2011年3月25日金曜日

花見川の出自と被災箇所の対応

花見川の出自タイプ

 これまでこのブログでは花見川本川筋を対象に、散歩の中で思い浮かんだ河川争奪、化灯分布、縄文海進などの話題について情報発信してきました。これらの情報がある程度溜まってきたので、それを使って、本川筋の出自を地史的観点からタイプ区分してみました。

上図は縄文海進想定図を基図にして、出自を6タイプに区分したものです。下流から説明してみます。
1 東京湾埋立地タイプ
東京湾埋立地につくられた花見川本川の延伸部分です。
2 花見川砂地タイプ
花見川の本来の河口付近であり、続保定記(天保期印旛沼堀割普請の「工事誌」)で土質が「砂地」と記載されている区域。この区域の周辺には貝塚が分布していることから、縄文海進の頃は海浜的環境があったと考えられます。
3 花見川化灯タイプ
花見川の上流部分で、続保定記で土質が「化灯場」と記載されている区域。この区域は土質から縄文海進の頃は後背湿地的環境があったと考えられます。
4 花見川河川争奪化灯タイプ
花見川が古柏井川から河川争奪した区域。化灯が分布していて、天保期堀割普請では工事が最も難航した場所です。
5 古柏井川タイプ
花見川によって上流部分が河川争奪されたため、流域のほとんどを失い截頭川となってしまった河川です。最初の堀割普請(享保期)までは柏井村の「高台」付近を源流とし、平戸川(後の新川)方向に流れていました。この河川が平戸川に合流する所に「元池」と呼ばれる溜池があったものと考えられます。
6 平戸川タイプ
古柏井川、勝田川、高津川などを合流して印旛沼に流入する河川です。

 出自(地史的出自)タイプの違いは地形や堆積物の違いですから、当然のことながら過去・現在の普請(工事)、土木に影響します。

 天保期の堀割普請では3花見川化灯タイプと4花見川争奪化灯タイプの区間での工事が難航したことが、続保定記に詳しく報告されています。

化灯場で難儀している様子
 このイラストは久松宗作著「続保定記」(「天保期の印旛沼堀割普請」〔千葉市発行〕収録)に掲載されているもので、化灯場で工事が難航している様子を描いています。現在の柏井橋付近の工事現場で、右奥が下流の花島方面です。4花見川争奪化灯タイプの区間です。化灯場での工事をしやすくするために、上流からの水流を別水路をつくり足踏水車で下流に流しています。過去の工事杭が見つかった工事現場では、技術者が役人に対して、馬糞のような化灯土に三間竿(約5.4mの竿)を挿しながら「ドコ迄も入マス」と報告している情景が描かれています。

 2011年3月24日記事で報告した東日本巨大地震による花見川河川施設被災箇所を、出自タイプと重ね合わせて次図に表示しました。

東日本巨大地震による被災箇所と出自タイプ

 被災箇所が主に3つの出自タイプに集中的に関わっていることが特徴的です。
 1東京湾埋立地タイプの被災が最も深刻です。右岸堤防パラペットが倒壊損傷しました。地盤の液状化現象と揺れが主因のように考えられます。6つの出自タイプの中で、このタイプが最も脆弱な場所であることが検証されました。
 3花見川化灯タイプに被災が集中しています。一部花見川砂地にかかる部分もありますが、巨視的に見て花見川化灯に被災が集中していることに注目すべきだと思います。天保期堀割普請では化灯の存在が工事難航の主因でしたが、今回の堤防表法面陥没なども化灯の存在が関わっていることが考えられます。
 6平戸川タイプは印旛沼から奥に入った沖積地であり、花見川化灯タイプと類似した沖積堆積環境があり、それが今回の被災要因の一つであると考えられます。

 なお、今回の地震で花見川争奪化灯タイプに目立った被災がなかったことは、この区間の化灯分布域が現在の花見川水面下にほとんど水没しており、河川施設との関わりが無いためであると考えられます。
 また、花見川砂地タイプに目だった被災が無かったことは、一般に考えられている以上に、防災的観点からみた地盤が良好であることを物語っているのかもしれません。

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