有吉北貝塚北斜面貝層の同一土器破片の出土層準の特性を検討しています。
この記事では294土器(加曽利EⅡ式土器)と395土器(加曽利EⅢ式土器)の出土層準が逆転する貝層断面があり、予定調和的結果にならなかったので、その理由を考察します。
1 294土器と395土器の出土層準略推定
1-1 294土器(加曽利EⅡ式土器)の出土層準略推定
2021.09.26記事「294土器破片の分布と出土層準 上流部編」に上流部を、2021.09.29記事「294土器破片の分布と出土層準 下流部編」に下流部をまとめてあります。
1-2 395土器(加曽利EⅢ式土器)の出土層準略推定
2021.09.07記事「有吉北貝塚北斜面貝層 395土器(加曽利EⅢ式有孔鍔付土器)の出土層準」に下流部をまとめてあります。
上流部の出土層準略推定結果は次の通りです。
作業図
平面図には395土器破片5つが載っていますが、投影断面図では2つの情報が欠落しています。
395土器破片の出土層準略推定結果
2 294土器と395土器の出土層準略推定図の対比
294土器と395土器の出土層準略推定図の対比
第5断面、第11~13断面の4断面に294土器と395土器の出土層準略推定結果がでていますので、その結果を次に検討します。
3 294土器と395土器の出土層準略推定結果対比
3-1 第5断面
第5断面 土器片出土層準略推定
294土器(加曽利EⅡ式土器)が下の層準に、395土器(加曽利EⅢ式土器)が上の層準に位置します。この断面で加曽利EⅡ式期→加曽利EⅢ式期に混土貝層が堆積したと考えられます。
3-2 第11断面
第11断面 土器片出土層準略推定
294土器(加曽利EⅡ式土器)が下の層準に、395土器(加曽利EⅢ式土器)が上の層準に位置しますがその差はわずかです。第11断面付近では加曽利EⅡ式期→加曽利EⅢ式期の期間に堆積した混土貝層は絶えず侵食されて残った分はわずかだったのだと推定します。
395土器破片は高い場所にも投げられ、その1つが発掘調査の表土掘削工事などで表土に混じってしまい、表土から出土したと考えます。
3-3 第12断面
第12断面 土器片出土層準略推定
294土器(加曽利EⅡ式土器)が上の層準に、395土器(加曽利EⅢ式土器)が下の層準に位置し、土器年代と層準が矛盾します。予定調和的検討とはなりませんでした。貴重な情報がこの矛盾に見える現象に隠されている直観します。
次のような作業仮説を立案して、この矛盾を解消します。
「395土器(加曽利EⅢ式土器)が堆積した後、上流で294土器(加曽利EⅡ式土器)を含む貝層が侵食され、運搬されてきて第12断面付近で堆積した。」
第12断面の294土器(加曽利EⅡ式土器)破片は二次的堆積物であり、それを含む貝層は294土器が破壊された時点のものではないということになります。
3-4 第13断面
第13断面 土器片出土層準略推定
294土器(加曽利EⅡ式土器)が上の層準に、395土器(加曽利EⅢ式土器)が下の層準に位置し、土器年代と層準が矛盾します。この断面でも予定調和的検討とはなりませんでした。
第12断面と同様に次のような作業仮説を立案して、この矛盾を解消します。
「395土器(加曽利EⅢ式土器)が堆積した後、上流で294土器(加曽利EⅡ式土器)を含む貝層が侵食され、運搬されてきて第12断面付近で堆積した。」ただし294土器破片の左岸寄りのものはその平面位置から上流から流されてきたと考えることには無理がありますから、別の要因を考える必要がありそうです。もともと高い場所に投げられて、それが第13断面に投影されたのかもしれません。
4 メモ
第12断面と第13断面では395土器(加曽利EⅢ式土器)が堆積した後、上流で294土器(加曽利EⅡ式土器)を含む貝層が侵食され、運搬されてきて第12断面付近で堆積したと考えます。このことから第12断面と第13断面より上流部に294土器(加曽利EⅡ式土器)破片を含む貝層を侵食するゾーンが存在していたことになります。加曽利EⅢ式期でも当該ガリーは侵食作用が活発であったことが判ります。侵食作用が活発であったゾーンの場所は第5断面より上流であり、おそらく谷頭部であったと想像しますが、今後さらに検討します。
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