2020年4月10日金曜日

加曽利貝塚以外における大小ペア異形台付土器出土例

縄文土器学習 396

加曽利貝塚特殊遺構(112号住居跡)から出土した大小ペア異形台付土器(夫婦土器)の学習を続けています。
この記事では加曽利貝塚博物館以外で大小異形台付土器がペアで出土した事例の様子を資料からメモします。

1 佐倉市井野長割遺跡第2次調査1号住居跡出土大小ペア異形台付土器
1-1 異形台付土器及び出土遺構

佐倉市井野長割遺跡第2次調査1号住居跡出土大小ペア異形台付土器
「縄文時代の技と祈り」(1995、八千代市歴史民俗資料館)から引用

佐倉市井野長割遺跡第2次調査1号住居跡出土大小ペア異形台付土器
「佐倉市史考古編(資料編)」から引用

佐倉市井野長割遺跡第2次調査1号住居跡
「佐倉市史考古編(資料編)」から引用
「佐倉市史考古編(資料編)」では第2次調査住居跡(加曽利貝塚B3式)について次のように記述してます。
「M5下で発見された。直径10mを超える大型の竪穴住居跡であり、床面から植物質の敷物が見つかり、5箇所の柱穴からはクリの柱材が発見された。また、床面からは完形の異形台付土器が2点出土した。」
「1号住居跡と命名された建物は、推定径約12mの大型であり、西側の床の保存の良い部分では、シノダケを割って凸面を上にして揃えて並べたものを交互に直交させて三重に重ねた「竹製編み物」が敷かれ、建物の柱とみられるクリ材の炭化柱が5本残っていたことから、故意か過失か不明であるが、火災によって焼失した可能性が商い。床からは異形台付土器がかなり離れた位置から2点、丸底の浅鉢形土器2点、先に紹介した口の直下に孔列が巡る長頸壺の頸部1点、ミニチュア土器1点、石皿片1点、砥石1点の出土が報告されている。これらで全てかは使用後に屋外へどれだけ運び出したかで異なるのであるが、残された道具組成は、日常生活というよりも非日常の場面を想定させるものである。宮内井戸作遺跡の径12m超の大型竪穴建物が、住居ではなく祭祀の建物と考えられるとしたように、この井野長割遺跡1号住居跡も「住居跡」ではなく「竪穴建物跡」と呼ぶのが適切であろう。」

1-2 感想
佐倉市井野長割遺跡第2次調査1号住居跡から出土した大小ペア異形台付土器と出土遺構の様子が次の点で加曽利貝塚の場合とよく似ています。
ア 異形台付土器が大小ペアで出土している。
イ 異形台付土器大小のデザインが男女の比喩であると感じることができる
ウ 完形で出土している
エ 大小ペアが少し離れた場所から出土している
オ 祭祀専用と推察される「竪穴建物跡」から出土している

これらの共通点から加曽利貝塚と井野長割遺跡の大小ペア異形台付土器はほぼ同じ意義を有しているものと考えることができます。
両遺跡で次のような遺物・遺構意義を想定(空想)することができます。

・このブログでは「夫婦土器」と称しましたが、その見かけが男と女をイメージさせる、縄文人の比喩思考の産物として大小ペアの異形台付土器が作られたと考えます。
・大きな異形台付土器は男を比喩するデザインであり、即ち男性用祭器です。小さな異形台付土器は女を比喩するデザインであり、即ち女性用祭器です。
・より具体的には、大きな異形台付土器は女性祭祀執行者の下で男性が参加する祭祀で使われる道具であり、小さな異形台付土器は女性祭祀執行者の下で女性が参加する祭祀で使われる道具であると想定します。
・異形台付土器の用途は覚醒効果のあるけむり発生装置のフィギュア(イコン)であり、祭祀を執行するときに覚醒効果や幻覚効果をもたらすものと期待されて使われた道具であると想像します。
・大小ペアが完形で出土している様子は、祭祀のために保管されていた道具がそのまま出土したと想定します。
・加曽利貝塚でも井野長割遺跡でも大型住居のなかで少し離れた場所から出土しています。これは祭祀道具の保管位置が男性向け祭祀道具と女性向け祭祀道具では少し離れていたことにより生まれたと考えます。
・井野長割遺跡では石棒は出土していませんが、砥石が出土しています。石棒と砥石が男性祭祀活動で一緒に使われると想定されることから、井野長割遺跡にも本来は石棒が置かれていたことが想定できます。
・祭祀専用大型住居では男女を意識せざるを得ない様々な祭祀(広義生殖(繁殖)に関わる祭祀…冠婚葬祭など)が執り行われ、その都度大小ペア異形台付土器が使われたと考えます。大小ペア異形台付土器は汎用祭具であったと想像します。
・祭祀専用大型住居では、暗がりの中で、参加者が意識を集中する祭祀が行われ、トランス状態に入るためのイコンとして異形台付土器が使われたと想像します。場合によっては炉で覚醒作用のある煙を燻らせたかもしれません。
・男女の別を意識しない祭祀…生殖に関わらない祭祀…生業の発展・安全祈願などでは飲食や踊り歌などを伴い、イナウが林立する野外で盛大に行われたと想像します。

2 町田市広袴遺跡の大小ペア異形台付土器

町田市広袴遺跡の大小ペア異形台付土器
「縄文時代の技と祈り」(1995、八千代市歴史民俗資料館)から引用

webサイト「多摩ミュージアム・アートネットワーク」ではこの異形台付土器について次のような説明をしています。
「鶴川遺跡群は、1964~1965年にかけて鶴川団地造成に先立って発掘調査が行なわれました。この2点の土器はその中のM地点で見つかったものです。広口の壺に台がついたようなカタチをしており、一般的なものではないことからこの名称で呼ばれています。また、胴部と脚部にはそれぞれ一対ずつ円孔があり、「器」としての機能はほとんど持たない土器です。
本資料は縄文時代後期の同じ住居内から出土しており、2つ1組のセットであると考えられますが、その使い方は現在でも解明されていません。しかし、2点ともほとんど完形で発見されていることから、日常的に使われていた道具ではなく、特別な儀式に使われた特殊な土器であるとされています。
似たカタチの土器は東日本地域の縄文時代後期~晩期遺跡で数例が確認されており、いずれも本資料と同じく欠損がなかったり、あるいは2つセットで出ていたりと、当時は取扱いの「作法」が確立していたことがうかがえます。そういった点で、「異形台付土器」は縄文人の「祈りのかたち」をよく反映した資料であるといえます」


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