2013年12月13日金曜日

地名 和良比

和良比レーキと吉岡レーキを検討していて、和良比という地名が気になったので、寄り道になりますが、考えたことを記録しておきます。

現在、和良比は四街道市の地区名(町丁目名)で普通に「ワラビ」と発音されています。

次の図は六方野開墾絵図(1672(寛文12)年5月作成、1765(明和2)年写)で、蕨村の表記と和良比レーキのA線(原始平行河川)に該当する特徴的な谷津が書き込まれています。

六方野開墾絵図
1672(寛文12)年5月作成、1765(明和2)年写(宇那谷町内会所蔵)(「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」より引用)

和良比が植物の蕨であり、谷津地形と関係があるのではないかと考えられ、地名に関する興味が刺激されます。

地名「和良比」に関する仮説を次の図に表現しました。

地名「和良比」の語源に関する仮説
基図は旧版25千分の1地形図(大正10年測量)

旧版地形図には「和良比(ワラウビ)」と表記されています。
これは、現場ではwaroubi(あるいは「わろーび」)と発音されていた事実を測量兵が記録したものだと思います。(角川地名辞書でも字名リストではワラウビとルビがふってあります。)

六方野開墾絵図で「蕨村」と漢字表記されているので、過去の時代あるいは現場ではwaroubi(あるいは「わろーび」)と訛って発音されていたと思いますが、その意味する言葉は現代の蕨(ワラビ)と同一であると考えて間違いないと思います。

私は、和良比レーキの地形、特にA線(原始平行河川)が近隣地域にはない直線性、密集性、小規模性を有していることから、その平面形状(平面分布)を蕨の密生にみたてたのではないかと、仮説しました。

広大な土地に拡がる地形や地物の平面形状(分布)を一望のもとに見ることは、普通困難ですから、地形や地物の平面形状を起源とする地名命名は殆どないと考えます。

しかし、私の体験では、和良比レーキ付近を実際に歩いてみて、一望のもとにレーキ状の水系分布像を得られる視点場は無いのですが、付近を歩き回れば、頭の中に谷津の特徴的な分布図をつくることが出来ました。

谷津分布の規模等から、この付近を歩き回れば、その特徴的平面分布イメージをだれでも得られると直感しました。

この土地に最初にやってきた人々は付近を歩き回り、A線(原始平行河川)が密集するという谷津分布を知り、それを蕨が密生した地面のイメージと重ね合せ、和良比(蕨)という地名を付けたのだと思います。

この仮説が正しいとすると、地名命名のあり方では、恐らくこれまで考えられてこなかったものであり、大変珍しい命名法になるのではないかと思います。

谷津の形状とその平面分布が大変特徴的であるので、その全体像(谷津分布パターン)が地名になったということです。


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