2024年10月12日土曜日

沼澤豊「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」学習

 Learning about "The so-called land division line of Ningyozuka Tomb in Chiba City" by Numazawa Yutaka


Based on the 24-part tumulus design principle elucidated by Numazawa Yutaka, the dimensions of Ningyozuka Tomb in Chiba City were revealed one after another. Based on this design principle, the design reference surface elevation was theoretically clarified from the excavated foot line topography. Numazawa's paper is an astonishing research result.


沼澤豊さんが解明した24等分値古墳設計原理に基づき、千葉市人形塚古墳の諸寸法が次々に明らかになりました。またこの設計原理に基づき、出土裾線地形から設計基準面標高が理論的に明らかになりました。沼澤論文は驚愕に値する研究成果です。

1 沼澤豊「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」について

沼澤豊「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」は千葉県教育振興財団文化財センター 2008 『研究連絡誌』に掲載された論文(ダウンロード可)です。千葉市人形塚古墳の地割線を学習する上で、発掘調査報告書に次いでもっとも重要な資料と考えられます。そこで、この論文についてじっくり学習することにします。なお、沼澤豊さんの次の著書・論文も随時参考にしながら学習を進めます。

沼澤豊「前方後円墳と帆立貝古墳」(2006、雄山閣)

沼澤豊「日本古墳の構造研究」(2011、早稲田大学博士論文)(早稲田大学リポジトリサイトからダウンロード入手)

2 古墳の概要と地割線

【概要】

・人形塚古墳は前方部を南西面させる前方後円墳で二重の周溝を伴う。周溝は例の少ない長方形周溝である。

・墳丘規模は、墳長は内溝下端でとらえると42.6m、上端では41.8m、後円部径は下端で27.2m、上端で26.6m、前方部前幅は復元推定28.4mと報告されている。

・いわゆる地割線(報告書※では「墳丘計画線」)は墳丘封土を除去後の黒色の旧地表面上に、幅20cmほどの黄褐色土面が帯状あるいは小ピット連続で検出された。深さは1~5cmで、黄褐色土は意図的に充填された可能性も考えられるという(報告書292頁)。

・後円部では2条の同心円状の地割線が確認され、内円は直径14.4m、外円はくびれ部にのみ残された円弧から25.2mと推定された。

・調査概要(※※)と報告書では、内円は墳丘第2段(上段)の基底(裾)を画し、外円は周溝(内溝)の掘り込み開始線、すなわち内溝の上端船を示す見解で一致している。

・くびれ部から前方部方向には4本の直線状の地割線が確認された。4本とも内円の外側を起点とし、内円には接しない。

・調査概要では、「前方部側面にそって走る直線状の地割線は前方部上段墳丘の上端稜線と一致する」として、「前方部上段墳丘の盛土作業と密接な関係があることは間違いない」と評価する。

・一方、報告書では、「前方部の墳丘構築に関わると考えられるが、現状の測量図とは合致していない」として、「盛土範囲を画する線とは考えにくい」(報告書294頁)と結論している。

※「千葉県教育振興財団調査報告544集 千葉県東南部ニュータウン35 -千葉市椎名崎古墳群B支群-」(平成18年3月、独立行政法人都市再生機構、財団法人千葉県教育振興財団)

※※ 笹生衛(1987):椎名崎古墳群・人形塚古墳発掘調査概要-人形塚古墳旧地表面上の地割線について-、千葉県文化財センター研究連絡誌第19号

【メモ】

・後円部の2条の地割線の意義は解明されていることが述べられています。

・前方部の4本の地割線が測量図と合致せず、発掘関係者の間でもその意義が定まっていないことがのべられています。

・地割線の意義検討という点では、前方部4本が課題となります。

3 後円部の地割線と当初プラン

3-1 主丘部直径について

【概要】

著者は主丘部(後円部)の直径はヤマト王権により規格体系が定められていることを明らかにしています。最初の基準である奈良県箸墓古墳の120歩(164.4m、一歩=1.37m)を基準に6歩(8.22m)刻みの規格値を序列に従い設け、中小規格ではさらに3歩(4.11m)刻みで微調整していたと明らかにしています。

著者は、報告書で記載された外円直径25.2mは径18歩(24.7m)の規格値に近いので、本来は径18歩に設定されてた可能性が高いことを述べています。

【メモ】

ヤマト王権により、当時辺境であった房総の首長層も王権にたいする貢献度が査定され、それにより3歩(4.11m)刻みで中小古墳も序列化されていたことは驚きです。

3-2 設計の基準単位

【概要】

著者はこれまでの研究で、古墳は主丘部直径の24分の1の長さ(24等分値)を基準単位として設計されていることを明らかにしています。

半径を12単位に分割し、墳丘格段の裾や肩の線の半径を単位数で決定し、前方部長や幅、周溝の幅なども同じ基準単位によって決定していることを明らかにしてきています。

【メモ】

古墳主丘部規格が決定されると、その規格の24等分値が設計全ての基準になるとことが明らかにになったことは驚愕に値することです。

現代人の感覚でいえば、土木設計はmとかcmとかのスケールを利用して行うものと考えます。しかし、古代にあっては、社会的序列により古墳規格序列が定まると、その規格の24等分値がスケールになります。古墳築造現場の人々は歩とか尺というスケールではなく、24等分値がスケールになっていたということです。尺と歩の煩雑な換算(6進法)も不用になります。

人形塚古墳の24等分値(=1単位)は0.75歩(1.0275m)になります。この長さを基準として、1倍、2倍、3倍、5倍などの棒や板や紐がつくられ、現場での位置決めに使われたのだと思います。現場では単位の整数倍だけが使われるのですから、人夫に対する指示も効率的にできます。

3-3 人形塚古墳企画図

【引用】


人形塚古墳企画図

【メモ】

24等分値で古墳各部が設計された様子がわかる企画図です。図面の24等分値は後円部径を18歩(24.7m)としたとき設定です。なお、本来は半径を12等分するべきところですが、そうすると図面が煩雑になるので、この図では半径を6等分で示しているのだと考えます。

外円は半径12単位目の円周に一致し、内円は半径7単位目の円周によく一致しています。横穴式石室は半径8単位目と12単位目の円周間に収まっています。

3-4 沼澤豊作成人形塚古墳企画図の3Dモデル投影

【自作】

沼澤豊氏作成人形塚古墳企画図の3Dモデル投影

古墳等高線図からQGIS(GRASSプラグインのv.surf.rstツール)でDEM(0.5m×0.5m)を生成し、それにより作成した3Dモデルに、テクスチャとして沼澤豊作成人形塚古墳企画図を貼り付けたもの

垂直比率:×3.0

3DF Zephyr v7.531でアップロード


3Dモデルの画像


3Dモデルの動画

沼澤豊氏作成人形塚古墳企画図を3Dモデルに投影して、沼澤豊「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」の学習を深めることにします。高さ関係を理解・計測しやすくするために、垂直比率を3倍にデフォルメしています。

3-5 内円の意義

【引用】

「地割線の内円に関しては、報告者の見解のとおり墳丘第2段の裾線を示し、封土を高く盛り上げる範囲を明示していることは間違いない。

まず中央墳丘を高く盛り上げ、次いで墳丘第1段を横穴式石室設置後に積み上げるという構築手順がとられたのは明らかである。

石室天井石は、奥壁の上に載った部分がわずかに残り、その上面は旧表土より50cmほと高いから、これを被覆するための墳丘第1段は1単位(1.03m)程度の高さに仕上げられたものと思われる。前方部の横断面図からも墳丘第1段の高さがこの程度だったことが納得される。

第1段の斜面幅を推定する情報はないが、あまり急勾配に仕上げられていなかったとみて2単位の幅と考えておくのが無難であろう。テラスの幅は3単位となり、埴輪群像をおくには十分な幅が確保されていると言えよう。」

【検討】

●後円部付近の裾線の標高と古墳設計基準面

墳丘第1段が1単位(1.03m)程度の高さに仕上げられたということは理解できますが、沼澤さんが理解した標高は違っているようです。

沼澤さんは基準面を36.5m(報告書で36.5m付近に旧地表面があると記述しているによる)と捉え、それに1単位を足すと37.5mになります。ところが後円部の内円の高さは37.2m付近です。0.3m程足りません。しかし、前方部でテラスが終わる付近では墳丘第2段の裾線高さは37.5m付近になります。その様子をみて、沼澤さんは「前方部の横断面図からも墳丘第1段の高さがこの程度だったことが納得される。」と書いたのだと思います。

沼澤さんは横穴式石室設置付近を含めて、後円部でも墳丘第2段の裾線高さは37.5m付近と考えています。しかし、現実の後円部における墳丘第2段の裾線高さは37.2m付近です。この0.3mの差は作図等の誤差ではなく、有意な差であることは明白です。

私は、沼澤さんが古墳設計基準面を発掘調査報告書が記載した旧地表面標高36.5m付近を利用したために間違ってしまったと考えます。


参考図 等高線の値

図面に表示される後円部における墳丘第2段の裾線高さ37.2mは間違いの少ない数値といえます。それはこの地形が埋没することはあっても削られる可能性がほとんどないことによるからです。


墳丘第2段の裾線が築造時形状を保っている理由

この古墳における施工基準面(※)は墳丘第2段裾線高さを出発基点として復元されるべきものと考えます。

墳丘第2段裾線高さ37.2mから出発すると、1単位下の36.2m付近が施工基準面となります。

前方部墳丘第2段の裾線が37.5m付近にあるのは、3Dモデルでの検討で、裾線が完全に水平ではないことに起因していると考えられますが、それは追って検討を深めることにします。

※施工基準面 著者は施工基準面(掘り込み開始面)と墳裾面(墳丘規模が示される面)を分けていて、人形塚古墳は施工基準面と墳裾面が一致する新たな類例としています。しかし、地割線が描かれた旧表土(36.5m)と墳裾面(36.2m)は30㎝の差があり、有意の差と考えられます。施工基準面と墳裾面は一致しません。

●第1段斜面幅とテラスの幅

3Dモデルを観察すると、第1段斜面幅2単位、テラス幅3単位がものの見事に当たっていることが理解できます。

【感想】

沼澤さんはこれまでの研究で古代における24等分値古墳設計原理を明らかにしました。その古墳設計原理に基づき、千葉市人形塚古墳の諸寸法が次々に明らかになりました。またこの設計原理に基づき、出土した墳丘第2段裾線地形から設計基準面が理論的に明らかになったことは驚愕に値することです。

沼澤さんの24等分値設計理論の秀逸さに驚き、また古墳平面形状の合理的理解が進むので、感謝の気持が湧いてきます。


つづく


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