2021年10月19日火曜日

八千代市立郷土博物館「らくがく縄文館」観覧

 八千代市立郷土博物館で開催されている「らくがく縄文館-縄文土器のマナビを楽しむ-」(主催:公益財団法人千葉県教育振興財団)を観覧してきました。

1 らくがく縄文館の趣旨

らくがく縄文館はいただいたパンフレット等によると次のような趣旨で開催されている事業です。

「研究者や芸術家をはじめ、多くの人々を魅了し続ける「縄文土器」。その研究テーマは、土器型式や地域性、文化、製作技法などの考古学に関わるものから、芸術的観点からみた造形美など、きわめて多岐にわたり、数多の「マナビ」を秘めています。令和3年度の出土遺物公開事業では、“えりすぐり”の縄文土器を県内外から集結させ、一挙大公開します。「らくがく縄文館」で縄文土器が秘めた「マナビ」に楽しみながら触れてみてください。」

千葉県出土縄文土器の優品を一挙に公開して縄文土器に興味を持つ市民に楽しんでもらう、学習してもらうという趣旨です。

2 展示の様子


入り口


展示の様子

次の5つの章に分かれて300の縄文土器が展示されています。説明パネルも大変充実しています。

第1章 縄文土器の美妙

第2章 縄文土器のライフサイクル

第3章 土器型式と標式遺跡

第4章 土器型式の移り変わり

第5章 土器型式から見る地域性と文化の広がり

3 最初に興味をもった土器

最近の自分は縄文土器そのものだけでなく「縄文時代と鳥との関係」とか「土偶」とかについても興味があります。そうした興味から、まず探したのが鳥関連土器です。ありました「鳥頭形突起付土器」。土器に鳥が付いた様子は初めてみるので感激です。


鳥頭形突起付土器(加曽利EⅣ式)印西市馬込遺跡

鳥頭形突起も4つ展示されています。


鳥頭形突起(すべて加曽利EⅣ式)

土偶そのものの展示はありませんが、縄文後晩期土器の顔面貼付文は興味が深まります。


土器内面の顔面貼付文(加曽利B式)鎌ヶ谷市中沢貝塚

勝坂式土器もいままで見たことがないものばかりで興味が深まります。


深鉢(勝坂Ⅰ式)市川市鳴神山A貝塚


動物意匠文付土器(勝坂Ⅲ式)船橋市ユルギ松遺跡

異形台付土器も初めて見る器形のものがあり視線が釘付けになります。


異形台付土器(加曽利B3式)佐倉市宮内井戸作遺跡

興味のあるものについて3Dモデル作成用撮影をしていたら4:30閉館のメロディーが流れました。

4 配布資料

パンフレット2点、展示物リスト、しおりをいただきました。パンフレットは1冊の内容充実図書です。お土産(しおり)付きとはうれしいかぎりです。


パンフレット2点


展示物リスト、しおり

5 感想

らくがく縄文館はまるで自分の興味の対象を知っている人が、それに合わせて展示したような錯覚をおぼえる大変うれしい展示です。主催者の公益財団法人千葉県教育振興財団と八千代市立郷土博物館に感謝感謝です。

八千代市立郷土博物館における開催期間は10月16日~12月5日ですからまだ1ヵ月半あります。八千代市立郷土博物館は車で自宅から10分の至近距離にある博物館です。またとないラッキーチャンス到来です。多数回訪問して興味のある土器について観察を楽しみ、できるだけ多数について観察記録3Dモデルをつくりたいと思います。


2021年10月18日月曜日

垂飾(ペンダント)スタンプ状土製品(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

 加曽利貝塚博物館で開催中の特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されている垂飾(ペンダント)スタンプ状土製品の3Dモデルを作成して観察して感想をメモしました。

1 垂飾(ペンダント)スタンプ状土製品(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

垂飾(ペンダント)スタンプ状土製品(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

縄文後晩期

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.10.07


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.009 processing 71 images


3Dモデルの動画

2 感想

「判面」が白っぽく、握りの部分が黒くなっています。黒い部分が本来のこの土製品の色で、白っぽい部分は被熱の結果ではないかと推定します。

この1製品だけの特徴でスタンプ状土製品が何を目的とするものか判断するのは冒険であるといえます。しかしせっかくですから冒険して楽しむことにします。

このスタンプ状土製品は炉で「判面」を熱して皮膚に押し付けて火傷を起こし、結果として模様のある瘢痕傷身(盛り上がった傷跡…ケロイド)を生じさせる身体変工の道具であると想像します。イレズミだけでなく瘢痕傷身(盛り上がったケロイド)が一緒に行われることは未開社会では極一般的です。


展示説明写真

展示説明写真の例をよく見ると、「判面」模様パターンが幾つかに分類できて「系統」があるような印象を受けます。スタンプによる瘢痕傷身は集落とか家族とかの小グループの識別の意味があるのかもしれません。あるいは大きな火傷に耐えるだけの資質を証明する印であり、つまりリーダー(=社会的地位の高さ)の印としての瘢痕であったのかもしれません。

もしスタンプ状土製品が瘢痕傷身の道具であったとすれば、縄文後晩期には身体変工として少なくとも抜歯、耳朶穿孔肥大化、イレズミ、瘢痕傷身が行われていたことになります。(2021.10.19追記 ペニスも身体変工の対象であったと石棒の様子から推定します。2020.09.15記事「メモ 石棒先端装飾意味と身体変工」)


2021年10月17日日曜日

ヨルダン切手 アイン・ガザルの像

 世界最初の土偶を図案とした考古学切手といえるものを紹介します。


ヨルダン切手 2004 アイン・ガザルの像

Wikipediaアイン・ガザルの像(英語Ain Ghazal statues)に詳しい説明があります。

漆喰とアシでつくられた像で、先土器新石器時代C期の時代のもので8500年前から9200年前まで遡ります。人間の姿を実際に近い大きさで表現した最初期の例です。15の全身像と15の胸像が発見されています。


切手図案と同じ像の写真

Wikipedia Ain Ghazal statues から引用


像のバリエーション

Wikipedia Ain Ghazal statues から引用


アインガザルの位置

Wikipedia Ain Ghazal statues から引用

●感想

・8500年前から9200年前頃は日本では縄文時代早期で、その頃の土偶には顔はありません。土偶も手のひらに隠れる小さなものです。そのころユーラシア大陸で1m以上ある土偶がつくられ、これほど目鼻がクッキリ描かれていることに驚きます。交流が活発な大陸と交流から隔絶された辺境の島では文化変化のスピードが全く異なることを今更ながら思い知らされます。

・この切手は2021年7月に切手の博物館企画展「切手de考古学」を観覧したさい、売店で購入したものです。

・目打ちがなく切手感が生まれないので残念です。


ミミズク土偶(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

 加曽利貝塚博物館で開催中の特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されているミミズク土偶の3Dモデルを作成して観察しました。

1 ミミズク土偶(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

ミミズク土偶(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

縄文後晩期

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.10.14


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.009 processing 56 images


3Dモデルの動画

2 メモ

顔面と両耳輪とおでこの一部が赤彩されています。この土偶では顔が最も重要な要素であったようです。発生期土偶は顔はなく、顔がうまれても小さく、後晩期になると顔を含む頭がだんだん大きくなります。この一連の変化だけみても、土偶に関わる宗教的観念は大いに変化していることが推測できます。


参考 山形土偶からみみずく土偶への変化に関する記述の理解

設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)掲載図に加筆


2021年10月16日土曜日

ガリー侵食域貝塚の貝層と出土土器型式の関係

 有吉北貝塚北斜面貝層における貝層(地層)層準と出土土器型式の関係を発掘調査報告書データを分析しながら学習しています。

2021.10.05記事「同一貝層断面における土器形式の上下逆転現象」で下の貝層(地層)から出土する土器片の型式が上の貝層(地層)から出土する土器片の型式より新しい例があることを認識しました。地層の新旧と土器形式新旧が見かけ上逆転します。この理由は、北斜面貝層ではガリー侵食が盛んであるとともに貝や土器の投棄も継続して盛んであるため、下流に行くほど上流で侵食された過去貝層(過去の土器が含まれる)が運ばれてきて二次堆積するためであると考えました。この記事ではこの考え方を整理してチャートに表現し、その考え方で第11断面の貝層と土器型式(実際は土器群)の関係を観察してみました。

1 ガリー侵食上流域を持つ貝塚の貝層と出土土器型式の関係(作業仮説)


ガリー侵食上流域を持つ貝塚の貝層と出土土器型式の関係(作業仮説)

貝・土器投棄と侵食が絶えず繰り返されるガリー侵食上流域を持つ貝塚では貝層(地層)にそれが堆積した時期よりも古い型式の土器が含まれることが一般的であると考えます。例えば、出土土器形式で最も新しいものがd型式であった場合、その貝層は「少なくともD期よりも新しい貝層である」といえます。同時に、e型式・f型式土器が見つからなければD期が貝層堆積時期である可能性が強まります。こうした情報から貝層の堆積時期推定をある程度絞り込むことが可能になると考えます。

2 第11断面のケーススタディ

第11断面を対象にして、測線から1m以内で出土した土器片の位置を断面図にプロットしました。


第11断面に土器片をプロットする作業図

第11断面には24の土器片がプロットされました。このプロット図に発掘調査報告書の貝層発達区分(第1段階→第4段階)を記入して示したものが次の図です。


第11断面における土器片の出土場所

浅鉢は時期が特定されていないので、ここでの検討から除外します。(※)

第1段階から出土する土器は浅鉢を除いて第1~6群です。第2段階~第4段階から出土する土器のうち最も新しいものは全て第12群です。

この情報を1で設定した作業仮説で解釈すると、第1段階の貝層は第1~6群(阿玉台式・中峠式)期に形成された可能性を考えることができ、第2段階以降の貝層は全て第12群(加曽利EⅢ式)期に形成されたと考えることができます。

つまり、第11断面では貝層は大きく2分され、集落最初期と集落終末期に形成され、集落終末期(加曽利EⅢ式)に純貝層を含むきわめて活発な貝層形成があったことになります。

追記 2021.10.19

この記事における検討は分析操作結果(出土物断面プロット結果)をそのまま考察しています。実際は出土物は断面測線から最大1m離れていますから、その遺物のみかけの出土層準と実際の出土層準が異なっている場合があり得ます。また各種誤差(発掘調査における遺物位置・高さ計測の精度、作図精度、今回分析作業精度)の問題もあり得ます。これらの問題を克服するためには、1 断面測線により近い遺物に検討対象を絞る、2 全断面のデータを統計的方法で見直して遺物時期と出土層準の関係を再構成するの二つの方法を検討する必要があると考えます。


参考 第11断面の詳細情報

※浅鉢出土について

発掘調査報告書における第1段階範囲設定は再検討が必要であるように感じています。具体的にはガリー流路の部分とそれ以外の谷底を埋める部分では、形成営力が異なり、また時期も異なると推測され、2分することが必要であると考えます。浅鉢はガリー流路から出土していて、第1~6群より新しい可能性があります。今後詳しく検討します。

2021年10月14日木曜日

土偶(市原市根田祇園原貝塚)1 観察記録3Dモデル

 加曽利貝塚博物館で開催中の特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されている土偶の一つに顔が星形のように見えるものがあります。この土偶の3Dモデルを作成して観察し、感想をメモしました。

1 土偶(市原市根田祇園原貝塚)1 観察記録3Dモデル

土偶(市原市根田祇園原貝塚)1 観察記録3Dモデル

縄文後晩期

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.10.07


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.009 processing 30 images


3Dモデルの動画

2 メモ

ア 山形土偶の一種であると見立てました。耳と頭を別々に表現したので結果として星形になったのだとおもいます。

イ 同じ土偶でも時間をかけてかつ造形スキルを投入して丁寧につくったものと、あまり時間をかけないで粗く作ったものがあり、この土偶は後者のような感じをうけます。土器に精製土器と粗製土器があるのと同じように、土偶にも現代人が優品と呼ぶような「精製土偶」と多数出土する「粗製土偶」があり、その使われ方が違っていたのかもしれません。

ウ 他の土偶と異なり口を特段に大きく開いています。この土偶を作った縄文人は意図(観念)があって口を大きく表現していると考えます。それが何か妄想が妄想を生みます。

エ 口下の喉の割れたところに白い粒状の素材が見えます。ツキノワグマの三日月模様みたいな印象を受けます。山形土偶ではこの部分に刺突文があるところです。写真が不鮮明でそれが何であるか判りませんが、なぜそれがあるのか知りたくなります。→追記 Twitter脇舞えない数羊さんから指摘があり発掘後の注記であるとのことでした。確かにそのとおりです。凸凹したところに長く書いてあり、字として読めないので勘違いした次第です。


2021年10月13日水曜日

破砕イボキサゴ 観察記録3Dモデル

 加曽利貝塚博物館常設展に展示されている破砕イボキサゴについて観察記録3Dモデルを作成し、破砕片にふくまれる大形破片から殻径を計測推定してみました。

1 破砕イボキサゴ 観察記録3Dモデル

破砕イボキサゴ 観察記録3Dモデル


破砕イボキサゴ展示の様子

撮影場所:加曽利貝塚博物館常設展

撮影月日:2021.10.07

ガラスショーケース越しに撮影

実寸法付与

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.009 processing 55 images


3Dモデルの動画

2 展示説明

「破砕イボキサゴ 貝層中に堆積していたこのイボキサゴは、細かく砕かれた状態で発見され、分析の結果、通常のものに比べて小さく、幼貝を選んで破砕していたことが判明しました。ここまで細かく破砕した理由はなんだったのか、縄文人の貝利用を知る手がかりになりそうです。」

3 大形破片による殻径の推定

破砕イボキサゴの中には殻径を測ることができるような大形破片があります。そこで3Dモデルから殻径測定可能と考えられる5つの大形破片から殻径を測定したところ、その平均値が9.7㎜となりました。

この値は史跡加曽利貝塚総括報告書に掲載されている破砕イボキサゴ推定殻径値の中央値に近い値です。現物測定でこれまでの知見(通常イボキサゴより破砕イボキサゴは4㎜ほど小さい)を直接確認することができました。


イボキサゴ殻径頻度分布の比較
通常のイボキサゴより小さい幼貝が取れた時(幼貝しか取れなかった時)、殻が割れる程度に弱いので、割って実をとりだしたのだと思います。効率的に実をとりだすことができます。成貝では殻が固く割ることはできません。


2021年10月12日火曜日

スロベニア切手 旧石器時代のフルート

 いかにも考古学切手っぽい考古学切手を入手しましたので紹介します。


スロベニア切手 2007 旧石器時代のフルート

Wikipedia「古代の音楽」では次のように紹介されている「旧石器時代のフルート」を図案にした切手小形シートです。

…………………

世界最古の笛

もっとも古い笛と考えられているものは、1995年、スロベニア芸術科学アカデミーのスロベニア人古生物学者イヴァン・テュルクによってスロベニアのDivje Babe1号窟で発見されたもので「ネアンデルタール人の笛」として議論されている。これは43000年前の中期旧石器時代までさかのぼると考えられている。これは中空になった子供のアナグマの大腿骨であり、いくつかの穴があいていた。これが純粋に楽器なのかそれとも肉食動物が噛んでできた単なる骨なのか現在も議論が続いている。

Wikipedia「古代の音楽」から引用

…………………

ネアンデルタール人がフルートという楽器を発明してそれにより音楽を楽しんでいたのか?webではただの骨説が優勢になっているような印象を受けます。


アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)

 加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」に展示されているアホウドリ骨製垂飾(ペンダント)をみて、いろいろな感想が生まれましたのでメモします。

1 アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)


アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)

アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)は、特別展「よそおい」コーナーに他の動物骨製製品と一緒に展示されています。

2 アホウドリは祇園原貝塚付近で獲れたか

アホウドリというと乱獲で絶滅したと考えられたのが1951年に鳥島で発見されました。その後保護繁殖活動が進み、現在では鳥島や尖閣諸島などで5000羽程度生息していると推定されています。南海の孤島で行われる保護繁殖活動がたびたびニュースになります。そのアホウドリが縄文時代後期に市原市付近で獲れたのか興味が深まり、調べてみました。


市原市祇園原貝塚の位置

Google earth proによる


市原市祇園原貝塚の位置

Google earth proによる

次の資料は「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」掲載資料です。


山の幸-鳥・獣- 4000~3500年前(縄文時代後期前半)

「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

市原市祇園原貝塚の近隣でほぼ同時代の西広貝塚でアホウドリ(l)が検出されています。房総南端の館山市ではアホウドリ(l)が1/4ほどの割合をもって検出されています。この情報から房総南端縄文人の活動圏内にアホウドリが生息していたことが推察できます。そうであれば、祇園原貝塚の人々が東京湾口付近まで海漁遠出をすれば、あるいは近隣交易により比較的たやすくアホウドリを入手できたことが推察できます。縄文後期の市原縄文人にとってアホウドリは珍しいけれども入手可能なタンパク源の一つだったようです。

3 アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)の意味

アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)は一緒に展示されているカモの骨、オオカミの骨、タヌキ犬歯、ゴカイの棲管、サメ椎骨、タヌキの犬歯、イヌ歯、イノシシの骨(赤彩)、イノシシ牙、シカ角、ウミガメ骨製などの垂飾(ペンダント)とくらべてどのような価値があったのでしょうか?

イノシシの骨製垂飾(ペンダント)に赤彩がほどこされていることから、これの価値が高かったことは判ります。しかし、他のモノの間の相対的価値関係は判りません。一般論としては、珍しい動物素材にそれぞれ一定の価値があったように想像できます。ゴカイの棲管(現生?化石?)まで製品になっています。有吉北貝塚では生き物ではありませんが高師小僧(土中に出来た褐鉄鉱のチューブ)が朱塗り穿孔されて北斜面貝層から出土しています。

想像を加えれば、アホウドリの骨利用は単に珍しい鳥ということではなく、大きな羽根を広げて海洋の上を雄大に飛ぶ姿に一種の霊力を感じたからこそ、それを肌身につける装飾品にしたのだと思います。おそらく「きれいに身を飾る」という現代風観念はなく、「アホウドリの雄大な飛翔力(霊力)を自分に取り込む」という観念が働いていたのだと思います。

(現在ははやりませんが、例えばワニ皮ハンドバックはワニの強さにあやかろうという観念が最初の製品化出発点にあり、それが隠れた原動力となり流行ったのだと推測します。ヒョウ柄衣類の流行も同じようにヒョウの俊敏な狩猟力にあやかろうという観念が背後にあると考えます。)

4 四季のカレンダー

「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」には次の四季のカレンダーと説明が掲載されています。説明にはアホウドリの写真が掲載されています。


四季のカレンダー

「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

(鳥の絵とイボキサゴの絵が出てこないのが残念)


四季のカレンダー説明

「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

鳥は獣類とくらべるとタンパク源としてはその役割は小さいようですが、重要な狩猟対象であったことに間違いありません。もしかしたら、縄文時代の鳥の意義についてこれまでの考古学は過小評価しているかもしれません。

食料としての鳥のほか、鳥の羽根や骨の利用、鳥にかかわる祭祀などについて知識を吸収していくことにします。


2021年10月11日月曜日

土偶学習の発起

 これまでの縄文学習でいつの間にか土偶に興味を持つようになり、展示土偶の3Dモデルも多数作成してきました。また土偶に関する自分の不確かな知識や思考(妄想)を展示土偶に投影して楽しんできました。しかし、いくら趣味活動とは言っても何年も進歩が無ければつまらなくなります。そこで一念発起して土偶学習を多少本格的・体系的にして、土偶観察活動を少し深いところから楽しむことにしました。

本格土偶学習を展開するために当座、土偶専門書を入手して専門基礎知識を入手することにします。

この記事では手元にある図書を読んでその感想をメモするとともに、自分の土偶問題意識を洗い出してみました。

1 手元にある図書の感想

1-1 国立歴史民俗博物館研究報告第37集「土偶とその情報」(1992)


国立歴史民俗博物館研究報告第37集「土偶とその情報」(1992)


国立歴史民俗博物館研究報告第37集「土偶とその情報」(1992)ページ例

30年前の報告書ですが現在土偶研究の出発点となった研究報告書のようです。今回はこの報告書に掲載されている土偶実測図約1600を全部眺めてみました。


国立歴史民俗博物館研究報告第37集掲載土偶実測図の数

土偶というものの形の差異がどの程度であるのか、また地理的分布の概要がどうなっているのか、ある程度感覚的に知ることができました。この感覚は最新情報とあまり違わないようです。

1-2 原田昌幸「日本の美術2 No.345土偶」(1995、至文堂)


原田昌幸「日本の美術2 No.345土偶」(1995、至文堂)

国立歴史民俗博物館研究報告第37集の成果に基づいて縄文土偶の全体像とその分類、研究成果をまとめたようなとても判りやすく、かつ専門性のある図書という印象を受けます。この図書をじっくり読み、縄文土偶の全体像を自分なりに把握できました。

1-3 長野県立歴史館開館25周年記念特別企画「土偶展」(2019、信毎書籍出版センター)


長野県立歴史館開館25周年記念特別企画「土偶展」(2019、信毎書籍出版センター)

日本の土偶の全体像がわかるような企画展であり、本書は専門家の判りやすいコメントも掲載されていて、また図版がきれいであり手元から離したくありません。

1-4 三上徹也「縄文土偶ガイドブック」(2014、新泉社)


三上徹也「縄文土偶ガイドブック」(2014、新泉社)

読み直してみると自分の現在問題意識とダブル記述もあり2年程前の購入時とは別の印象を受ける図書です。

1-5 安孫子昭二「縄文中期集落の景観」(2011、アム・プロモーション)


安孫子昭二「縄文中期集落の景観」(2011、アム・プロモーション)

縄文中期の多摩丘陵北部から相模野台地北半に分布する背面人体文土偶研究報告ですが、その頃の時代、千葉では土偶が出土しないので対照情報として関心を持ちます。また本書から土偶研究に関する文献情報をいくつか入手しました。

1-6 設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)


設楽博己「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)

本書は主に弥生時代の顔の考古学ですが、縄文土偶のイレズミ線刻を立証している点で参考になります。

2 今後の学習

当座は土偶や縄文祭祀に関連する専門図書を入手して、基礎知識として学習することにします。

また博物館等で展示されている土偶の3Dモデルを作成して、観察することにします。

3 土偶に関する問題意識

学習の進展に従い土偶問題意識も変化すると思いますが、現在の土偶問題意識(興味)をメモしておきます。

・「その時期の社会に流布している神話に登場する神の姿を、妊娠女性に投影して(擬人化して)造形したものが土偶である」という想定の蓋然性。

・神話の内容を垣間見る手立てはないか。

・加曽利E式土器の頃、土偶がある社会とない社会の棲み分けが地理的に存在した。何故か。

・土偶祭祀と石棒祭祀はどのような関係になっているのか。

・土偶破壊行為の背後に生贄を必要とする社会風潮があったという想定の蓋然性。

・土偶文様に女神残酷殺害の意味が込められているという想定の蓋然性。