縄文社会消長仮説の部品

縄文社会消長分析学習を進めるための学習仮説構築のための部品をメモします。あくまでも空想的に頭に浮かんだアイディア、気づきです。使えそうな部品は残し、使えそうにない部品は削除します。このページは随時更改する実用的メモページです。
房総下総台地の挙動を軸に考察します。
以下の記述は全て意識的に断定形で書き、それに対する自分の反応を確かめることにします。

Ⅰ 中期人口急増→人口急減→新規発展 阿玉台→勝坂→中峠→加曽利E→称名寺→堀之内
1 加曽利EⅡの人口急増とピーク
気温変化と加曽利E式期社会消長の対応

ア 加曽利EⅡの人口急増要因
・堅果類アク抜き技術の抜本的改良…大型土器の登場とその運用改革(社会組織の整備)→主食の大量確保実現
・イボキサゴ利用技術の確立…うまみ成分として活用する技術が発明確立→美味しい食事実現
・皮革なめし技術の改良…アリソガイ利用技術の発明→やわらかい高品質毛皮の普及
・漁業できる海域空間、狩猟できる猟場(九十九里)、堅果類の大量収穫・薪の大量収穫が可能な森林空間を外部勢力に犯されずに自由に確保できていた。

イ 背景要因
・気温の上昇も人口急増を後押しした。

ウ 要約
空間資源を自由に使える状況の中で、衣食(おそらく住も)の抜本的改善が技術革新で実現し、生活しやすい環境が生まれ、人口が急増した。

2 加曽利EⅢ~称名寺の人口急減
ア 加曽利EⅢ~称名寺の人口急減要因
・加曽利EⅡ人口急増により環境破壊が進み、食糧等が不足した。(有吉北貝塚の巨大ガリーに象徴されるような森林伐採→裸地化→荒廃→台地各所でのガリー浸食)→薪不足、→森林起源の食糧不足。
・海域環境の劣悪化(海域環境の減少、干潟の拡大)により漁獲物収量が減少した。
・外部(中部高地)から逃散(※)して房総に来る人数が急増し、単に食糧不足の問題ではなく、社会統治上の混乱が生まれ、それがきっかけで社会体制が崩壊した。
※中期中央高地での社会崩壊(人口爆発による崩壊)が最初発生し、それが東京から千葉に波及した。
・猟場である九十九里が外部勢力に抑えられたことに象徴されるように、漁業・狩猟・森林資源の各空間が外部勢力に侵食占拠され、獲得食糧の量が減少した。

イ 背景
・加曽利EⅡ人口急増が環境容量(主に堅果類容量)に対する余裕を少なくし、きっかけがあれば社会崩壊する状況が生まれた。
・気温の低下が人口急減を後押しした。

3 称名寺式期の分散居住
・西(中央高地)からやってくる人々の占拠圧力に在地勢力が負けて、在地勢力が海から離れた方向に追い払われた。
・森林破壊で生じた堅果類不足に対応して、堅果類収穫のための縄張りを各家族が設定したため、必然的に小集団が広域に分散居住することになった。九十九里の猟場を奪われ、細々とした狩りを居住地周辺で行う必要があることからも分散居住となった。

4 堀之内式期の貝塚社会再興
・西(中央高地)からやってきた人々が堀之内式期に房総の貝塚社会を再興した。貝塚社会主人公の変化は、加曽利貝塚で北貝塚から南貝塚に場所が移動したことに象徴される。
・西(中央高地)からやってきた人々は土偶文化を房総に持ち込む。それまでの房総は土偶文化を拒否(=西勢力の文化だけでなく空間的侵入も拒否)していた。


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