鏡味完二の地名型「ベ(部)」地名の検討をしてきましたが、房総では語尾「ベ(部)」をわざわざ指標とするような回りくどい方法をとる必要がないほど部民の研究が進んでいるようです。
そこで、「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)掲載「表3 房総の部民」をもとに部民と古代地名(郷名)の関係について学習してみました。
「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)掲載「表3 房総の部民」には78の部民について、その区分、所在、所有者等が詳しく整理されています。
「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)掲載「表3 房総の部民」の一部
「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)から引用
このデータを使って、部民と和名抄にみえる同名の郷との関係について把握することにより、部民の学習をしました。
房総の部民を一覧にすると次のようになります。
房総の部民一覧
これらの部民の多くは複数の郡・郷でその存在が確認されています。
これらの部民のうち部民名と同名の郷にその所在が確認されているものだけを抜き出してみました。
房総の部民(和名抄に同名郷名が見えるもののみの抽出)
全部で22部民、23郷が抽出できました。
この分布図を作成するとつぎのようになります。
房総三国の部民名と同名の古代郷名
なお、上総国海上郡倉椅郷は位置不詳のためプロットしてありません。
部民名がそのまま郷名になるほどですから、この分布図に示した古代郷は、部民による開発が活発に行われていた土地であるといって間違いないと思います。
この分布図は5~6世紀頃の主要な中央直轄地域開発地を表現していると考えます。
これらの部民開発地一つ一つの特徴を考察していけば、大化改新前の房総社会の様子が浮き彫りになると考えます。
現段階では個別部民開発地の検討は行いませんが、強烈に興味を引く郷名が目に入りましたので、1つだけ、次の記事でメモします。
強烈に興味を引く郷名(部民名)とは上総国長柄郡車持郷(車持部(クルマモチベ))です。
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