2019年1月31日木曜日

ボーっと毎日散歩してんじゃねーよ! 印旛沼堀割普請跡の露出

ボーっと毎日散歩してんじゃねーよ! と自分に強く言い聞かせました。
柏井橋工事現場の写真をブログにアップしていて、ふと気が付いたことがあります。

柏井橋工事現場
ブログ花見川流域を歩く自然・風景編2019.01.31記事「曇り 温暖 朝焼け

この場所は印旛沼堀割普請でも化灯土が深く工事が難渋した場所です。この場所そのものの工事が久松宗作著「続保定記」で絵図になっています。

新兵衛七九郎丁場化灯の場廻し堀いたし水をぬぐ図
久松宗作著「続保定記」収録図
「天保期の印旛沼堀割普請」〔千葉市発行〕より引用
右手上の方向が花島方面(下流)です。
2012.10.14記事「北柏井村における土置場筋と捨土土手の関係」参照
この場所は松本清張作「天保図録」で登場した秘事「流堀り」工法の舞台そのものです。

工事現場は既に荒らされていますが、化灯土普請現場が一瞬この場に現出したはずです。その普請現場現出の観察は考古遺跡観察として千載一遇のチャンスだったはずです。
なのに頭は縄文学習に占領されていて、その現場を毎日観察していたのに、気がつきませんでした。

ボーっと毎日散歩してんじゃねーよ!


過去の散歩写真を調べてみました。

1月21日

1月22日

1月24日
1月22日に印旛沼堀割普請の化灯土現場が露出していたと考えて間違いありません。
1月22日の写真の下部を拡大調整すると畝とそれを直交する筋が見えます。

1月22日水抜き現場

1月22日水抜き現場の畝と筋
筋は横木の跡のように見えます。
印旛沼堀割普請の跡が露出したにもかかわらず、それに気が付かなかったことは残念でした。

……………………………………………………………………
水を抜いた後の工事現場写真を印旛沼堀割普請の専門家がみれば価値のある情報が見つかるかもしれないという話を千葉市道路建設課に電話しておきました。

2019年1月30日水曜日

加曽利E式土器のC14年代

縄文土器学習 13

加曽利E式土器の学習を進めるにあたって、C14年代について初歩的な統計をとりましたのでメモします。

1 統計
データベースれきはく(国立歴史民俗博物館)の遺跡発掘調査報告書放射性炭素年代測定データベースを加曽利Eで検索すると140レコードがヒットするのですが、そのなかから土器付着物をAMS法で測定したレコード53件を時期別に集計してみました。なお、データベース掲載(=発掘調査報告書掲載)の生データであり、較正年代ではありません。

2 集計結果

加曽利E式土器付着物のC14年代
データの幅では約800年間、平均値の幅では約500年間加曽利E式土器が使われたことになります。加曽利E式土器を学習する上での時間感覚の参考になる情報です。
較正年代はれきはく較正年代早見表では、この付近でC14年代に約500年をプラスしたBPになりますから、データの幅ではBP5200~4400、平均値ではBP5000~4500となります。
加曽利E1よりE2の方が古いという逆転については今後集計データを増やし、地域性を考慮するなど条件を検討して解決するものかどうか検討します。

3 メモ
土器形式学習を進めるに当たって較正年代を使った方が好都合であると考えます。従って縄文集落の消長とか、海進・海退に伴う海岸線の移動なども全て較正年代で考えることにします。C14年代を較正年代に換算できるようOxCalを使えるようにします。


林跡№1遺跡 隆起線文土器出土遺跡

縄文土器学習 12

隆起線文土器出土遺跡の学習を「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)掲載事例により進めています。この記事では鎌ヶ谷市林跡№1遺跡を学習します。

1 林跡№1遺跡の位置

林跡№1遺跡の位置 QGIS画面 現在地形と現在地図のオーバーレイ

2 林跡№1遺跡付近の地形

旧版25000分の1地形図(大正年間測量図)
空色は谷津筋線を、青色は凹地を表現しています。

3 出土土器と石器
「採集された遺物は土器片33天、石器類186点である。土器はいずれもこまかく割れているために、器形や文様構成をうかがうことができないが、いくつかに分類することができる。①貼り付け粘土紐による細隆起線文土器(図2-1~7)。細隆起線文には押し潰しのあるものとないものがある。また、並行に貼付されるものや斜行するもの、縦位置に短隆線状に並行貼付されるものなどいろいろな変化がある。②押引手法による微隆線文に近いもので、緩く外反する口頸部に4条以上の隆線が観察される(8)。③無文のもの(9・10)。ただし、 9は小破片であり、細隆起線文土器の口縁部である可能性がある。また、
これら以外に,爪形文の観察される小破片や縄の圧痕のつくものなどがあるが,詳細は不明である。
石器の内訳は、有舌尖頭器2点・小型木葉形石器1点・削器3点・楔形石器2点・ナイフ形石器1点・彫器1点・剥片158点・礫片18点である。旧石器時代の遺物が混入しており、縄文
時代の遺物との識別が困難であるが、剥片の多くはいわゆるポイント・フレイクであり、縄文時代の所産と判断した。12は硬質の砂岩製の有舌尖頭器である。基部と先頭部を欠損する。13は黒色緻密質安山岩の具殻状剥片を素材とする粗製の有舌尖頭器。11は黒色頁岩製の木葉形の石器である。下端が欠損する。削器は固示しなかったが、不整形剥片の一部に剥離痕の認められるものである。剥片類には黒色緻密質安山岩・黒色頁岩・ 砂岩製のものが多い。なお,本遺跡の土器群は県内では市原市南原遺跡に後続するものと考えられる。」

図2 採集された遺物
「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)から引用

4 メモ
林跡№1遺跡は手賀沼に流入する大津川上流の左岸に位置していますが、この付近は東京湾水系との分水嶺地帯であり、台地面が形成する尾根筋線が狭窄・湾曲していて、動物移動の要衝になっていると考えることができます。同時に台地面に等高線凹地表示でしめされる湿地・池が分布し動物の水飲み場等として機能していたことが考えられます。
つまり林跡№1遺跡は格好の狩場近くに位置していたと考えることができます。狩りにとって特別に好都合の立地場所であるということと、そこから縄文草創期の隆起線文土器が出土しているという関係は一鍬田甚兵衛山南遺跡でも見られました。
一過性の狩場ではなく、その場所で継続的に狩が可能である(定住的な生活が可能である)という条件があってはじめて土器の利用が生れたと考えます。
隆起線文土器出土から、その場で土器を使った生活が営まれていて、その生活が持ち運びに不便な土器を使わない(使えない)程の移動性の高い生活ではなかったことがしのばれます。

2019年1月29日火曜日

亀田泥炭遺跡出土木製品はイナウ似木製品

縄文木製品学習 3

2019.01.28記事「匝瑳市亀田泥炭遺跡出土木製品」でブレーンストーミングを行い、出土棒状木製品の用途を次のように思考しました。
○は可能性あり、△は可能性少ないと考えます。
1 浮子 △
2 ナイフの柄 ○
3 アワビおこし(のような牡蠣などを採る道具) ○
4 木製石棒 △
5 弦楽器 ○
6 ガラガラ(楽器) △
7 縄の編具 △
8 イナウ ○

この記事では出土棒状木製品を詳しく観察し、ブレーンストーミング結果を踏まえてその用途を絞り込みましたので、その思考プロセスを記録します。

1 棒状木製品の詳細観察
発掘調査報告書掲載写真を拡大して観察して、その特徴を次に書き出しました。

棒状木製品2の意匠

棒状木製品4の意匠
棒状木製品の大きな特徴は次のようなまとめることができます。
1 全周を刻む波打つ切込み
この切込みにより木製品は2つの部分に分割される構造を持ちます。端部が相対的に平坦な方を頭部、相対的に尖っている方を脚部と仮称することにします。写真は頭部を右側に表示しています。
2 端部(頭部、脚部)の切り口が極めて新鮮
端部切り口が極めて新鮮であり、摩滅していませんから生活道具等として使われた形跡はゼロに近いと考えられます。
3 えぐり出しが全周切込み付近と頭部に見られる
4 面取りが見られる
5 多数の削り掛け跡や切溝が見られる
削り掛け跡はカールした削り皮(鉋屑のような形状のそぎだした皮)が元来はついていた可能性がある。
6 圧迫痕跡、縛り跡が残っている。
7 先端四角形の錐(石器)によりモノが木製品にはめ込まれたと考えられる跡が多数存在する。

錐状石器によりモノが木製品にはめ込まれた跡と考えられる痕跡

2 考察
2-1 用途
日常道具等として使われた形跡がないので次の用途は消せると考えます。
1 浮子
2 ナイフの柄
3 アワビおこし(のような牡蠣などを採る道具)
5 弦楽器
6 ガラガラ
7 縄の編具

「4 木製石棒」は石棒一般のデザインとこの木製品のデザインが大きく異なるので、消せると考えます。(石棒の多くは亀頭部が根本より大きく見えるように、また亀頭部の形状がリアルなそれではなく抽象的な球体になっていますが、この木製品を石棒としてみると、亀頭部と根本の大きさが同じで、亀頭部と根本の境がリアルな斜め線になっています。)

こうした消去法によりこの木製品の用途の第一候補はイナウであると考えます。

2-2 印西市西根遺跡出土イナウ似木製品との比較
上記特徴のうち1を除いて全ての特徴が印西市西根遺跡出土イナウ似木製品と同じです。

参考 印西市西根遺跡出土縄文後期イナウ似木製品石器による加工跡等
意匠面から見る限り亀田泥炭遺跡出土木製品と西根遺跡出土木製品は類似製品と考えて間違いないようです。
特に錐(石器)によるモノ(葉、花、鳥や昆虫の羽根など)の貼り付け跡が存在するという微細点一致は双方木製品の基本用途が同じであることを物語っていると考えます。

西根遺跡出土イナウ似木製品は土器破壊行為をメインイベントとする収穫祭で使われた祭具(イナウ)であると考えましたが、亀田泥炭遺跡出土イナウ似木製品も何らかの祭祀で使われてこの場所にあるいは河川上流から水面に投げ込まれた(流された)ものと想定します。
西根遺跡出土イナウ似木製品は焼骨の近くで出土しましたが、亀田泥炭遺跡出土イナウ似木製品の一つは焦げているので、それらが使われた祭祀ではともに火が使われたことは確実です。
今後亀田泥炭遺跡出土棒状木製品もイナウ似木製品と呼ぶことにします。

2-3 感想
・「イナウ似木製品」と仮称する木製祭具が縄文時代後期に存在していたという仮説の材料が2つとなりました。さらに探すことにします。
・西根遺跡のイナウ似木製品は鳥をイメージしていると考えましたが、亀田泥炭遺跡のイナウ似木製品は波打つ全周切込みの印象が強く、西根遺跡イメージを直接投影するに至っていません。コケシとか木偶などのイメージが湧いてしまいます。
・亀田泥炭遺跡出土イナウ似木製品は材質がカヤであることと、長い棒から切り取って作られたと考えられることから、丸木舟櫂の柄の部分の再利用であると想像します。西根遺跡イナウ似木製品は自然木から作られています。
・西根遺跡では飾り弓が出土していて、それとイナウ似木製品を合わせて総合的に遺跡の状況を考察しましたが、亀田泥炭遺跡では至近に丸木舟、弓が出土しているのですから、それらとイナウ似木製品を総合して検討することが大切であると考えます。(後日検討することにします。)


2019年1月28日月曜日

匝瑳市亀田泥炭遺跡出土木製品

縄文木製品学習 2

縄文木製品の学習を始めています。趣旨は西根遺跡出土イナウ似木製品と同様の縄文木製品が千葉県遺跡から出土しているかどうか調べることにあります。
縄文後期イナウ似木製品の意匠と解釈」参照
学習方法は私家版千葉県遺跡DB(原典はふさの国文化財ナビゲーションダウンロードデータ)から木製品出土遺跡を検索して、その遺跡の発掘調査報告書記載データを調査する方法です。
なおイナウ似木製品の類似製品を見つけ出す学習ですから丸木舟、弓など利用目的が明白な木製品は扱いません。
この記事では匝瑳市亀田泥炭遺跡出土木製品を学習します。

1 亀田泥炭遺跡の概要

亀田泥炭遺跡の位置

亀田泥炭遺跡の位置
亀田泥炭遺跡は幅約600mの開析谷中央を流れる借当川の河川敷に位置します。道路建設に伴う橋梁架け替え工事部分の河床掘削域が発掘調査区域です。

発掘前の遺跡の状況
「千葉県八日市場市亀田泥炭遺跡-道路改良(市道7151号線)工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-」(1994、千葉県八日市場市建設課・財団法人東総文化財センター)から引用
発掘に伴い加曽利E式土器から晩期後半までの縄文土器29点、丸木舟先端部分、丸木弓、棒状木製品等が出土しました。この記事では棒状木製品のみを検討します。

2 棒状木製品

棒状木製品
「千葉県八日市場市亀田泥炭遺跡-道路改良(市道7151号線)工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-」(1994、千葉県八日市場市建設課・財団法人東総文化財センター)から引用

棒状木製品
「千葉県八日市場市亀田泥炭遺跡-道路改良(市道7151号線)工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-」(1994、千葉県八日市場市建設課・財団法人東総文化財センター)から引用

全周を取り巻いた刻みがあるという大変特徴的な棒状木製品が5点と表面をつるつるに磨いて少し湾曲した製品1点が出土しています。
発掘調査報告書では次のように記述しています。
●刻みのある棒状木製品
「用途は定かでないがこれら全ては同一製品と思われ、所々の削り出した箇所がみとめられ、また一つは焼け焦げた痕跡がある。」「樹種:カヤ」(参考 出土丸木舟の樹種もカヤ)
●湾曲した製品
「全長40.4㎝、最大長径3.6㎝、最大短径2.8㎝を測る。先端部を前方向から加工を施し、表面全体を念入りに枝払いを施し、全面に磨きをほどこしている。」

3 メモ
出土棒状木製品の用途を(一人)ブレーンストーミングをしながら推察してみました。
ブレーンストーミングですから「出た考えに頭から批判はしない」、「考えをとにかく沢山出す」ことが大切です。
●刻みのある棒状木製品
○は可能性あり、△は可能性少ないと考えます。
1 浮子 △
刻みに紐を結わえて網漁の浮子としたと考えることができます。それにしては凝ったつくりです。
2 ナイフの柄 ○
いずれの製品ともに両端が面取りがある端と鉤状になった端に分かれています。面取りになった部分に石器の刃を付け、紐で棒に巻き付け、刻みで紐を喰い込ませてしっかり縛ったと考えることができます。反対側の鉤状部はモノを引掻く機能を持っていたと考えると現代多機能ナイフの原型になります。
3 アワビおこし(のような牡蠣などを採る道具) ○
道具形状は2と同じですが、丸木舟にのって漁場へでかけ、アワビ、牡蠣などの貝を獲る道具であったと用途を特定して考えることも可能です。
4 木製石棒 △
全周刻みと尖った方の先端が亀頭をイメージする木製の石棒であったと考えることもできます。ただし具象性にはなはだ欠けます。
5 弦楽器 ○
刻みの部分に尖った小石を立てて、鉤の部分を使って弦を張った弦楽器であったと考えることもできます。

弦楽器イメージ

6 ガラガラ(楽器) △
紐でしばったこれら木片を一緒に揺すってガラガラ音を出す楽器とも考えられます。それにしては形状が凝りすぎています。
7 縄の編具 △
紐の先端をこれら木片に縛って、木片を交互に入れ替えて多数紐による複雑な(強度の強い)縄を編む道具であったと考えることができます。あるいは目の粗い網の編具であったとも考えられるかもしれません。
8 イナウ ○
各所に面取り、刻印、小孔(石器先端の四角い形状を示すような穴)があり実用生活道具にしては凝りすぎています。大きさは近世以降アイヌのイナウと異なり小ぶりですが、類似祭具可能性があります。貼り付けた鳥の羽や脱落した削り掛けを復元すれば立派な祭具になる可能性があると想像します。

●湾曲した製品
刻みがないのでイナウとは考えられません。
先端がとがっていて滑らかなしあげですから、山芋などの根茎掘り具かもしれません。
あるいは鮭叩き棒(魚叩き棒)かもしれません。縄文時代に借当川に鮭はのぼっていたと考えて間違いないと思います。(現代でものぼっているかもしれません。未確認)
あるいは特大土器で食物を煮る時の撹拌棒などかもしれません。

2019年1月27日日曜日

一鍬田甚兵衛山南遺跡遺物出土状況

縄文土器学習 11

一鍬田甚兵衛山南遺跡の隆起線文土器と有舌尖頭器等石器の共伴出土状況を発掘調査報告書の記述により学習しました。

1 層序と遺物のイメージ

隆起線文土器出土場所付近の層序と遺物のイメージ
隆起線文土器出土場所は遺跡域の北端附近に限られていますが、その付近では旧石器時代遺物(ナイフ形石器等)の出土層と縄文時代遺物(隆起線文土器等、有舌尖頭器等)の出土層が異なっています。

2 縄文時代草創期遺物の出土状況

隆起線文土器出土分布図
「成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21 -多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡(空港№12遺跡)-」(平成17年3月、成田国際空港株式会社・財団法人千葉県文化財センター)から引用追記
遺跡北端部に隆起線文土器出土域が限られ、D1-26グリッド(5m×5m)が最も集中出土している場所です。

C1-26グリッド付近の土器・石器出土状況
「成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21 -多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡(空港№12遺跡)-」(平成17年3月、成田国際空港株式会社・財団法人千葉県文化財センター)から引用追記

C1-26グリッド付近の全石材出土状況
「成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21 -多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡(空港№12遺跡)-」(平成17年3月、成田国際空港株式会社・財団法人千葉県文化財センター)から引用追記

C1-26グリッド付近のⅡc層から集中的に隆起線文土器と有舌尖頭器を含む石器群が出土している状況を発掘調査報告書では次のように記述しています。
「第1群土器草創期隆起線文系土器(第35図)
草創期は調査区の関係から北側の大グリッドのC1区を中心に土器は第1群土器(隆起線文土器)が100点余り出土している。C1-13~C1-58グリッド付近に広く拡散している。特にC1-26・27グリッド付近に多く検出されている。特にC1-26グリッドでは密集している状況が見られるためこれらの土器群と石器群は伴うものとして考えても良いと思われる。土器群に伴って有舌尖頭器を伴う草創期の石器群が出土している。」

隆起線文土器と有舌尖頭器
「成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21 -多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡(空港№12遺跡)-」(平成17年3月、成田国際空港株式会社・財団法人千葉県文化財センター)から引用

3 メモ
・旧石器時代遺物と縄文時代遺物は出土層準が異なることから区別されています。
・隆起線文土器の平面分布域の特別な集中域(数m×数m程度)と有舌尖頭器を含む石器群の分布域がほぼ重なり、かつ出土層準が同じであることから、草創期土器と石器が共伴するものであることが結論づけられています。

2019年1月26日土曜日

茂原市渋谷貝塚出土木製品

縄文木製品学習 1

縄文木製品の学習を始めることにします。趣旨は西根遺跡出土イナウ似木製品と同様の縄文木製品が千葉県遺跡から出土しているかどうか調べることにあります。
縄文後期イナウ似木製品の意匠と解釈」参照
学習方法は私家版千葉県遺跡DB(原典はふさの国文化財ナビゲーションダウンロードデータ)から木製品出土遺跡を検索して、その遺跡の発掘調査報告書記載データを調査する方法です。
なおイナウ似木製品の類似製品を見つけ出す学習ですから丸木舟、弓など利用目的が明白な木製品は扱いません。
この記事では茂原市渋谷貝塚出土木製品を学習します。

1 渋谷貝塚の概要

渋谷貝塚の位置

渋谷貝塚の位置
渋谷貝塚は九十九里浜海岸平野の最も内側の第一砂堤の内側の沖積低地に位置します。

トレンチ断面 3T
「茂原市渋谷貝塚発掘調査報告書」(平成8年度、千葉県教育委員会)から引用
遺物包含層にかかる発掘断面の概要は次のようになります。

上層 黒褐色泥炭層・・・遺物包含層、堀之内式が圧倒的
中層 貝層・・・ハマグリ・チョウセンハマグリ・ダンベイキサゴ、破砕貝が多い。貝層直上から貝層中に多くの獣骨(シカ・イノシシのほかクジラ、サメ)出土
下層 黒褐色泥土層・・・遺物包含層、遺物少ない、加曽利E式主体

このようなトレンチが崩壊したとき、上層の黒褐色泥炭層から木製品が出土しました。

2 木製品

木製品
「茂原市渋谷貝塚発掘調査報告書」(平成8年度、千葉県教育委員会)から引用

木製品写真
「茂原市渋谷貝塚発掘調査報告書」(平成8年度、千葉県教育委員会)から引用
発掘調査報告書の記載はつぎのようになっています。
「8は3Tの遺物包含層から出土した杭状木製品である。下半部の加工痕は、かなり平滑な仕上げがなされており、比較的鋭利な工具で加工したことが窺える。出土当初は杭と考えたが、杭にしては短く不安定な形態をしており、加工が入念である。所属時期については、出土状況が明確でないので断定はできないが、土器の出土状況や木製品自体の加工の具合から、縄文時代の所産である可能性を指摘しておく。」
「長さ430.00㎜、幅69.00㎜、厚さ-、重量-、材質(未鑑定)」

3 メモ
・握りの部分と本体部分が分かれ、かつ角度がついています。本体部分の先端は平べったくなっています。
・握りと本体の間に角度がついているのでテコの原理を利用する、あるいは物に当てやすい(殴打しやすい)など、腕の力を利用する道具のようだとの印象が最初に浮かびます。
・根茎類を掘る道具と考えると本体が膨らんでいて不都合です。
・魚叩き棒(鮭叩き棒)はバット形のものが多いですが、WEBを検索すると本体部分が広がっているものもあります。生き物を殴打する道具の可能性も考えられます。しかし単純殴打ならば先端の平べったくなった部分は不必要です。
・先端の平べったくなった部分は口を開ける(狭い切り口からこじ開ける)ような機能であるかもしれないという空想もうまれます。
・クジラやサメが出土している貝塚ですから、それら大型動物の解体道具かもしれません。
・全体の形状が機能を表現しているように見える特定製品のような感じを受けますから、全国遺跡木製品をくまなく調べれば必ず類似品がみつかり、その用途を特定できるに違いないと考えます。
・イナウとは関係ないようです。

2019年1月25日金曜日

一鍬田甚兵衛山南遺跡付近の地形

縄文土器学習 10

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土の隆起線文土器と共伴出土石器の閲覧を予定していますので、一鍬田甚兵衛山南遺跡の学習を続けることにします。この記事では遺跡周辺の地形を学習します。現在の周辺地形は成田空港建設のために造成され、完全に人工化していますので旧版地形図をつかうことにします。

1 一鍬田甚兵衛山南遺跡付近の地形

一鍬田甚兵衛山南遺跡付近の地形
旧版1/25000地形図「五辻」大正10年測図(大正14年発行)による
空色は谷津筋線、青色は凹地(閉じた等高線)

一鍬田甚兵衛山南遺跡付近の地形 現代

2 メモ
・一鍬田甚兵衛山南遺跡のある場所が多数水系の源流部であることから台地平坦面が形成する尾根筋線の交差部に位置します。遠方とつながる尾根筋線の3差路となっています。尾根筋を経路として移動する動物が必ず通る場所にあたります。
・同時にその場所が凹地となっていて、湖沼・池であった可能性が濃厚です(下記例参照)。湖沼・池ならば水場としてそれだけの要件でも動物が集まってきた可能性があります。
・このように一鍬田甚兵衛山南遺跡の西側は動物移動の要衝であるとともに水場でもあり、格好の狩場であった可能性があります。
・一鍬田甚兵衛山南遺跡は単なる一過性の狩キャンプ地ではなく、繰り返し利用する狩場キャンプ地、あるいは通年利用する狩場キャンプ地というイメージをもつことができます。そうした移動をあまり伴わない狩生活が存在していたので、他の場所に先駆けてこの遺跡で、移動生活には不向きな土器(隆起線文土器)が使われ出したと考えることができそうです。

3 参考
下総台地の台地面には旧石器時代、縄文時代に多数の湖沼・池・湿地が存在していました。そのうち最大の長沼池は戦後まで存在していました。
3-1 東内野遺跡

東内野遺跡と「東内野湖」
印旛の原始・古代-旧石器時代編-(財団法人印旛郡市文化財センター、平成16年)より引用
2014.09.17記事「東内野遺跡に興味を持つ

3-2 上谷遺跡

上谷遺跡付近の地形解釈
2016.09.06記事「上谷遺跡の特異な地形特性

3-3 長沼

長沼池の復元図
2011.05.23記事「長沼池と縄文遺跡







2019年1月24日木曜日

火焔土器3Dデータ オープンソース

縄文土器学習 9

火焔土器3Dデータがオープンソースとしてだれでも自由にダウンロードでき、Windows10標準アプリで造形を利用・活用可能であることを知りましたのでメモします。

1 火焔土器3D画像例

火焔土器3D画像

火焔土器3D画像

火焔土器3D画像

火焔土器3D画像

2 3Dデータ提供サイト

新潟県長岡市の縄文文化発信サポーターズが「縄文オープンソースプロジェクト」の一環として3Dデータをオープンソース化しています。
次のように説明されています。
「縄文文化財をオープンソース化し、誰でも自由に文化財の造形を活用することができる環境を生み出すためのプロジェクトをスタートしました。インテリアやアクセサリーなど、あなたの創造力で縄文文化財を活用してください。」
3Dデータのサイズは41.9MBです。

3 3D閲覧アプリ
私の場合(Windows10)、ダウンロードしたファイルをクリックしたところWindows10標準アプリのPrint3Dが立ち上がり3Dを操れるようになりました。

Print3D立ち上がり画面
画面左下に見積原価¥182302.00と表示され、最初は意味が判らずドキドキしました。後でわかったのですが、このアプリがオンライン3Dプリントサービスに直結しているので存在する画面項目です。(3Dプリントサービスはマイクロソフト、アドビ、スケッチアップ、オートデスクの共同運営のようです。)

4 感想
4-1 すごいグループがいる
火焔土器3Dデータをオープンソースで提供しているグループが存在し、その目指すところの気高さに圧倒されます。
「ではなぜオープンソース化を目指すのか?
 それは、デジタルファブリケーション(3Dプリンターやレーザーカッターといった、コンピューターと接続されたデジタルエ作機械によって、デジタルデータをさまざまな素材から成形する技術)のような先端技術を効率的に活用することで、縄文文化財を現代のコンテンツ産業の文脈、および一般市民のクリエイティブな日常シーンの中において再価値化することが可能になると考えているからです。
縄文文化は日本において確認されている最古の文化でありながら、データ化やオープン化といったアクセシビリティが確保されていなかったため、岡本太郎がアート・デザイン的なインスピレーションの源泉として再発見したにも関わらず、未だ過小評価されています。逆に言えば、縄文文化財の適切な発信経路をつくることさえできれば、21世紀の情報社会に縄文文化の精神を引き継いだ新たなクリエイティビティを根付かせることができるでしょう。」

4-2 自分の土器形式学習に3Dデータがつかえるかもしれない!
千葉県の多数の土器形式を3Dデータとすれば、Windows10標準アプリなど多数存在するフリーアプリ等でだれでも3D画像として操ることができます。
自分の土器形式学習のプロジェクト-千葉県の全土器形式の写真を自分のカメラで撮って図鑑を作成する-が終われば、次に土器の3Dデータを作成して、立体的に観察できる図鑑を作成することが考えられます。
ガラス越しに展示されている土器を手持ちカメラで撮影して作成した3Dデータの精度や見映えが満足できるものならば、是非ともチャレンジしたいと思います。展示土器の背後や内面のデータは欠けますが、土器3Dデータの学習上の効果は極めて大きいのではないかと考えます。土器の大きさや形状・模様の認識が写真と比べて飛躍的に向上するに違いありません。3Dデータにススコゲなどの情報を書き加えれば、その面での考察も向上します。
申請により閲覧する出土現物土器から3Dデータを作成すれば考古専門世界を含む社会一般に有用情報を提供できるかもしれません。

2019年1月22日火曜日

一鍬田甚兵衛山南遺跡 隆起線文土器出土遺跡

縄文土器学習 8

千葉県出土縄文土器の形式学習を始めています。現在、隆起線文土器と加曽利E式土器について併行的に取り組んでいます。隆起線文土器はその出土遺跡を「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)掲載事例により学習を進めています。この記事では多古町の一鍬田甚兵衛山南遺跡(新東京国際空港№12)を学習します。

1 一鍬田甚兵衛山南遺跡の位置

一鍬田甚兵衛山南遺跡の位置 QGIS画面 現在地形

一鍬田甚兵衛山南遺跡の位置 赤色で表示 成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21(千葉県文化財センター調査報告第517集)から引用・加筆
「栗山川の支谷最奥部に面する台地北端部に立地し、標高は約41mである。根木名川・栗山川・木戸川などの水系の分水嶺となる地域である。」

2 発掘調査
「草創期の遺物は、径約20mの範囲に集中して出土し、 一括遺物としてとらえることができる。」

→ 隆起線文土器と有舌尖頭器が一括して出土しているが確実であり、この遺跡は土器・石器セットの学習に最適です。
3 隆起線文土器
「隆起線文土器は約100点出土している。口縁部の破片から、最低でも11個体以上あったものと推定される。器厚は6~8mmで、色調は明るい褐色を呈する。胎土には長石などの混入物が多い。
文様構成から以下のAからDの4類に分類することができる。A類(図2-1)は、幅5~7mmの隆起線を口縁に平行して多条に貼り付けたものである。B類(2・10~12)は、 2条の平行する沈線の間を、垂下(2・11・12)あるいは斜行(10)する隆起線が区画し、幾何学
的な文様を構成するものである。C類(4・5・8・14)は、口縁に平行する1ないし2条の隆起線で構成されるものである。D類(13)は、波状を星する隆起線に「ハ」の字状の爪形文を付加するものである。」

図2 隆起線文土器
「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)から引用

参考 隆起線文土器(保存の良いもの)
一鍬田甚兵衛山南遺跡の位置 赤色で表示 成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21(千葉県文化財センター調査報告第517集)から引用

→拓本では不鮮明ですが、写真では隆起線文土器の姿が鮮明にイメージできます。

4 石器
「有舌尖頒器(図3)は、44点出土している。凸基式群が22点、尖基式群が9点、平基式群が11点である。石材は、安山岩と砂岩が最も多く、チャートもあるが黒曜石はない。凸基式群(1~22)は、突出する基部に舌部がつくもので、身部の側緑が緩かに外湾するもの(1・4・15)・直線的なもの(16~18)・基部よりの身部の両側縁が平行的で先端近くで急にすぼまり、五角形に近い形状となるもの(19~22)の3種類に分けることができる。尖基式群(34~43)は、基部からやや内湾ぎみの舌部が直接続くもので、凸基式群の基部と舌部が不明瞭なものと捉えられる。平基式群(23~33)は、基部が長軸とほぼ平行するものである。凸基式群と同様に、外湾側縁(23~28)のもの・直線側縁(29)のもの・平行側縁(30~32)のものがある。
尖頭器(図4)は、未成品も含め約30点出土した。石材は安山岩・砂岩・チャート・珪質粘板岩であるが、大半は安山岩である。形態は、両端がほぼ対称的に尖る柳葉形のものと、最大幅が基部近くにあり基部がやや丸味を帯びる2種類がある。このほかに、打製石斧(図5-1)・ドリル(2)・掻器(3)・石鏃・有溝砥石が出土している。」

石器
「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)から引用

5 まとめ
「本遺跡は,縄文時代初頭の本県を代表する追跡である。遺構は検出されなかったものの、隆起線文土器の古い段階の一括資料として重要である。とくに有舌尖頭器の出土点数は全国的にみても屈指のものであり、当該地域の石器組成を良く示している質料であるといえる。」

6 感想
・この遺跡の縄文草創期土器・石器現物資料を2月頃閲覧・撮影できる手筈が進んでいます。私家版縄文土器形式図鑑の隆起線文土器写真はこの遺跡の閲覧時撮影写真を使うことになりそうです。
・この遺跡の発掘調査報告書「成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21(千葉県文化財センター調査報告第517集)」を図書館から借りることができました。この報告書により一鍬田甚兵衛山南遺跡縄文草創期遺物の出土状況学習を次の記事で行うことにします。

2019年1月21日月曜日

縄文時代研究講座「千葉市内出土の加曽利E式土器」を聴講する

縄文土器学習 7

加曽利貝塚博物館で開催中の企画展「あれもE これもE-加曽利E式土器(千葉市内編)-」の関連講座として第5回縄文時代研究講座「千葉市内出土の加曽利E式土器」 講師:佐藤 洋(加曽利貝塚博物館)が2019.01.20に開催され、興味があるので聴講してきました。
先着50名の定員ですが開催前に満席状態となる大盛況でした。

講演風景

講演内容の主な項目は次のようになります。
1 加曽利E式土器が勝坂式土器、阿玉台式土器、大木式土器の影響を受けて成立した様子
2 加曽利E式土器の時代には併行して西に曽利式土器、北に大木式土器が分布していて加曽利E式土器の分布域と重なる様子
3 加曽利E式土器Ⅰ~Ⅳの変化の様子とその分類における問題

配布資料の一部(縄文時代中期の形式編年)

これらの項目について土器形式の詳細(器形や模様など)や専門家しか知りえないエピソードを交えた話を聞くことができました。

今年は土器形式学習をしようと考えている自分にとっては聞くこと全てが初めてで、聞いた話が全て自分の知識の血肉になるような直観がして、感動を伴う聴講となりました。
特に勝坂式土器、阿玉台式土器、大木式土器と加曽利E式土器の関係を始めて知り、それまでそのような関連を意識していなかったので、その点は大きな収穫となりました。

講演者の佐藤洋先生が勝坂式土器に関連して富士見町ふるさと納税の返礼品に漆塗り勝坂式土器ミニチュアがあるというエピソードを話されましたが、「あの富士見町か!」と気が付くことができ、勝坂式土器と加曽利E式土器が自分の頭のなかで本当に結びつくことができました。
ブログ芋づる式読書のメモ2018.03.06記事「富士見町史上巻の入手

また有吉北貝塚の土器は美しい(丁寧)であるが、加曽利貝塚の土器は雑であるという個人的印象を話されていましたが、このような講演でしか聞けない話を聞けて、自分にとっては貴重な情報となりました。

有吉北貝塚出土土器(企画展展示品)

講演の前後に詳しく企画展展示品を観察し写真撮影しました。

企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」の様子

企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」の様子