯の意味が判らなかったので、発掘調査報告書で調べました。埋葬ゾーン(あの世)と集落(この世)を境する環状集石群エリアで多量の土器が儀礼的に破棄(破壊)されました。

1 長野県原村阿久遺跡


長野県原村阿久遺跡

谷口康浩著「土偶と石棒 儀礼と社会ドメスティケーション」から引用

この説明図の廃棄帯の意味が判らなかったので、全国遺跡報告総覧から発掘調査報告書をダウンロードして阿久遺跡について即席の学習をしました。

ダウンロードした発掘調査報告書

長野県中央道埋蔵文化財包蔵地発掘調査報告書 -原村その5- 昭和51・52・53年度 本文編

同 図版編

2 阿久遺跡の概要と廃棄帯

2-1 阿久遺跡の位置


阿久遺跡の位置

2-2 阿久遺跡の時期


阿久遺跡の時期 発掘調査報告書から引用

関東における前期諸磯式期頃が阿久遺跡の盛期になります。以前学習した千葉市大膳野南貝塚前期集落と時期、集落や土壙の空間配置もよく似ています。

2-3 阿久遺跡の空間構成

阿久遺跡盛期の阿久Ⅳ期では、中心遺構の立石・列石を核として、土壙群と方形柱列からなる内帯Ⅰ、集石群からなる内帯Ⅱがドーナツ状にとりまきます。住居址群は内帯Ⅱの東から南に外帯として占地します。Ⅳ期の占地範囲は円形状に径160m余に及びます。


中央立石・列石復元図 発掘調査報告書から引用


土壙分布図 発掘調査報告書から引用

発掘調査報告書では土壙の一定量は墓坑であると推定しています。人骨の出土はないようです。


集石群分布図 発掘調査報告書から引用

発掘調査報告書では集石群で埋葬がおこなわれた形跡はなく、埋葬に関連した儀礼の場であった可能性が述べられています。具体的には洗骨の埋納時に単位集団ごとに定められた区域に集石を構築していたと推定しています。


出土土器分布図(Ⅲ~Ⅴ期) 発掘調査報告書から引用

多量の土器と石器が阿久遺跡から出土しています。発掘調査報告書では、土器が棄てられていない中央広場と土器が棄てられている集石群ゾーンなどの空間区分に着目して、土器廃棄という点で強固な規制が持続していたことに注目しています。


集落分布図 発掘調査報告書から引用

集石群・廃棄帯の外側に集落が分布します。

3 メモ

発掘調査報告書における解釈をまとめると、この遺跡を次のように理解できます。

・この遺跡は、近隣地域の親族を含めた広い範囲の集団の埋葬祭祀場所であった。

・中央広場にモニュメント(立石・列石)と祭祀建物(方形柱列)があった。中央広場はモニュメントと祭祀建物以外の利用はなかった。

・中央広場を囲んで埋葬場所(洗骨の埋納場所としての土壙)が多数存在した。

・埋葬場所(土壙)を囲んで、埋葬儀礼が行われる集石遺構が多数形成された。集石遺構では火を使った儀礼活動も行われた。

・集石群(環状集石群)域では大量の遺物が出土した。しかし、すべて破片で完形品はみられない。これらの遺物は宗教的儀礼にともない廃棄されたものと解釈できる。

・集石群(環状集石群)域は墓域(非居住地)と集落(居住地)を区画し、後世の「玉垣」や「賽の河原」的性格を持つ。

4 感想

4-1 環状集石群について

環状集石群が墓域と居住域を分ける「賽の河原」的性格を持つという発掘調査報告書記載から、環状集石群は現代「賽の河原の石積み」(ケルン)の始原形態であるかもしれないと空想しました。

逆にそのように考えると、環状集石群の意義がよく理解できます。

あの世(墓域)とこの世(集落)の中間地帯(環状集石群のゾーン)で石積みして故人を慰める活動が縄文前期にあったと想像します。

4-2 土器廃棄帯について

「賽の河原」という民俗用語に触発されて、「茶碗割り」という民俗用語を思い出しました。半世紀くらい前まで、(今でも?)、出棺の際に故人が使っていたお茶碗を玄関の床に叩きつけて割ります。故人とのお別れの儀式です。その茶碗割りの始原形態が縄文前期の廃棄帯活動だったのかもしれません。故人が使っていた土器をあの世とこの世の中間地帯で破壊して、あの世での故人の生活とこの世に生きる人々との区切りを明確にしたのだと思います。

[故人使用土器の儀礼的破壊]

阿久遺跡発掘調査報告書で思考された土器廃棄帯=故人使用土器の儀礼的破壊ゾーンという解釈は、各地に見られるいわゆる土器塚に当てはまると直観します。

有吉北貝塚北斜面貝層に顕著にみられる加曽利EⅡ式土器廃棄ゾーンも、印西市西根遺跡に広がる加曽利B式土器廃棄ゾーンもその土器破片を復元すると完形になってしまうものが沢山あり、不思議でした。また儀礼的空間であると直観できるのに、祭器土器はありません。これらの土器廃棄ゾーンは近くの場所(別の場所)で行われた故人の埋葬に関連して、故人が使用していた実用土器を儀礼活動として廃棄(破壊)した場所であると解釈すると、そのゾーンの諸特徴を統一した論理で整合的に説明できるようになります。


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