2020年3月31日火曜日

異形台付土器の計測と比較

縄文土器学習 391

このブログでは現在加曽利貝塚博物館常設展に展示されている加曽利B3式異形台付土器(千葉市加曽利貝塚)2点の観察と考察を行っています。
この記事では異形台付土器を計測するとともにAB2点を比較し考察します。

1 加曽利B3式異形台付土器(千葉市加曽利貝塚)2点の計測
3DF Zephyr Liteにおける3Dモデル作成時にスケーリング(実寸法付与)し、GigaMesh Software Frameworkで器形に関する諸指標を計測しました。計測はユークリッド距離ではなく、オルソ画像の平面投影図上で行いました。

GigaMesh Software Frameworkによる計測作業メモ
Aの器高は21.10㎝、Bの器高は18.94㎝です。
特徴的なこととしてAは底部径10.63㎝、口縁部径10.11㎝で底部の方がわずかに大きくなっていますが、Bは底部径9.85㎝、口縁部径10.20㎝で口縁部の方が大きくなっていることとです。この底部と口縁部の径の大小の違いにより器形から受ける印象が大きく異なってきます。Aはスリムに、Bは小太りな印象を受けます。

2 AB2点の意匠の差異
次の図に示す通り、ABの意匠に詳細な差異が見られます。

AとBの意識的意匠差異
文様浮彫展開写真(GigaMesh Software Frameworkにより作成)
・土器底部と口縁部に施文された縄文の方向が異なっています。
・注口状円環の模様がAは刺突文、Bは縄文で異なっています。
・たすき掛け状に施文された土器中部の縄文の交点部で、Aは縦方向の連続性が強調されますが、Bは横方向の連続性が強調されます。
・土器中部と上部・下部の区画がAは隆帯刻みですが、Bは沈線になっています。
・Aは土器口縁部径が底部径より少し小さくスリムに見えます。Bは土器口縁部径が底部径より少し大きく小太りの感じをうけます。
・AはBより2㎝ほど器高が大きくなっています。
これらの意匠差異はよく似た形状のABを一目で別モノとわかるように意識して施されたことは確実です。

3 考察
・AとBは実用土器(容器としての土器)ではなく、その存在が未発見の実在物の形を縮小して模したフィギュアであると考えています。
・AとBは意識してデザインを少し変えて作った意味のあるセットであると考えます。
・AとBの見た目の印象から人の夫婦を連想します。形状は土偶(土製の人形)ではありませんが、背の高い男性と小太りの女性を暗にイメージして作られたような印象を受けます。
・AとBは夫婦に関わる事柄のイベント(祭祀)で使われたと想像します。
・AとBのセットを作成したのが女性である(らしい)ことに大きな意味を予感します。男性は石棒という男性機能だけに関わる祭祀道具をつくるけれども、女性は夫婦(男性機能と女性機能)に関わる祭祀道具をつくる。女性が実は男性を包摂しているという指摘(※)が脳裏を横切ります。
※清瀬市郷土博物館内田裕治学芸員の指摘

加曽利B3式異形台付土器(加曽利貝塚)展示の状況 左がB、右がA

さらに続いて次の項目について検討を深めることにします。
・夫婦を予感させる大小土器同時出土例
・異形台付土器というフィギュアが模している実体装置の想定と機能
・異形台付土器の出自(前代の器台との関係)
・異形台付土器の展開(器形変化、分布)
・異形台付土器が使われたイベント(祭祀)の想定

2020年3月30日月曜日

異形台付土器(加曽利貝塚)2点の報告書記述

縄文土器学習 390

このブログでは現在加曽利貝塚博物館常設展に展示されている加曽利B3式異形台付土器(千葉市加曽利貝塚)2点の観察と考察を行っています。
この記事では異形台付土器出土遺構や出土状況について「史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会)等の記述を抜き書きして学習します。

1 加曽利B3式異形台付土器(千葉市加曽利貝塚)2点の出土遺構
異形台付土器は貝塚南東傾斜面から検出された大型竪穴遺構である112号竪穴住居から出土しています。

112号竪穴住居の位置
「千葉県の歴史 資料編考古1(旧石器時代・縄文時代)」から引用

112号竪穴住居
史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会)から引用
「ほぼ南北に長軸を持つ約19m×16m程の楕円形を呈すると見られる竪穴住居跡である。
地形の傾斜のため北から東にかけての壁は確認されなかったが、遺存状態の良い南西端では70cm以上の壁高がある。
壁に沿ってやや内側に、直径20~30cm、深さ10~40cm程度の小規模なピット(P111 ~192)が列をなし一部は複合して溝状となるが、壁が残っていない範囲では
検出されていない。従って、P192付近より北及び東側では、ハードローム層より上位の上層中に床面があったと考えて良い。」史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会)から引用

112号竪穴住居 発掘時写真
「千葉県の歴史」から引用

2 加曽利B3式異形台付土器(千葉市加曽利貝塚)2点の出土状況
「特殊遺構の床面附近における遺物の出土状況は、その南西部と東北部とではかなり異なっており、おもに南西部に集中している傾向があった。とくに、石棒と異形台付土器および玉類などの特殊遺物は、この南西部の外周の柱穴列と周壁との間からおもに発見されている。」

異形台付土器
史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会)から引用
「64・65は床面直上から出土したとされる異形台付土器で、64は「横に倒れた状態でほぼ原型のまま出土した」とされたもの、65 は「成立の状態で置かれた本土器が、ちょうど上部からの土圧で押しつぶされたような状態を示していた」とされたものである。
体部の注口状突起を正面に見た場合、一見すると同一の装飾と誤解しかねないふたつの士器は、同一文様を用いずに非常によく似た印象を与えるように製作されている。口縁部と台部を装飾する帯縄文は、64では上下を沈線で区画して端部に狭い無文部を持つのに対し、65 には端部側の沈線がない。
互連弧充填縄文ふたつで装飾する体部では、64は左右、65は上下に向き合うように配置している。
体部と口頸部・台部との区分は、64は隆帯状となる二本の沈線間に工具の側面を押し付けた刻み目を施すのに対し、65は一本の沈線のみである。
注口状突起の装飾は、64は円管状工具の先端による刺突文であるのに対し、65は縄文を施文する。
それぞれに施文する縄文原体は、64はRL、65 はLRである。
なお、『紀要8』では、「丹彩の痕跡」が64の体部と台部に認められ、65にはないとされている。現状肉眼では、64の注口状突起の刺突文内に赤彩を認めるが、65が赤彩されていなかったという判断は困難である。
64の器高21.6 cm、65は19.2 cmである。」史跡加曽利貝塚総括報告書」(2017、千葉市教育委員会)から引用

参考 石棒
「紀要8」から引用

3 感想
・異形台付土器は特殊遺構と称せられる大型竪穴住居から石棒等の祭祀にかかわる遺物とともに出土しています。
・出土場所が外周の柱穴列と周壁との間ですから、現代風にいえば催し物ホールの正面舞台の横にある機材ルームのような場所に異形台付土器が置いてあったとでも形容できると思います。112号竪穴住居が集落の祭祀や催しを行う会場であり、そこで異形台付土器2点を使った祭祀や石棒を使った祭祀等が執り行われていたと想像します。
・異形台付土器や石棒が出土した遺構南西部は壁高が70センチ近くあり、その前の空間がこの竪穴住居の「上座(舞台)」だったと想定できます。
・加曽利B3式期の112号竪穴住居では冠婚葬祭や無病息災祈願、生業発展祈願、あるいは広域交流など多彩な行事が執り行われたと思います。その中のイベント(祭祀)で異形台付土器が使われたと想定します。
・どのようなイベント(祭祀)で異形台付土器が使われたのか、引き続き思考してみたいとおもいます。
・石棒は男性(主導)型イベント(祭祀)、異形台付土器は女性(主導)型イベント(祭祀)に関わるかもしれないと、現状ではあまり根拠のない空想をしつつ次の検討に進みます。

2020年3月29日日曜日

加曽利B3式異形台付土器B(千葉市加曽利貝塚)の観察

縄文土器学習 389

この記事では加曽利貝塚博物館常設展に展示されている加曽利B3式異形台付土器(千葉市加曽利貝塚)Bの観察を行います。

1 加曽利B3式異形台付土器B(千葉市加曽利貝塚) 観察記録3Dモデル

加曽利B3式異形台付土器B(千葉市加曽利貝塚) 観察記録3Dモデル
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2019.12.27
許可:加曽利貝塚博物館の許可による全周多視点撮影及び3Dモデル公表
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 86 images
(注意:土器を上からのぞいた時の底はAと同じで、土器下部と中部の境にあります。しかし、3Dモデルではその状況が正しく結像していません。)

撮影の様子

常設展展示の状況 左がB、右がA

2 アニメ表示(B)

加曽利B3式異形台付土器B(千葉市加曽利貝塚) アニメ表示

3 文様浮彫展開写真の作成
GigaMesh Software Frameworkにより文様浮彫展開写真を作成しました。

加曽利B3式異形台付土器B(千葉市加曽利貝塚) 文様浮彫展開写真

4 観察
・Bの文様はAとよく類似しています。
・器形はBの方がAより背が低く、太っています。その状況は今後正確に計測することにします。
・胴部中央の2つの円形環は中空です。

胴部中央2つの円形環の様子

・胴部下部の内面はAと同じで胴部下部と中部の間に境があります。

土器を下から覗いた時の様子

加曽利B3式異形台付土器AとBの観察考察をさらに続けます。

2020年3月28日土曜日

異形台付土器の上部切除モデルによる観察

縄文土器学習 388

加曽利B3式異形台付土器(千葉市加曽利貝塚)Aの観察を行っています。
この記事では上部切除モデルによる観察、文様浮彫展開写真による観察を行います。

1 参考 加曽利B3式異形台付土器A(千葉市加曽利貝塚)上部切除3Dモデル
次画像の赤色部分を切除して3Dモデルを作成しました。

切除部分

参考 加曽利B3式異形台付土器A(千葉市加曽利貝塚)上部切除3Dモデル 
撮影場所:加曽利貝塚博物館 
撮影月日:2019.12.27 
許可:加曽利貝塚博物館の許可による全周多視点撮影及び3Dモデル公表 
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 81 images

上部切除モデルのアニメ

土器上部を切除することにより、土器内部構造の様子や中部の様子をより詳しく観察することができます。

2 文様浮彫展開写真
GigaMesh Software Frameworkを活用して加曽利B3式異形台付土器A(千葉市加曽利貝塚)の文様浮彫展開写真を作成しました。

GigaMesh Software Frameworkに土器をセットした様子

加曽利B3式異形台付土器A(千葉市加曽利貝塚)文様浮彫展開写真 土器表面(外面)

加曽利B3式異形台付土器A(千葉市加曽利貝塚)文様浮彫展開写真 土器内面
土器内部に視点をおいた場合の展開写真です。

3 観察と感想
3-1 土器上部
・土器上部(切除モデルで切除した部分)は口縁部平滑な一般土器の形をしています。口縁部に縄文があり、口唇部も表現されています。
・ただし、内面をみると土器の底がありません。

斜め上からみた加曽利B3式異形台付土器A

3-2 土器中部
・断面形状が三角の円環状の形状をしていて、二つの小環が口を開けています。
・小環は中空となっています。(3Dモデルでは中空には表現できていません。)

2つの小環が中空となっている様子
・2つの小環は少しだけ斜め上を向いて口を開けています。
・小環と小環の中間部が少し出っ張り、その部分にたすき掛け状に縄文が施されています。

たすき掛け状に施された縄文

3-3 土器下部

土器下部の様子
・土器下部と土器中部の内面に壁があります。
・土器下部は口縁部平滑な一般土器を裏返して置いたような形状をしています。
・模様も口縁部に縄文があるようなイメージを受けます。

3-4 感想
・土器上部は底抜けの一般土器を、土器下部は底のついている一般土器を、土器中部は草木などを紐で縛って、そこに中空の環を差し込んだような印象を受けます。そのような3つの構成物からなる装置のフィギュアがこの土器であるとの推測をします。

詳しい検討をさらに進めることにします。

2020年3月27日金曜日

加曽利貝塚出土異形台付土器の観察と検討

縄文土器学習 387

加曽利貝塚博物館から許可をいただき、常設展展示土器である加曽利B3式異形台付土器(千葉市加曽利貝塚)2点(AとB)の周回多視点撮影を行い観察記録3Dモデルを作成しました。しばらくの間、観察と検討を楽しんでみたいと思います。(このブログでは2点同時に出土した異形台付土器のうち背の高いものをA、背の低いものをBとします。)
この記事ではAの観察記録3Dモデルとアニメを示しつつ今後の観察・検討項目をメモしました。

1 加曽利B3式異形台付土器A(千葉市加曽利貝塚) 観察記録3Dモデル

加曽利B3式異形台付土器A(千葉市加曽利貝塚) 観察記録3Dモデル
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2019.12.27
許可:加曽利貝塚博物館の許可による全周多視点撮影及び3Dモデル公表
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 81 images

撮影の様子

常設展展示の状況 左がB、右がA

2 アニメ表示(A)

加曽利B3式異形台付土器A(千葉市加曽利貝塚) アニメ表示

3 これからの観察・検討項目
AとBの2点について、これからの観察・検討項目をメモします。

3-1 観察
観察記録3Dモデルを使って次の観察・計測・分析等を行います。
1 文様浮彫展開写真、切断3Dモデルの作成
2 観察記録3Dモデル(切断モデルを含む)及び文様浮彫展開写真による形状、模様の詳細観察とそのメモ作成
3 2のメモを注記した注記版観察記録3Dモデルの作成
4 寸法の計測
5 2と4に関するA・B比較

3-2 学習と検討
1 発掘調査報告書による発掘状況の把握学習
2 異形台付土器に関する専門家検討結果の把握(文献収集による異形台付土器の分類、系統、分布等把握) 
3 このフィギュアが表現している具体物の推測
4 このフィギュアの用途推測
5 器台の後継器種が異形台付土器であるという仮説の確からしさ検討

2020年3月26日木曜日

加曽利E式土器学習のまとめ

縄文土器学習 386

2019.11.20記事「加曽利E式土器(印旛地域編)企画展観覧」から始めた加曽利貝塚博物館企画展「あれもEこれもE-加曽利E式土器(印旛地域編)」(2019.11.16~2020.3.1)関連の土器学習を2020.03.25記事「獣面把手(?)付加曽利EⅣ式土器」で区切ることにします。
この記事では、昨年度の企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」の学習を含めて、加曽利E式土器学習全体をふりかえり、その感想をメモします。

1 加曽利貝塚博物館企画展に感謝
昨年度の企画展では加曽利EⅠ式→EⅣ式の順で土器を並べ、その違いの説明に重点をおいたパンフレットが配られて大変参考になりました。土器学習を始めたいと思い立った時、偶然この企画展と遭遇してラッキーなことになりました。関連する専門家講演会(3回)も土器学習の面白さを強く刺激するものとなりました。

2018年度企画展

今年度の企画展では印旛地域出土加曽利E式土器について展示があり、自分にとっては加曽利EⅢ式土器の多様な様子がよくわかるものとなり、最初はなかなか歯がたたないスルメのようで苦難でしたが、最後はその旨味を存分に味わうことができました。関連する専門家講演会(2回)では土器学習を深めることができました。(コロナ禍で最後の講演会が中止となったことは残念です。)

2019年度企画展

加曽利貝塚博物館の2018年度、2019年度の企画展と関連する専門家講演会を自分の土器学習に最大限活用させていただきました。加曽利貝塚博物館の皆様と関係専門家の方々に心からお礼申し上げます。

2 加曽利E式土器学習で生まれた主な興味
2-1 加曽利EⅠ式→EⅡ式→EⅢ式→EⅣ式器形変化と社会変動との対応
加曽利E式土器学習で生まれた興味で最も大きく育ったものが器形変化と社会変動の対応関係です。
EⅠ式→EⅣ式までの器形変化が社会変動と密接に関係しているという対応関係仮説が自分の中に生まれました。

器形変化と社会変動との対応
(土器図版は加曽利貝塚博物館パンフレットから引用、竪穴住居数等グラフは千葉県の歴史本編から引用)
人口急増期(加曽利EⅡ式期)では土器デザインが煮沸機能向上を示すような使いやすいものになっていて、シンボルの渦巻がしっかりしています。ところが、人口急減期(加曽利EⅢ式期、EⅣ式期)では波状口縁や把手が盛行し利用機能を犠牲にしてでも土器に表現すべき事柄が生まれています。シンボルの渦巻も崩れます。
社会成長期と衰退期で土器デザインが変化する様子が加曽利E式土器で読み取れます。この関係をより詳しく学習することが今後の学習テーマの一つです。

2-2 加曽利EⅢ式のキャリパー形土器・意匠充填系土器・横位連携弧線文土器の区分とその分岐背景、曽利式土器・連弧文土器
専門書には曽利式土器と加曽利E式土器が接触して連弧文土器が発生し、曽利式土器と連弧文土器が房総にも分布を広げた。その過程で連弧文土器と加曽利E式土器(キャリパー形土器)が接触して意匠充填系土器と横位連携弧線文土器が生まれたという仮説が書いてあります。
このような関係が列島中央部~房総において空間分布的に確認できるのか、房総ではより具体的空間的データとして確認できるのか、GIS技術を駆使して学習したいと楽しみにしています。

上からキャリパー形土器、意匠充填系土器、横位連携弧線文土器

2-3 土器正面の存在とそれに関連する利用様式に関する仮説
土器文様に「土器正面」を示すと考えられる特別な部位がある場合があります。その「土器正面」に対応して土器を横置して熾火による空焚き(カビ防止のための後処理)などが行われたという仮説が生まれました。3Dモデル作成と文様浮彫展開写真により土器内外の位置関係様子が正確に把握できるようになったために、はじめて生まれた仮説です。
この仮説の確からしさを今後検討してゆきたいと思います。

土器正面の存在とそれに関連する利用様式に関する仮説

2-4 器台の用途
器台の用途が「けむり」に関連するものであるかどうか、さらに検討を深めたいと思います。さらに、器台の後継「器種」が異形台付土器であると仮説していますが、その仮説の確からしさについて検討を深めたいと思います。

2-5 注口土器、ラッパ形土器等に関する興味
注口土器やラッパ形土器等について生まれた多数の興味を深めたいと思います。

片口付ラッパ形土器

2-6 土器学習から派生した興味
・炉
炉の進化と土器器形との関係についてどのような関係があるのか今後知りたいです。
・土偶
土偶の意義について学習を深めたいと思います。

3 土器学習で獲得した観察技術
3-1 3Dモデル作成技術
2019年1月から始めた縄文土器3Dモデル作成技術が数か月である程度実用的なレベルに到達しました。
展示縄文土器の観察記録3Dモデルを自由に作成できるようになると、その3Dモデル作成という行為が逆に縄文土器に対する興味を深めます。技術と観察・興味の好循環が生まれました。

最初期3Dモデルの例
千葉市広ヶ作遺跡出土加曽利EⅣ式器台 正立3Dモデル
千葉市立加曽利貝塚博物館の撮影・公開許可による。
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.351 processing 38 images

3-2 文様浮彫展開写真作成技術
3Dモデルから土器展開写真を作成したいと常日頃から希望していました。そのような時期に清瀬市郷土博物館ホームページに「柳瀬川縄文ロマン展」2019年11月2日~24日開催 縄文土器編 ホームページ公開版」が掲載され、多数の芸術品ともいえるような土器展開写真が掲載されていました。思い切って土器展開写真作成者の内田裕治学芸員にお会いしてその作成方法を伝授していただきました。
内田裕治式土器展開写真が作成できるようになった直後、冊子「文化財の壺」掲載論説でGigaMesh Software Frameworkの存在を知りました。
見様見真似でGigaMesh Software Frameworkの操作方法を知りました。3Dモデルが出来ていれば文字通り数分で土器展開写真ができるようになりました。
GigaMesh Software Frameworkは内田裕治式土器展開写真のような手作り芸術性はありませんが投影法を設定して行いますから正確です。土器内面の展開写真も同時に作成できます。
GigaMesh Software Frameworkによる展開写真作成により、縄文土器観察と興味がより深まりました。

GigaMesh Software Frameworkによる文様浮彫展開写真の例
(加曽利貝塚博物館常設展展示 称名寺式土器 千葉市餅ヶ崎遺跡)

4 今後の土器学習
今後予定している縄文社会の社会変動学習(消長分析学習)の中で土器に関する興味を最大限活かしてゆきたいと思います。
社会変動の様子を土器器形変化や土器利用法変化から読み解いていきたいと思います。

2020年3月25日水曜日

獣面把手(?)付加曽利EⅣ式土器

縄文土器学習 385

現在、加曽利貝塚博物館E式土器企画展(終了)の展示土器について学習しています。この記事では加曽利EⅣ式土器学習として、加曽利EⅣ式深鉢(後期称名寺式期)(印西市馬込遺跡)企16土器を観察します。(企16はこのブログにおける整理番号です。)

1 加曽利EⅣ式深鉢(後期称名寺式期)(印西市馬込遺跡)企16 観察記録3Dモデル正置

加曽利EⅣ式深鉢(後期称名寺式期)(印西市馬込遺跡)企16 観察記録3Dモデル正置
撮影場所:加曽利貝塚博物館 企画展「あれもE これもE ―加曽利E式土器(印旛地域編)―」
撮影月日:2019.11.19
整理番号:企16
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 49 images

展示の状況

展示土器を3Dモデルで側面から見た画像
土器が20度ほど傾かせて展示されている様子がわかります。技術的に正置が困難だったのでしょうか。

2 3Dモデルから作成した文様浮彫展開写真
GigaMesh Software Frameworkを使って3Dモデルから文様浮彫展開写真を作りました。

加曽利EⅣ式深鉢(後期称名寺式期)(印西市馬込遺跡)企16 文様浮彫展開写真 1

加曽利EⅣ式深鉢(後期称名寺式期)(印西市馬込遺跡)企16 文様浮彫展開写真 2(参考)

3 観察と感想
・口縁部文様帯がなく、弧線文が単位文になっていることから加曽利EⅣ式土器として判定されたものと考えます。
・最も大きな把手を上から見ると三角形で口先のとがった蛇をイメージするような形状となっていて、獣面把手であると考えます。この把手にある多数の穴がどのような思考・感覚に伴って作られたのかわからないので、異様に感じます。

3Dモデルを上からみた画像

・波状口縁や大げさで凝った立体文様を施した把手のある土器が多い時期(場所)は生活の困難さが大きかった時期(場所)であると仮説していて、その仮説の立証を目指して学習を進めています。

弧線文が単位文になった加曽利EⅣ式土器

縄文土器学習 384

現在、加曽利貝塚博物館E式土器企画展(終了)の展示土器について学習しています。この記事では加曽利EⅣ式土器学習として、加曽利EⅣ式深鉢(佐倉市神門房下遺跡E地点)企12土器を観察します。(企12はこのブログにおける整理番号です。)

1 加曽利EⅣ式深鉢(佐倉市神門房下遺跡E地点)企12 観察記録3Dモデル

加曽利EⅣ式深鉢(佐倉市神門房下遺跡E地点)企12 観察記録3Dモデル 
撮影場所:加曽利貝塚博物館 企画展「あれもE これもE ―加曽利E式土器(印旛地域編)―」 
撮影月日:2019.11.19 
整理番号:企12 
ガラス面越し撮影 
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.523 processing 46 images

展示の状況
ライトが近く、壁面がハレーションしています。

2 3Dモデルから作成した文様浮彫展開写真
GigaMesh Software Frameworkを使って3Dモデルから文様浮彫展開写真を作りました。

加曽利EⅣ式深鉢(佐倉市神門房下遺跡E地点)企12 文様浮彫展開写真 1

加曽利EⅣ式深鉢(佐倉市神門房下遺跡E地点)企12 文様浮彫展開写真 2(参考)

3 観察と感想
・口縁部文様帯を有していません。
・ハレーションのため文様浮彫展開写真では十分に確認できませんが、沈線で磨消部と区画される弧線文は単位文として胴下部まで連続しています。
・この土器は連携すべき弧線文が単位文に独立したものであると専門家が考えている土器のようです。

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参考

参考


2020年3月23日月曜日

加曽利EⅣ式の入組系横位連携弧線文土器観察

縄文土器学習 383

現在、加曽利貝塚博物館E式土器企画展(終了)の展示土器について学習しています。この記事では加曽利EⅣ式土器学習として、加曽利EⅣ式深鉢(佐倉市宮内井戸作遺跡)企1土器を観察します。(企1はこのブログにおける整理番号です。)

1 加曽利EⅣ式深鉢(佐倉市宮内井戸作遺跡)企1 観察記録3Dモデル

加曽利EⅣ式深鉢(佐倉市宮内井戸作遺跡)企1 観察記録3Dモデル
撮影場所:加曽利貝塚博物館 企画展「あれもE これもE ―加曽利E式土器(印旛地域編)―」
撮影月日:2020.01.07
整理番号:企1
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.523 processing 38 images

展示の状況

2 3Dモデルから作成した文様浮彫展開写真
GigaMesh Software Frameworkを使って3Dモデルから文様浮彫展開写真を作りました。

加曽利EⅣ式深鉢(佐倉市宮内井戸作遺跡)企1 文様浮彫展開写真 1

加曽利EⅣ式深鉢(佐倉市宮内井戸作遺跡)企1 文様浮彫展開写真 2(参考)

3 観察と感想
・口唇部に4単位の小波状(小突起)を持ちます。
・加曽利EⅣ式の入組系横位連携弧線文土器です。

参考

・文様浮彫展開写真の左の弧線文の中に隆線で渦巻が描かれています。この渦巻付弧線文がこの土器正面である可能性が濃厚です。

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参考

参考


2020年3月22日日曜日

加曽利EⅢ式土器観察のふりかえり

縄文土器学習 382

現在、加曽利貝塚博物館E式土器企画展(終了)の展示土器について学習しています。この記事では2020.02.03記事「加曽利EⅢ式土器学習のポイント」からはじめた加曽利EⅢ式土器観察学習をふりかえり、とりまとめます。

1 観察土器の種類
加曽利貝塚博物館開催企画展「あれもE これもE ―加曽利E式土器(印旛地域編)―」(2019.11.16~2020.03.01)展示土器のうち、すでに観察した注口土器を除くEⅢ式深鉢形土器24点について観察記録3Dモデルを作成し、またGigaMesh Software Frameworkによる文様浮彫展開写真を作成して観察しました。
観察土器の主な種類はキャリパー形土器、意匠充填系土器、横位連携弧線文土器です。

観察した加曽利EⅢ式深鉢の種類
なお、器形や模様という土器型式分類とは別に、同じ「深鉢」と呼ばれる土器でも口唇部が肥大化してラッパ形をしていて、片口が付いている土器もあり、用途に応じた分類考察も重要であることを感じました。

2 意匠充填系土器と横位連携弧線文土器の出自
論文「加納実(1994):加曽利EⅢ・Ⅳ式土器の系統分析-配列・編年の前提作業として-、貝塚博物館紀要第21号(千葉市立加曽利貝塚博物館)」では意匠充填系土器と横位連携弧線文土器のそれぞれの出自について、いずれも連弧文土器とキャリパー形土器との接触により成立したと考察しています。

意匠充填系土器と連弧文土器
加納実(1994):加曽利EⅢ・Ⅳ式土器の系統分析-配列・編年の前提作業として-、貝塚博物館紀要第21号(千葉市立加曽利貝塚博物館)から引用

横位連携弧線文土器と連弧文土器
加納実(1994):加曽利EⅢ・Ⅳ式土器の系統分析-配列・編年の前提作業として-、貝塚博物館紀要第21号(千葉市立加曽利貝塚博物館)から引用

連弧文土器は加曽利EⅡ式期に房総でも盛行した土器です。

参考 中期後葉の土器編年案と連弧文土器の位置づけ
小林達雄編「総覧縄文土器」から引用

また、小林達雄編「総覧縄文土器」では連弧文土器について、「おそらくは曽利式土器が関東地方に波及していく中で、加曽利E式と曽利式に由来する要素が転写、複合されて生成したものと考えられる。」と考察しています。

以上の加納実考察と小林達雄編「総覧縄文土器」考察から、次のような状況を想像します。
1 山梨県付近に中心をもつ曽利式土器が関東地方に影響を及ぼした。
2 そのプロセスの中で多摩地方などを中心に連弧文土器が生まれ、加曽利EⅡ式期に房総にも伝わった。
3 加曽利EⅢ式期にキャリパー形土器が連弧文土器の影響を受けて、意匠充填系土器や横位連携弧線文土器が生まれた。(逆に表現すると、房総に伝わった連弧文土器がキャリパー形土器に吸収され、その過程で意匠充填系土器や横位連携弧線文土器が生まれた。)

加曽利貝塚博物館の加曽利E式土器に関するパンプレットでEⅢ式期だけいわゆるキャリパー形ではない土器(下図で赤点で囲む)ができてきますが、この土器は横位連携弧線文土器ということになると思います。

加曽利E式土器パンフレットに出てくる横位連携弧線文土器(赤点だ囲む)
加曽利貝塚博物館パンフレットから引用加筆

3 感想
曽利式土器そのもの及び連弧文土器が房総の遺跡で満遍なく一定の割合でみられることから、房総の人々は曽利式土器や連弧文土器にも「幸福をあやかった」のだと思います。
「幸福をあやかる」本尊は加曽利E式土器ですが、キリスト教徒でもない現代日本人がクリスマスを愛するように、房総縄文人は曽利式土器や連弧文土器を時々愛用したのだと思います。