2020年4月22日水曜日

上黒岩岩陰遺跡の広域地形

縄文社会消長分析学習 7

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習(ブログ「芋づる式読書のメモ」で展開中)で愛媛県上黒岩岩陰遺跡の縄文草創期線刻礫の存在を知り興味を持ちました。またその遺跡が四国の山中にあることから、同じ縄文草創期遺跡である青森県大平山元Ⅰ遺跡や東京都前田耕地遺跡のように段丘面の微高地立地と異なる様子にも生業面で強い興味を持ちました。さらに詳しい資料や解説図書を入手できました。そこで、上黒岩岩陰遺跡について少し掘り下げた寄道学習をすることにします。
この記事では上黒岩岩陰遺跡学習のポイントを整理するとともに、年代や広域地形について学習します。

上黒岩岩陰遺跡出土石偶(線刻礫) 国立歴史民俗博物館研究報告154集から引用

1 上黒岩岩陰遺跡学習のポイント
次のポイントについて学習します。
●草創期遺跡の学習ポイント
1 年代
2 当時の広域地形
3 付近の地形
4 遺構の平面図・断面図確認
5 出土物一覧
6 石偶の意義
7 石偶による婚姻研究の検討
8 槍貫通女性人骨の意義(→早期ですが興味がありますので学習します)

2 年代
2-1 層位

層位
小林謙一著「縄紋文化のはじまり 上黒岩岩陰遺跡」(2010、新泉社)から引用

2-2 実年代推定
実年代推定(1950年から何年前か)が次のように推定されています。
隆線文     15450~13150年前→上黒岩9層・隆線文土器
押圧縄文    12950~12250年前
多縄文・無紋  11950~10950年前→上黒岩6層・無紋土器
縄文早期撚糸文 11550年前以降
小林謙一著「縄紋文化のはじまり 上黒岩岩陰遺跡」(2010、新泉社)による

参考 旧石器時代末から縄文時代にかけての狩猟具の変遷と気候変動
堤隆著「狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡」(2013、新泉社)から引用・加筆
上黒岩9層は縄文草創期フェイズ2にあたります。更新世温暖期(ベーリング期、アレレード期)です。

2 草創期上黒岩岩陰遺跡付近の広域地形
2-1 現在の広域地形

上黒岩岩陰遺跡の位置 
小林謙一著「縄紋文化のはじまり 上黒岩岩陰遺跡」(2010、新泉社)から引用

上黒岩岩陰遺跡を利用した集団の移動域
小林謙一著「縄紋文化のはじまり 上黒岩岩陰遺跡」(2010、新泉社)に加筆
「上黒岩岩陰遺跡では、山を北に越えた松山平野や西予の穴神洞遺跡、仁淀川を下った高知県の不動ヶ岩屋洞穴遺跡、山中の開地遺跡である十川駄馬崎遺跡、高知平野におりた奥谷南遺跡などが組となり、広範な地域を移動していた集団が考えられる。」小林謙一著「縄紋文化のはじまり 上黒岩岩陰遺跡」(2010、新泉社)から引用

参考 上黒岩岩陰遺跡付近の現在広域地形3Dモデル
上黒岩岩陰遺跡付近の広域地勢 地理院地図3Dモデル
愛媛県デジタル標高地形図と陰影起伏図の合成
赤丸:上黒岩岩陰遺跡
垂直倍率×5.0

参考 上黒岩岩陰遺跡付近の現在広域地形3Dモデル 動画

縄文草創期フェイズ2における上黒岩岩陰遺跡附近広域地形は現在の地形と異なります。草創期上黒岩岩陰遺跡を現在地形で考えることは思考の視野を狭めることに陥ることになります。そこで草創期上黒岩岩陰遺跡付近広域地形を次に検討します。

2-2 最終氷期クライマックス期(縄文草創期フェイズ1)の広域地形

最終氷期クライマックス期(縄文草創期フェイズ1)の地形
日本の第四紀地図先史遺跡環境図B最終氷期(日本第四紀学会1987)から引用
縄文草創期フェイズ2(更新世の温暖期)の地形がどのようなものであったのか詳しい資料は見つけていませんが、フェイズ1に近い地形だったと考えられます。四国、本州、九州がまだ十分に分離していない状況であったと考えられます。

最終氷期クライマックス期(縄文草創期フェイズ1)の地形と上黒岩岩陰遺跡の位置のオーバーレイ
(投影法の異なる地図を無理矢理オーバーレイしたものです)
縄文草創期上黒岩岩陰遺跡付近の地形は、現在では水没してしまった広域の陸地があり、草創期縄文人はそれらの水没陸地も当然利用していたことになります。
そのように考えると、四国西半部山中の草創期遺跡が「組」となっていて特定集団が移動していたという考えの他に、もう少し地域を分節してより多くの集団が利用していたと空想することも可能です。
次の図はその空想の一つを図にしたものです。

縄文草創期の集団移動領域の空想

上黒岩岩陰遺跡周辺の地形は続いて学習します。

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