花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.187 白幡前遺跡出土墨書土器の閲覧 その5(釈文「廿」)
次の刻書土器は横棒に縦線2本が刻まれていて、「廿」の活字の基となった原初漢字です。
史料422番 廿
他の事例を示すと次のようになります。
白幡前遺跡出土 文字「廿」
「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編」(1991、住宅都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)では釈文として「廿」を当てていて、意味は正確であると感じます。
しかし、意味は正確ですが、墨書図像と活字が正確に対応しません。活字の方が進化してしまったのだと思います。
一方、「千葉県の歴史 資料編古代別冊出土文字史料集成」(千葉県)及び「千葉県出土墨書土器・刻書土器データベース」(明治大学日本古代学研究所)では「廿」ではなく「廾」(キョウ)の活字を当てています。
「廾」は墨書図像と似ていますが、全く別の意味の漢字です。廿(にじゅう)の意味はありません。
横棒に縦線2本の活字が一般に使えないため、発掘調査報告書でつきとめた釈文「廿」がデータベースではあいまいな活字「廾」に改変されてしまっていて、現場における検討の積み上げが崩れてしまっているように感じます。
漢字「十」に関連する会意文字を次の列挙してみました。
十の会意文字
これらの会意文字は全て墨書土器の文字として出土しています。
千葉県墨書土器 十の会意文字の出土数
「廿」は「廾」の数で代替しました。
白幡前遺跡出土の文字「廿」は「つづら」と読むと推定しています。
また、2Fゾーンの掘立柱建物群近くから集中して出土していることから、葛籠(カズラで編んだかご)に軍用・官用等の衣服や関連調度品等をストックする倉庫があり、それを管理警備する集団が使った墨書土器ではないかと想定しています。
参考
2015.05.22記事「墨書土器文字「廿」(ツヅラ)の読解」
2015.05.23記事「墨書文字「廿」(ツヅラ)の拡散理由」
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