花見川地峡の自然史と交通の記憶 15
「海夫注文」は香取大禰宜(おおねぎ)家に伝来した文書です。
「その内容は、下総国と常陸国に属する津(港)名と知行者名を列挙した文書です。平安時代以来、海夫は香取神宮の大宮司に支配されていましたが、南北朝時代には在地領主の支配下に置かれました。このため応安7年(1374)室町幕府は、海夫を各在地領主から新たに大禰宜の支配に入るように命じました。このおりに作成されたのが「海夫注文」書です。」(茨城県立歴史館のWEBページによる)
海夫とは海民のことです。
網野善彦は「霞ケ浦・北浦-海民の社会と歴史」のなかで海夫注文について詳しく検討し、海夫の分布と、陸地とは異なる入海の秩序(入会)や自由通行権について明らかにしています。
さて、この「海夫注文」を整理したリストと原文写真の双方を見て、「戸」と「津」の関係について感想をもったので、メモしておきます。
(「海夫注文」から得られる交通面や統治面等の情報と花見川地峡との関連は別に検討する予定です。)
1 海夫注文の津名リスト
次の表は専門家によってつくられた海夫注文に出てくる津名リストです。
海夫注文に出てくる津名を整理した一覧表
出典 鈴木哲雄:中世関東の内海世界、2005、岩田書院
参考に網野善彦の作成した「海夫及び霞ケ浦四十八津、北浦四十四ケ津の津々分布図」を掲載します。
海夫及び霞ケ浦四十八津、北浦四十四ケ津の津々分布図
出典 網野善彦:霞ケ浦・北浦-海民の社会と歴史、1983、網野善彦著作集第10巻、岩波書店
2 海夫注文における用語「津」
海夫注文原文の写真例を示します。
海夫注文原文の写真(例1)
出典 千葉県史編纂審議会編:千葉県史料 中世編 香取文書
上記原文の一部の活字表現
出典 千葉県史編纂審議会編:千葉県史料 中世編 香取文書
この史料では「[地名]+の+津」という用語法でリストを作成しています。
地名の大部分と「の」がひらがなで、津が漢字となっているところから、津という概念が強調されています。
海夫注文の原文写真(例2)
出典 鈴木哲雄:香取社海夫注文の史料的性格について、2004、中世一宮制の歴史的展開上、岩田書院
この史料では「[地名]+津」という用語法でリストを作成しています。
これらの資料から海夫注文では「津」という言葉を「船の停泊するところ(港)」あるいは「港を抱えている集落(港町)」の意味で使う一種のテクニカルタームとして使っていることが判ります。
また「[地名]+の+津」あるいは「[地名]+津」という用語法で用いて、それを持って大禰宜の支配下に入るべき海夫根拠地を示しています。
ただし、例外があります。
地名「船津」(2か所)、「大船津」は「+津」がありません。地名そのものをリストアップしています。○○津津という繰り返しを避けています。
こうした事実から14世紀には「津」という言葉の意味は現代使われている国語上の「津」の意味とほとんど同じであり、それは当時の公文書に用いられる港又は港町を意味する専門的用語であったことを確認できます。
3 海夫注文に出てくる地名としての「戸」と「津」
海夫注文に出てくる地名の中に「戸」が付く地名(あるいは「と」と読む地名)があります。また「津」が付く地名があります。
列挙すると次のようになります。
海夫注文に出てくる「戸」地名と「津」地名
区分
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地名
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常陸
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下総
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戸
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福戸、古渡、広戸
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森戸、井戸庭、関戸
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津
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白鳥船津、大船津、羽生船津
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津宮
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14世紀にはすでに「戸」地名と「津」地名が共存していたことを確認できます。
なお大船津について吉田東伍著「大日本地名辞書 坂東」には次のような記述があります。
「又舟戸(フナト)とも云ひ、鹿島の水駅なり。…東国戦記には大船戸に作る。…新志云、地方の子守歌に「ねんねが守りは、どこいツた、鹿島の舟戸へ、帯買ひに、帯は七丈(ナナタケ)、直は八十三文」云々、是は帯トの事をうたふ者にて、舟戸にて其帯買いて、社頭へ詣てしならん。…」
大船津(オオフナツ)が一般にフナトとも呼ばれてきたことが記述されています。
これを詳細に分析するならば、一般民衆は(子守唄で歌われるように)古来からの名称フナトを使い、官側は鹿島神宮公式港としての名称として、尊称「大」を加え、(中国伝来の漢字に裏打ちされた)テクニカルターム「津」を使い大船津としたものであると捉えることができます。
このような事情(大船津がフナトとも呼ばれてきたこと)から、14世紀から近世までは地名の「戸」が「津」として表現される場合があったり、「戸」から「津」に変換してしまったことが、しばしばあったと推察できます。
4 海夫注文における戸と津の検討から生まれた仮説
2013.05.15記事「戸は津より古い言葉(地名)である」や2013.05.18記事「紹介 戸が人に通じるという考え方」で検討したように地名における戸は古く(漢字伝来以前)、地名における津はそれより新しいと考えましたが、海夫注文におけるテクニカルタームとしての「津」の存在、及び地名における「戸」と「津」の共存という情報はこの考えを補強し、次のような仮説を持つことが出来ました。
海夫注文における戸と津の検討から生まれた仮説
この仮説を得たことにより、「江戸」関係書に多くみられる「津から戸が生れた」という間違った論に対して有効な反論が可能になると思います。
つづく
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