2018年10月30日火曜日

遺跡DB感想 丸木舟

千葉県遺跡DB(中間試作品)は20130レコードが収録されていますが、このデータを対象に一例として丸木舟(船)の検索をしてみました。刳舟(船)、独木舟(船)などのキーワードも含めています。
結果は64レコード(64遺跡)が抽出されました。

丸木舟の抽出結果(一部)

64レコードのうち位置情報が判っている61レコードをQGISにプロットすると次のようになります。

丸木舟抽出結果のQGISプロット(一部)

「千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)には「丸木舟」という項目があり、そこでは丸木舟出土遺跡122とその概略プロット図が掲載されています。

「千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)掲載「丸木舟の出土地」
(残念ですが大賀ハスで有名な落合遺跡の位置は「少しずれている」域を通り越して「間違って」います。)

この二つの情報(遺跡DBの丸木舟情報と丸木舟研究成果)をくらべると研究成果における丸木舟出土遺跡が遺跡DBで直接丸木舟検索で約半分が抽出できることが判ります。
また研究成果で丸木舟出土が確認された遺跡のほとんどを遺跡DBで確認することができます。
このことから丸木舟研究成果の学習(千葉県の歴史資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」の学習)において遺跡DBを活用すれば正確なプロットが可能となり、丸木舟出土遺跡付近の状況や近隣遺跡の情報を知ることが容易になり、学習を深めるツールに活用できることが直観できます。

丸木舟の学習をする場合、「千葉県の歴史」つまり最新研究成果を受け身で知るだけでなく、遺跡DBでその様子をプロットして丸木舟出土遺跡の状況を能動的に理解することが可能となります。

GIS連動千葉県遺跡DBに対する学習活用の期待が高まります。千葉県遺跡DBを中間試作品から概成製品に格上げできるように作業を進めます。


2018年10月27日土曜日

遺跡DB感想 縄文・木製品

約2万件の千葉県遺跡DB調整作業のうち主に首から下の肉体を使う単純整形力仕事のメドがつき、遺構概要等コンテンツの主部が姿を現してきました。残るは首から上の思考を伴うファイル操作になりました。めざす暫定完成にはまだ時間がかかりますが仮製品を利用してその使い勝手を試してみました。

印西市西根遺跡で出土した縄文後期木製品がイナウ似であり、縄文時代木製祭具であるという仮説を設ける学習を最近しました。
縄文後期イナウ似木製品の意匠と解釈~印西市西根遺跡出土品の実見・分析・考察~」参照

同様のイナウ似木製品が千葉県から出土していないかどうか以前から気になっていたところです。「杭」などと鑑定され検討対象になっていない遺物があるかもしれません。
そこで仮DBで「縄文」「木製品」をキーワードに検索してみました。

仮DBにおける「縄文」「木製品」をキーワードとする検索結果 Excelエクスポート(部分)
21遺跡が抽出され、縄文時代木製品が出土したと考えられる遺跡が多く含まれます。丸木弓、丸木舟など具体的製品名が表示されているものもありますが、単に木製品とかかれたものもあります。
これらの遺跡について文献をたどればもしかしたらイナウ似木製品にたどりつくことができるかもしれません。イナウ再発見になるかもしれません。
イナウ似木製品にたどりつけなくても、千葉県縄文時代木製品カタログの出発資料をつくることができます。

GIS連動千葉県遺跡DBが利用できるようになることの意義の大きさを体感しました。

2018年10月21日日曜日

遺跡DB感想 文献のない遺跡の重要さ

約2万件の千葉県遺跡のうち「文献のない遺跡」が13765件(暫定)で全体の68.8%となります。「文献のない遺跡」のうち備考欄に調査実施が記述されているものが683件(暫定)あり、「文献のない遺跡」全体の約5%を占めます。当該遺跡を対象とした正式調査が行われた遺跡のほとんどは文献として記録されているようです。
「文献のない遺跡」の95%はこれまで正式な発掘調査は行われていないけれども自治体文化財行政担当官現場を足であるいて調べてきた貴重な遺跡であると言えます。
「文献のない遺跡」といえどもDB遺構・遺物概要には詳細な記載があるものが多く、長年にわたる貴重な情報集積結果が表現されていると言えます。
遺跡DBの使い勝手を改善することによって、貴重な「文献のない遺跡」情報の有効活用がはじめて可能になります。
詳しく調査され詳細な発掘調査報告書が発行されている遺跡を核として活用し、その知識を面的に敷衍する因子として「文献のない遺跡」を学習利用したいと思います。

風景

2018年10月19日金曜日

遺跡DB感想 低地の縄文遺跡

約2万ある千葉県遺跡を立地「低地」、時代「縄文」で検索してみました。170件(暫定)の遺跡が抽出されました。特徴ある遺跡ばかりで、海浜の漁獲物製品化作業場遺跡、丸木舟が出土するミナト遺跡、破壊土器が集中する祭祀遺跡、狩場近くの動物解体遺跡、墓域を含む遺跡などがふくまれています。
検索をより緻密にすれば(例 微高地、平地などの検索も行い沖積地や水辺の縄文遺跡を見つける)より多くの低地遺跡を見つけることができそうです。
低地の縄文遺跡を学習することによって縄文社会の様子をより立体的に捉えられることは確実です。
低地の縄文遺跡については数も悉皆的に扱える範囲になりますから、全ての文献等(発掘調査報告書等)を閲覧して知識を増やすプロジェクトをいつか立ち上げたいと思います。

なお、因みに立地「低地」時代「旧石器」で検索したところ5件の遺跡が検出されました。詳しく吟味する必要がありますが、低地から旧石器ブロックが出土している遺跡が含まれていることは確実であり、どうしてそのような状況が生まれるのか、海進・海退や地殻変動の影響などの要因も含めて興味がつのります。

花見川風景

2018年10月17日水曜日

遺跡DB感想 神社と遺跡との関係

約2万の千葉県遺跡データの中で「立地」に神社や神社境内などの記述があるものが324(暫定)あります。遺跡の種別と時代の対応のイメージは次のようになり類別がかなりはっきりしています。
……………………………………………………………………
●「立地」に神社・神社境内等が記述されている遺跡
貝塚(縄文~古代)17
集落跡(縄文~古代)11
包蔵地(縄文~古代)80

洞穴(弥生~古墳)1
古墳(古墳)84
横穴(古墳~古代)8
官衙跡(古代)1

寺院跡(古代~中近世)2
生産跡(古代~近世)2

やぐら(中世~近世)11
砦跡(中近世)1
城館跡(中近世)57
塚(中近世)49
……………………………………………………………………
1件1件の遺跡の状況を詳しく調べることが最初に必要であることは言うまでもありませんが、神社の始まりが遺跡の存在と関わっているものが数多くあることは確実だと考えます。
「立地」に神社と書かれていなくても現場に行けば神社が存在する遺跡も数多くあると想像します。
遺跡データベースを詳しく分析すれば遺跡の存在と神社(信仰の場所)発生との関係を詳しく予察することが出来そうです。

なお、これらの情報のなかで神社つまり信仰の場の発生が縄文時代に遡ることができるものがあるかどうか、特段の興味があります。
どのような情報をあつめれば、あるいはどのような思考をすれば当該神社(信仰の場)の起源が縄文時代にさかのぼると言えるのか、学習を深めることにします。まず縄文-弥生-古墳の社会連続性について学習することにします。

花見川風景



2018年10月15日月曜日

遺跡DB感想 既存集落と古代遺跡の重複関係

水田耕作が行われるようになった弥生時代以降の集落は低地の微高地に立地したものが多かったと考えます。
一方高度成長期以前の下総地方の地形図をみると低地の微高地例えば谷津低地の台地急崖下の微高地には集落が沢山ある景観となっています。
弥生時代や古墳時代や奈良平安時代の水田耕作集落の好立地場所、つまり低地の微高地は近世近代の水田耕作集落の好立地場所とあまり変わらないと想定すると、現代(高度成長期以前)の低地集落は古代集落の場所と重なる場合が多いと考えられます。

遺跡DBの情報で、現代(高度成長期以前)集落の場所で遺構・遺物を発見・発掘した遺跡があるかどうか興味が湧きます。
面的大規模開発等で低地既存集落が発掘調査対象地域に含まれたものがあるかどうか、もしあれば遺構・遺物が出土したのかどうか調べたい(知りたい)と思います。

このような興味の背景に、弥生時代遺跡の数量が時代の短さを考慮しても少なすぎて、多くの弥生時代集落の上に現代集落(高度成長期以前)が重複立地しているからではないかという疑問があるからです。

遺跡DBを使って、集落(住居)遺跡数の時代(時期)別統計を地域別に作成し比較すれば社会の変動に関する情報を得ることができると思いますので、いつか検討してみることにします。

花見川風景


2018年10月13日土曜日

遺跡DB感想 土器形式

遺跡DB(千葉県遺跡DB)の遺構・遺物欄に出土土器形式が掲載されているものが多数あります。
例えばたまたま見ている例(墨総合公園内遺跡)では次の縄文土器形式が掲載されています。

縄文土器[加曽利<B1B2B3EⅢ>,安行<Ⅰ,Ⅱ,Ⅲa,Ⅲb>,阿玉台<Ⅱ,Ⅲ>,称名寺,諸磯,興津,茅山<上層>,浮島<Ⅱ>,五領ケ台,田戸,稲荷台,荒海,花積下層]

このような遺跡別出土土器形式情報を千葉県遺跡全体(遺跡総数約2万)で通覧することは事実上データベースだけでしかできないと考えられます。
データベースが完成したあかつきには土器形式別に出土遺跡を検索してGISにプロットすることはいわば瞬間的にできるようになります。従って、その情報をつかって土器形式の分布変化、つまり縄文遺跡の時期別分布変化について学習したいと今から楽しみにしています。しかし、おそらくいろいろな課題(問題)が生れて単純なかたちで土器形式分布変遷が捉えられないかもしれませんが、そのプロセス自体がチャレンジしがいのある学習になりそうです。この学習のなかで土器形式そのものに関する基礎知識も得たいと思います。

ちなみに上記例の遺跡は文献欄は空白ですからこのデータベースを利用しない限りこの情報を利用することはできません。同じような、文献はないけれども調査がされた遺跡が多数あります。
なお、文献が掲載されている遺跡について、おそらく1万前後あるのではないかと想定しますが(近々正確な数字が判明します)、その文献を閲覧確認することは数量的に事実上不可能であると考えますからデータベースの意義は大変大きいものとなります。

花見川風景

2018年10月11日木曜日

遺跡DB感想 根

1 はじめに
現在、縄文学習を中断して遺跡DB作業に集中しています。(2018.10.09記事「学習インフラ工事中」参照)
その作業では首から下の手作業がメインであり、首から上はほとんど機能していませんから勝手な思考・感情等の感想が生まれては消え、生まれては消えています。そのような感想の多くはあまり意味がないと思っていますが、そうした中で、「面白い」「新しい興味の種になりそうだ」「以前の興味とつながる」などとして残ってしまいメモをとっておきたくなるものもあります。
そのようなメモを取っておきたくなるような感想を「生」で書いてブログ記事の埋め草にすることにします。
メモをとっておきたくなる項目をデータベースで調べ出したり、GISで分布図を作成したり、WEBで検索したり、自分の過去記事等を読み直したり等々すれば、おそらく自分レベルでは立派な「興味定着」記事を書くことができるとは思います。しかし、それをし出すとそれに時間をとられてしまい、遺跡DB作業の時間が少なくなるという本末転倒現象になってしまいます。そのためここでは我慢してあくまでも時間をほとんど要することのない「生」感想を書くことにし、後日じっくりと再検討することにします。

2 根
遺跡DB(千葉県遺跡DB)の遺跡名に「根」の文字が含まれているものがあり、気になります。
遺跡名は小字名を採ったものが多いので、「根」が含まれている小字にその遺跡があることになります。
同じ「根」でも赤羽根遺跡とかは「根」に意味はないと思います。
しかし西根遺跡、根神社遺跡、宮根遺跡などの「根」はもしかしたら遺跡の存在が「根」地名を産みだし、その地名が遺跡名になった可能性があります。
「根」とは地下を意味する言葉です。「根の国」という記紀神話に出てくる言葉もあります。
地面から土器が露出している場所や耕作すると土器や遺物・人骨が出てくる場所は死者や祖霊のこもる場所として扱われ「根」という場所として扱われ、「根」が地名になった可能性があります。
つまり、遺跡の存在が「根」地名を生んだ場所があるのではないだろうかと考えます。
印西市西根遺跡は調べたところ、多量土器が半ば露出する低地部分だけが小字「西根」になっていて、近世まで聖地として存在していたようです。
祈りの空間 戸神川谷津の隠された秘密にせまる-西根遺跡縄文~近世の自分流学習-」参照

「根」がつくから全部遺跡と関係する地名(遺跡名)ということはありませんが、「根」のつく地名(遺跡名)の中に遺跡存在がその地名(遺跡名)起源にかかわるものがあるという仮説になります。
いつか詳しく調べてみることにします。

花見川風景

2018年10月8日月曜日

学習インフラ工事中

現在通常の学習を中断して学習インフラ建設工事に集中して取り組んでいます。

「千葉県の歴史 資料編」の電子化データベース化を進め事例をGISにとりこんだところ、自分の学習視野が急速に広がり学習インフラの整備が学習加速に大切であるこを実感しました。
その体験に基づいて、中長期的視点から学習インフラ(=膨大情報のデータベース)整備をこの際優先してすすめ自分が欲するレベルのインフラ概成を目指しています。

現時点では千葉県遺跡データベース(ふさの国文化財ナビゲーションダウンロードデータ)の調整作業を行っています。遺跡名称、時代、種別などをGISに正確にプロットすることは既にできているのですが遺構遺物概要の調整作業を後回しにしてきたので、その調整作業をおこなっています。レコード数19580のかなりの部分について調整作業が必要であり、ExcelでマクロやCONCATENATE関数を始めとする工夫を駆使しながら1件1件のレコードによって異なる「整形」作業を手作業で行っています。

千葉県遺跡データベースの調整作業画面

この作業が完成した後に幾つかの図書や論文データベースを私家版データベースにするとともに千葉県小字データベースの調整作業を予定しています。

学習インフラ工事は集中優先して行い、学習一般は犠牲にしますのでブログ記事更新頻度も大幅に低下しますのでご了解ください。

2018年10月5日金曜日

地名「千葉」縄文語起源記事の通覧サイト開設

「地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説」というシリーズ名で連載記事をかきはじめました。当初は数編の記事掲載を予定し、梅原猛の仮説を詳しく紹介するという予定でした。
しかし、記事を書くために資料を詳しく読むと、梅原猛の仮説が自分の中でたんなるアイディアとしての興味ではなく、「本当かもしれない」という確信を含む興味に変化してきました。この仮説の蓋然性を高めるために縄文後晩期-弥生-古墳-奈良平安と連続して考古遺跡や史料を調べる価値があると感じました。
そこで長期戦を想定してこのテーマに取り組むことにします。
今後散発的になりますが多数のブログ記事を書くことにしますので、あとから通しで読む便利を用意しておくことにし、そのために記事を順番につなげたpdfを作成し新設サイトに掲載しました。

新設サイト「地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説」
ブログ「花見川流域を歩く」ではいろいろなテーマの記事が錯綜しますので地名「千葉」語源だけの記事を通しで読むためには便利になると思います。
ブログ記事を追加するごとにpdfにその記事を追加します。

新設サイト「地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説」

2018年10月3日水曜日

放射性炭素年代測定データベース

国立歴史民俗博物館の放射性炭素年代測定データベースを閲覧し試用してみました。自分の縄文時代学習に大いに使えそうなのでメモしておきます。

国立歴史民俗博物館 遺跡発掘調査報告書放射性炭素年代測定データベースの画面
このデータベースは国立歴史民俗博物館所蔵の遺跡発掘調査報告書約6万冊を悉皆調査してC14年代測定例を抽出したものです。現在東北地方と関東地方の27209件のデータが登録されています。

検索画面は次の通りです。

検索画面
この画面例では都道府県に千葉県を、時代区分に縄文時代を選択しています。

検索結果
千葉県-縄文時代での検索結果は491件となりました。
個々のデータの「詳細を見る」をクリックすると詳細が表示されるとともに「OxCalで暦年較正結果を表示」がクリッカブルとなり、事前登録すると暦年較正用C14年代が表示されます。なお、較正年代早見表もこのサイトにありますから直ぐに簡易的に較正年代目安を知ることもできます。

次に都道府県を千葉県、フリーワードを「加曽利B」で検索してみました。57件が抽出されました。この抽出結果をダウンロード(TXTファイル)してExcelで表示すると次のようになります。

「千葉県-加曽利B」ダウンロード結果のExcel表示

フリーワードで土器形式を入力すると関連するC14年代が出てきますので、素人の私にとっては良い学習資料になりそうです。特定土器形式のC14年代(暦年較正)を統計的に処理すれば特定土器形式と暦年とのおおよそのイメージを持つことが出来ます。これまで土器形式と暦年との関係を詳しく示す資料に遭遇したことがなかったので、このデータベースを活用すれば縄文時代暦年のイメージをこれまで以上に詳しく持つことができますので、学習の質がレベルアップすると予感します。

なお注意事項には「本データベースはあくまで一次資料(発掘調査報告書)に辿り着くためのものである。」と書かれているとともに、研究目的で使う場合の注意事項が掲載されています。

2018年10月1日月曜日

地名「千葉」の起源に関わる4説

地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説 その5

梅原猛は「日本冒険(上) 梅原猛著作集7」(小学館、2001)のなかで、地名「千葉」がチパ(アイヌ古語でヌササン(イナウでつくった祭壇)の意味)に由来し、それは縄文時代に遡るという仮説を提示しています。
このシリーズ記事ではこの仮説に興味をおぼえて検討しています。
この記事では梅原猛説を含めてこれまでの地名「千葉」に関わる説を4つに整理して、今後の検討に便利なようにしました。

地名「千葉」の起源に関わる4説

羽衣伝説系統と霊石天降伝説系統の千葉由来は千葉家の歴史を説明するための仮託としての用例です。千葉家の出自が高貴なことや一族の繁栄を念ずる意図から考案されたものと考えられています。
草木葉繁茂説は契沖の説が最初であり、それを引用するかたちで吉田東伍や邨岡良弼に支持されてきています。
原始集団説は武田宗久の説が梅原猛に引き継がれ、「チパ」=ヌササンという具体的明示的な説明となり説得力を増したものになっています。

私は地名「千葉」の起源に関わる説で検討の俎上にあがるのは草木葉繁茂説と原始集団説の2説であり、それは煎じ詰めれば、契冲の説(1690年)と梅原猛の説(2001年)の2人の説になると考えます。
契冲、梅原猛ともに万葉集の応神天皇の歌を引いて千葉の説明をしています。
応神天皇の歌の解釈の仕方によって、地名「千葉」の起源が違ってくるというある意味で論点がかみ合っている論争が1690年の契冲と2001年の梅原猛で行われているのです。

契冲の応神天皇の歌の考証 武田宗久「千葉という名称の由来について」の部分引用
(レ点等の入った縦書文字のWEBでの表現方法がわからないのでしかたなく画像で表現しました。)
契冲の説明は、「応神天皇の歌のチバは千葉でカヅヌは葛野だ。それはカヅラのツタが伸びて葉が茂っている様子を歌っている。下総に地名「千葉」と「葛飾郡」が隣接しているのは同じ意味つまり千葉は葉が茂っている様子、葛飾郡はカヅラの意味だ。」ということになります。一言でいえば千葉とは千の葉っぱ(沢山のカヅラの葉っぱ)ということになります。契冲は最初からチバに漢字「千葉」を当て、その漢字字義どおりに解釈しています。
一方梅原猛は応神天皇の歌を次のように解釈しています。
「日本書紀」の応神天皇の条に、近江(おうみ)に行くとき山城国宇治郡の菟道野(うじの)に立って国見をしたという歌がある。
千葉の葛野(かづの)を見れば百千足(ももちた)る家庭(やには)も見ゆ国の秀(ほ)も見ゆ
この歌の「千葉」とは「チパ」ではないか。葛野は神を祀る場所で、そこにチパがあったのではないか。その下に「百千足る家庭も見ゆ」とあるから、「家庭」というのは家の中で神を祀る場所というのであろう。
また「チハヤフル」は神にかかる枕詞(まくらことば)であるが、これも「チパが古くなっている」、つまり「古い神々がいる」という意味で神にかかるのではないかと考えられる。さらに、氏にかかる枕詞「チハヤビト」、これは武勇の優れた人と従来解されてきたが、やはり「チパヤヒト」つまり「神祭りの霊場に集まる人」という意味で、氏にかかったのではないかと思う。「千葉」をそのように解すると、あの千葉県の「千葉」の意味もよくわかる。「千の葉」という意味では何のことかわからないが、チパのあったところと解すればよくわかる。千葉県は縄文の遺跡の宝庫であり、縄文文化がもっとも発展したところである。」梅原猛著「日本冒険(上) 梅原猛著作集7」(小学館、2001)から引用
私は契冲説より梅原猛の説の方がはるかに確からしさがあると感じます。