2013年6月28日金曜日

「戸と津の関係」俗論の系譜

花見川地峡の自然史と交通の記憶 16

話の本論から外れた寄り道記事です。

前の記事(2013.06.27記事「14世紀文書「海夫注文」における戸と津」)で、古文書「海夫注文」の検討で、地名の構成要素「戸」と「津」が生まれていく様子の仮説を検討しました。

地名構成要素「戸」と「津」が生まれていく様子の仮説(14世紀文書「海夫注文」の検討をヒントとする)
※ 2013.05.20記事「「戸」を構成する4つのイメージ」参照

この仮説、特に14世紀には「戸」地名と「津」地名が共存していたことと、「戸」は土着地名であり民衆に使われていて、「津」は政策的技術用語であり官側から使われていたというイメージから見ると、地名関係書における「戸と津の関係」俗論に対して次のような感想を持ちますので、メモしておきます。

1 岡野友彦著「家康はなぜ江戸を選んだか」の論に対する感想
岡野友彦著「家康はなぜ江戸を選んだか」(教育出版)127130ページに次のような記述があります。

「応永5年(1398)に作成された「葛西御厨田数注文」という古文書を見ると、江東区の亀戸は「亀津村」と書かれているのである。…「戸」と「津」は同じ意味であった。」
「広島県福山市草戸町んぼ芦田川河川敷に埋もれていた遺跡として有名な草戸千軒町は、本来「草津」と称されていたことが明らかにされつつある。例えば、貞和6年(1350)の「内藤肥後徳益丸代審覚軍忠状案」という古文書を見ると、足利尊氏の庶子である直冬が、父尊氏に抗して備後の鞆から尾道に軍を進めるにあたり、「草津」というところを通っている。この「草津」は、もちろん草戸の集落と考えるのが妥当であろう。」
「今戸・亀戸・草戸といった「戸」のつく地名は、いずれも中世においては今津・亀津・草津というように、「津」のつく地名であった。これらの場所が、中世の港湾都市であったことは、疑いのないところといえよう。」

著者は今津・亀津・草津という全国の地名が最初に存在し、それが中世以後、全国で今戸・亀戸・草戸という地名に変わったと考えているようです。

この想定は、私の仮説からすると間違っていると思います。
ここに出てくる古文書は二つとも14世紀の官側の立場によるものです。官側は地域を政策的に見る場合、土着の「戸」ではなく政策用語(テクニカルターム)としての「津」を使ったはずです。
従って、同じ地名が、古文書では「津」、現場の民衆は「戸」と使い分けられていたと考えることが可能です。
14世紀は海夫注文の検討でわかったようにすでに戸地名と津地名が共存していた時代です。

「戸」は漢字伝来以前からある地名であり、民衆に根付いた「戸」地名が現在まで継続して利用されているのです。地名の継続性は強力なものであると思います。官側のインテリゲンチャが「津」という言葉に変換して使っても、結局は根付かないで埋没してしまう場合も多々あったのだと思います。

もし、本当に各地の津地名が一斉に戸に変化したという現象を信じるならば、その理由を合理的に説明する必要があります。中世以後ならば各種文書(証拠)が残っているはずです。

2 鈴木理生著「東京の地理がわかる事典」の論に対する感想
鈴木理生著「東京の地理がわかる事典」(日本実業出版社)248ページに「「江戸」という地名はどこからきた?」という項があり、「「戸」は「津」と同じ?」という小見出しに次の文章があります。
「…「戸」は津(渡り口)の転化したものだという国語学上の見解をとれば…」
著者は津→戸という「国語学上の見解」を理由にして、江戸をはじめ亀戸、青戸、奥戸、松戸…などの地名を説明しています。

この著者見解が、現在の「江戸」関係者の思考に多大な影響(バイアス)を与えているようです。

「「戸」は津(渡り口)の転化したものだという国語学上の見解」がなんであるか知りたいところであります。

私は次の地名・国語学者の見解がそれにあたるのではないかと想像しています。

3 金沢庄三郎著「地名の研究」の論に対する感想
金沢庄三郎著「地名の研究」(創元社)121ページに「音韵上よりみたる地名」という項があり、つぎのような説が述べられています。
「ア行五母音の中アイウが基本となり、エオは第二次的のものであるから、原則としては、エオがイウよりも新しいといはねばならぬ。」
「土佐国安芸郡室津(牟呂都)は承和二年には土佐室戸崎と見えてゐる。」

この説によれば、タ行でいえば、テ・トがつく地名はチ・ツがつく地名よりも新しいことになります。
つまり、戸が付く地名は津がつく地名よりも新しいことになります。
例の一つとして室津(牟呂都)→室戸をあげています。

この地名音韵説は現代にあっては執ることのできない乱暴な見解だと思います。

金沢庄三郎をウィキペディアで調べると、「明治557日(1872612日)-昭和42年(1967年)62日)、日本の言語学者、国語学者。」として説明されています。


以上で「戸と津の関係」俗論の系譜をたどることができました。

この俗論は広大な範囲に流布しています。
角川日本地名大辞典12千葉県の平戸(八千代市)の項にも「地名の由来は戸が津の転訛といわれることから印旛沼の津であったことによるものか。」と記述されています。

この俗論が正される日がくることを願います。

つづく

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