花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.181 萱田遺跡群の鉄製武器とそれ以外の金属製品の分布
萱田遺跡群の鉄製武器とそれ以外の金属製品の分布の違いについて検討してみました。
萱田遺跡群出土の金属製品は次の通りです。
萱田遺跡群金属製品出土数
このうち銅製品は銙帯16点及び仏像、和鏡、銭貨だけで、他は全て鉄製品です。
金属製品のうち武器プロパーは鉄鏃だけです。刀子は護身用の武器としての役割も果たしたとは考えますが、本質は万能工具であったと考えます。
鉄鏃を除いて他の金属製品のほとんどが生産活動の現場で使う道具類です。刀子、鎌、手鎌(穂摘具)、紡錘具、斧、釘、鋏、鉇(やりがんな)、やっとこ、鋸、錐、ピンセットなどです。
使途不明品のうちかなりの製品は枢鉤と枢鉤口金具が占めているようです。
ここでの検討は武器(鉄鏃)出土分布と鉄鏃を除いた金属製品出土分布を比較してい見ます。
次の図は竪穴住居10軒あたり鉄鏃出土数を示したものです。
2015.07.26記事「萱田遺跡群の鉄製品出土物 その1 鉄鏃」参照
竪穴住居10軒あたり鉄鏃出土数
鉄鏃つまり武器の出土分布は白幡前遺跡と井戸向遺跡に集中していることがわかります。軍事基地機能の中枢が白幡前遺跡と井戸向遺跡にあるのですから当然のことであると考えます。
詳しく見れば、白幡前遺跡の1A・1Bゾーンは出征将兵が逗留する場所ですから武器が多く出土するのは当然です。
2C・2D・2E・2Fゾーンは軍事集団がそれぞれ別のプロジェクトに従事していた場所です。
井戸向遺跡のⅢゾーンは基地の西部方面に目を光らせる軍事的拠点があり、Ⅳゾーンには寺谷津を見張る施設があったと考えます。
北海道遺跡のⅣゾーンにはこの場所に目を光らせる軍事機能があったと考えます。
権現後遺跡に武器が少ないのは、白幡前遺跡から派遣された集団が土器づくりをしている場所であり、組織内部の人間だけで構成されていたからであると考えます。
次に、鉄鏃を除く金属製品の出土状況とその分布をみてみます。
萱田遺跡群の金属製品出土状況
竪穴住居10軒あたり鉄鏃を除く金属製品出土数
鉄鏃の分布と異なり北海道遺跡や権現後遺跡にも出土が多い場所が拡がっています。
労働する場に鉄製品が存在していたことが表れています。
権現後遺跡では土器焼成の燃料に使う草木を刈るための鎌が多数出土しています。
しかし、白幡前遺跡1A・1Bゾーンでも鉄鏃を除く金属製品の出土は多く、これらのゾーンが裕福なゾーンであることを示しています。
金属製品をこのように武器と非武器にわけて考えることにより、次のような感想を持ちました。
・武器(鉄鏃)は軍事基地を通過する将兵と基地を運営する集団が所持していた。
・井戸向遺跡Ⅲゾーンは基地の西方からの侵入に対する防衛拠点として配置されたように考える。(鉄鏃出土数が異様に多い)
・北海道遺跡Ⅳゾーンは北海道遺跡の集団(農業開発集団)を支配するための拠点と考える。
・武器以外の金属製品も基地主要地区の所有が多い。これは裕福と権力のあるものから順に金属製品を所持できた社会の仕組みがあったからであると考える。また、基地の少数トップクラス以外の全ての住民が多かれ少なかれ自給自足的生活を送っていたので、官人や将兵と言えども鉄器を所持し、それがまた社会的ステータスを証明するものになっていたと考える。
・白幡前遺跡2Aゾーンは政治支配の拠点であり、寺院も存在する。このゾーンは現場生産活動に最も離れた場所であるから、金属製品出土が少ない。
・北海道遺跡は農業開発集団が官の支配のもとに活動していたと考えるが、鉄製品出土は少ない。これは奴隷労働が存在しているため、道具による効率向上を求める必要性が低かったからであると想像する。いくらでも酷使できる奴隷を使える時に、高価な鉄製品を導入することは無かったと考える。
・権現後遺跡は当時のハイテク技術を要する土器生産団地であり、鉄器が豊富に使われた。
……………………………………………………………………
参考 竪穴住居10軒あたり金属製品出土数
竪穴住居10軒あたり金属製品出土数
鉄鏃を含めた「竪穴住居10軒あたり金属製品出土数」の分布図は「竪穴住居10軒あたり鉄鏃を除く金属製品出土数」の分布図と似通った図になりました。
0 件のコメント:
コメントを投稿