2020年4月5日日曜日

縄文草創期サケ骨出土遺跡(前田耕地遺跡)の地形

縄文社会消長分析学習 2

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の学習をする中で生まれた興味を深め疑問を解決するための寄り道学習を始めます。
この記事では縄文草創期サケ骨出土遺跡の前田耕地遺跡の地形を確かめます。
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)ではこの時期の遺跡は「平野における微高地上に立地することが多く」と書いてあり、一応自分の目で確かめました。

1 前田耕地遺跡の位置

前田耕地遺跡の位置
多摩川と秋川の合流部に位置し、この付近がサケの産卵場であったという解説がされています。

2 最終氷期最盛期頃の多摩川縦断地形

多摩川の縦断面図
貝塚爽平他著「日本の地形4関東・伊豆小笠原」(2000、東京大学出版会)から引用、加筆
最終氷期最盛期の多摩川縦断地形は青柳面として表現されています。立川付近から上流では河岸段丘として、立川付近から下流では埋没段丘として観察されています。
前田耕地遺跡は拝島付近に位置していて、この付近では青柳面が河岸段丘として観察される場所です。

3 前田耕地遺跡が立地する地形面

地形面区分と前田耕地遺跡
5万分の1都道府県土地分類基本調査成果から引用
前田耕地遺跡は青柳段丘面より1段低い拝島面に立地します。多摩川の縦断勾配が少し緩くなり始めたころ、つまりこの付近で多摩川の下刻が始まったころの地形面に前田耕地遺跡があります。

4 前田耕地遺跡立地頃の多摩川標高

前田耕地遺跡立地頃の多摩川標高 地理院地図で作成
地理院地図で標高10m毎に色塗りして、かつ断面図を作成すると、拝島面に立地する前田耕地遺跡は標高が略125mです。一方、多摩川左岸の拝島面の標高は略118mです。厳密な検討ではありませんが、前田耕地遺跡が立地する陸地拝島面と左岸側に流路があった拝島面が同時に存在していたことを想定できます。
従って、前田耕地遺跡が存在したころ、多摩川の標高は118mくらいだったかもしれないという目検討をつけることができます。その標高差は約7mです。
前田耕地遺跡と秋川の標高差はもう少し小さくなります。
以上の検討から前田耕地遺跡が立地していた頃のその場所の地形は多摩川や秋川のほとりの標高差数mの微高地であるといえます。

0 件のコメント:

コメントを投稿