竪穴住居100軒あたり紡錘車出土数のグラフを見ると船尾白幡遺跡の数値が大きく、近隣遺跡と比べて養蚕が盛んであることが判ります。
この絵は出土鉄鎌を整理したものですが、桑枝切りなどの使われたと考えます。
養蚕を示す墨書土器「子」(コ=蚕)が掘立柱建物の柱穴から出土し、養蚕用掘立柱建物を建設する際の祭祀(地鎮祭)で埋められたものと考えられます。「小」(コ=蚕)とかかれた墨書土器も数多く出土しています。
「小」(コ=蚕)の書体をみると他遺跡の文字「小」とくらべて静かで、まるで蚕の幼虫が3頭ならんでいるようです。「小」は女性が書いた書体であると推察します。
船尾白幡遺跡が利用した戸神川から(西根遺跡から)人形・馬形が出土していて、馬と娘の婚姻譚を背景とした養蚕祈願をこれらの人形・馬形で行ったと考えます。
人形・馬形は戸神川流路跡から重なって出土していて、同じ小舟に乗せて流した祭祀の存在を知ることができます。
船尾白幡遺跡から漆に関わる墨書文字が多数出土しています。「息」(ソク=乾漆)が多くなっています。
船尾白幡遺跡からは「麻」の文字も出土します。
「息」(ソク=乾漆)と「麻」の出土から麻を材料とした乾漆が船尾白幡遺跡の特産であったことが忍ばれます。
「息」の文字
鳴神山遺跡では馬皮を材料にした漆皮(シッピ)が作られ、船尾白幡遺跡では麻を材料にした乾漆が作られ、同じ漆器生産でもそれぞれ特徴が対照できるので面白いことです。
船尾白幡遺跡は鳴神山遺跡より穂摘具の出土数が多く、水田耕作がある程度行われていたようです。
船尾白幡遺跡のメイン墨書文字は「帀」(アマ=天の則天文字)です。この文字はアマと読み天の大神、天神を意味すると考えます。天津神を表現していると考えます。
恐らく鳴神山遺跡の文字「大」「大加」を意識して「帀」(アマ=天の則天文字)を使ったのではないかと考えます。
リーダー氏族は「帀」も書いてある多文字墨書土器に出てくる壬生部(ミブベ)であると考えることができます。
鳴神山遺跡と船尾白幡遺跡のメイン墨書文字と解釈、リーダー氏族をまとめてみました。
戸神川を挟んだ台地で対峙する両集落がどのように協力・競争していたか興味が深まります。
つづく
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パワーポイントスライドを利用して次の11話を連載しています。
1 発掘調査報告書GIS学習 印西船穂郷の謎(1/11)
2 7~10世紀下総国の出来事 印西船穂郷の謎(2/11)
3 鳴神山遺跡と船尾白幡遺跡の概要 印西船穂郷の謎(3/11)
4 鳴神山遺跡の牧と漆、墨書文字「大」「大加」集団 印西船穂郷の謎(4/11)
5 小字「大野」の出自、「大」の意味と氏族、養蚕 印西船穂郷の謎(5/11)
6 船尾白幡遺跡の養蚕、漆と麻、「帀」の意味と氏族 印西船穂郷の謎(6/11)
7 鳴神山遺跡直線道路 印西船穂郷の謎(7/11)
8 鳴神山遺跡は典型古代牧遺跡 印西船穂郷の謎(8/11)
9 「鳴神山遺跡=大結馬牧」仮説 印西船穂郷の謎(9/11)
10 大結馬牧(仮説)の領域 印西船穂郷の謎(10/11)
11 古代開発集落が滅びた理由 印西船穂郷の謎(11/11)
参考 印西船穂郷の謎講演レジメ(pdf) 12M
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