2021年1月29日金曜日

有吉北貝塚出土中峠式土器の観察

 縄文社会消長分析学習 80

有吉北貝塚出土中峠式土器の実測図を1976年設定中峠式標準資料と対比して観察してみました。

1 有吉北貝塚南斜面貝層出土第6群(中峠式)実測図


有吉北貝塚南斜面貝層出土第6群(中峠式)実測図

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用

2 1976年設定中峠式標準資料


1976年設定中峠式標準資料

「下総考古学6」から作成

3 有吉北貝塚南斜面貝層資料(第6群中峠式)と1976年に設定された「中峠式」の標準資料


有吉北貝塚南斜面貝層資料(第6群中峠式)と1976年に設定された「中峠式」の標準資料

(対応線は代表例のみ表示)

1976年設定中峠式標準資料では5点のタイプの異なる土器が表示されています。有吉北貝塚出土中峠式土器はその全てのタイプに対応して出土していることを確かめることができました。重要な情報を得たと直観できます。なお、有吉北貝塚では中峠0地点型深鉢タイプの土器が最も多く出土するようです。また分類B(口縁部にも縄文を使用する阿玉台式・大木式土器をルーツにするもの)の方が分類Aよりも多いようです。しかし、本家本元の中峠遺跡や近隣遺跡でどのタイプの出土が多いのかという情報がありませんから、数量的対比はできません。

4 有吉北貝塚と中峠遺跡で中峠式土器細分タイプが対応する意味の想定

有吉北貝塚と中峠遺跡は直線距離で約30km離れ、有吉北貝塚は飛び地的に分布しています。このような分布にもかかわらず有吉北貝塚で中峠式標準資料とされる細分タイプ全てが出土することから、集団の移動(移住)があったのではないかと推測します。2つの集落の間で単に交流が密であったというレベルではなく、中峠遺跡周辺に居住していた集団の一部が有吉北貝塚に移住した(開拓入植した)と想定します。


中峠式遺跡出土中峠式土器各種タイプが30㎞離れた有吉北貝塚でも出土する

5 感想
中峠式土器が集中して出土する松戸市中峠遺跡とその近隣地域と有吉北貝塚との間に単なる交流以上の濃密な関係が存在するという想定(作業仮説)を持つことができました。この想定に基づいて、次の記事で中峠式期前後の社会の様子を夢想することにします。

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