2011年2月3日木曜日

花見川上流紀行 16堀割普請前の花見川谷頭 その2

前図の花見川上流端部分を拡大したものです。地番割図、旧版1万分の1地形図、数値地図1/2500(空間データ基盤)(平成18年発行)の町丁目界線(赤点線)がオーバーレイして表現されています。地番割図の「北谷」の文字のすぐ左の縦方向の線が他の線より少し太く表現されていますが、この線はこの地番割図の全体の表現から水路を表していることがわかりました。従って、この太い縦線の上の方の終端部分(「西高台」の文字の右下)が谷底の終端であると推察できます。その終端から柏井村境(町丁目境)までの谷底は高台と西高台にはさまれており、花見川の谷頭部であると想像しました。この谷頭部の頂部は古柏井川の谷底になり、その接点が東京湾側と印旛沼側を分ける分水界のなっていると想像しました。分水界の場所は柏井村境(町丁目境)と考えることが自然な想像になります。このような想像を図化したものが次の図です。
この堀割普請前の(想像)原地形分類図を数値地図1/2500(空間データ基盤)(平成18年発行)に落としたものが次図です。
この図から横戸台南端と柏井高校に挟まれた部分に花見川谷頭と古柏井川の分水界が位置することがわかりました。
なお、花見川谷底は堀割普請時の化灯土の分布地域と、古柏井川谷底は堀割普請時の固い砂の分布地域と一致し、この地形分類の正しさを支持しています。(化灯土については改めて書きます。)
この図は想像した地形分類の谷底と台地面の高さを縦断方向に投影したイラストです。これまで説明した地形の考え方をデフォルメして表しています。

0 件のコメント:

コメントを投稿