2021年10月12日火曜日

アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)

 加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」に展示されているアホウドリ骨製垂飾(ペンダント)をみて、いろいろな感想が生まれましたのでメモします。

1 アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)


アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)

アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)は、特別展「よそおい」コーナーに他の動物骨製製品と一緒に展示されています。

2 アホウドリは祇園原貝塚付近で獲れたか

アホウドリというと乱獲で絶滅したと考えられたのが1951年に鳥島で発見されました。その後保護繁殖活動が進み、現在では鳥島や尖閣諸島などで5000羽程度生息していると推定されています。南海の孤島で行われる保護繁殖活動がたびたびニュースになります。そのアホウドリが縄文時代後期に市原市付近で獲れたのか興味が深まり、調べてみました。


市原市祇園原貝塚の位置

Google earth proによる


市原市祇園原貝塚の位置

Google earth proによる

次の資料は「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」掲載資料です。


山の幸-鳥・獣- 4000~3500年前(縄文時代後期前半)

「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

市原市祇園原貝塚の近隣でほぼ同時代の西広貝塚でアホウドリ(l)が検出されています。房総南端の館山市ではアホウドリ(l)が1/4ほどの割合をもって検出されています。この情報から房総南端縄文人の活動圏内にアホウドリが生息していたことが推察できます。そうであれば、祇園原貝塚の人々が東京湾口付近まで海漁遠出をすれば、あるいは近隣交易により比較的たやすくアホウドリを入手できたことが推察できます。縄文後期の市原縄文人にとってアホウドリは珍しいけれども入手可能なタンパク源の一つだったようです。

3 アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)の意味

アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)は一緒に展示されているカモの骨、オオカミの骨、タヌキ犬歯、ゴカイの棲管、サメ椎骨、タヌキの犬歯、イヌ歯、イノシシの骨(赤彩)、イノシシ牙、シカ角、ウミガメ骨製などの垂飾(ペンダント)とくらべてどのような価値があったのでしょうか?

イノシシの骨製垂飾(ペンダント)に赤彩がほどこされていることから、これの価値が高かったことは判ります。しかし、他のモノの間の相対的価値関係は判りません。一般論としては、珍しい動物素材にそれぞれ一定の価値があったように想像できます。ゴカイの棲管(現生?化石?)まで製品になっています。有吉北貝塚では生き物ではありませんが高師小僧(土中に出来た褐鉄鉱のチューブ)が朱塗り穿孔されて北斜面貝層から出土しています。

想像を加えれば、アホウドリの骨利用は単に珍しい鳥ということではなく、大きな羽根を広げて海洋の上を雄大に飛ぶ姿に一種の霊力を感じたからこそ、それを肌身につける装飾品にしたのだと思います。おそらく「きれいに身を飾る」という現代風観念はなく、「アホウドリの雄大な飛翔力(霊力)を自分に取り込む」という観念が働いていたのだと思います。

(現在ははやりませんが、例えばワニ皮ハンドバックはワニの強さにあやかろうという観念が最初の製品化出発点にあり、それが隠れた原動力となり流行ったのだと推測します。ヒョウ柄衣類の流行も同じようにヒョウの俊敏な狩猟力にあやかろうという観念が背後にあると考えます。)

4 四季のカレンダー

「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」には次の四季のカレンダーと説明が掲載されています。説明にはアホウドリの写真が掲載されています。


四季のカレンダー

「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

(鳥の絵とイボキサゴの絵が出てこないのが残念)


四季のカレンダー説明

「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

鳥は獣類とくらべるとタンパク源としてはその役割は小さいようですが、重要な狩猟対象であったことに間違いありません。もしかしたら、縄文時代の鳥の意義についてこれまでの考古学は過小評価しているかもしれません。

食料としての鳥のほか、鳥の羽根や骨の利用、鳥にかかわる祭祀などについて知識を吸収していくことにします。


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