2019年2月27日水曜日

加曽利EⅢ式区画文円文重層土器の観察と感想

縄文土器学習 47 加曽利貝塚博物館企画展展示土器の観察 23

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)の展示土器38点の個別観察をメモしています。この記事では加曽利EⅢ式区画文円文重層土器No.20の観察をメモします。この土器から加曽利EⅢ式土器がはじまります。

1 加曽利EⅢ式区画文円文重層土器 No.20

加曽利EⅢ式区画文円文重層土器 No.20
井戸作南遺跡出土

加曽利EⅢ式区画文円文重層土器 No.20
井戸作南遺跡出土
(模様を見やすくするための別フィルター写真)

2 観察と感想
2-1 観察
・口唇部が波打ちEⅡ式に多かった平滑な口唇部ではなくなります。
・渦巻文が崩れて円文となり、円文と区画文が重層的に配置されます。口縁部下が波打つようになり胴部との境が不明瞭化します。
・垂下する磨消文が広くなります。

参考 企画展パンフレット抜粋

2-2 感想
・口唇部が波打つようになり、土器の見た目が派手になるように感じます。EⅡ式土器の平滑な口唇部は実用品としてのデザイン美を感じました。工業デザイン的美を感じました。ところがEⅢ式土器の見た目は波打つ曲線の存在により実用的要素を排除した一種芸術品的要素が強まったという感じを受けます。
・実用美から芸術美に変化する意味に関連すると考えられるEⅡ式社会→EⅢ式社会変化要素をピックアップしておきます。
ア 成長社会と崩壊社会(衰退社会)
イ 自然破壊社会と非自然破壊社会(自然破壊するだけの力を持てなかった社会)
ウ 伝統集落社会と外部勢力流入社会
エ 安定社会と不安定社会
オ 漁業重視社会と狩猟重視社会
カ 豊かな社会と貧しい社会
・これらの要素の違いによる世相・思考・感情等の違いと、EⅡ式期とEⅢ式期の土器デザインの違いは密接に関係していると推察します。
・一言でいうとEⅡ式期に人々は土器デザインに生活の自信と充実を表現しようとし、EⅢ式期の人々は生活の不安と貧しさを一時忘れることができる美を土器にもとめたのだと思います。
・渦巻文が崩れて円文になるプロセスに「家紋」が人々に愛されてアイデンティティの確認に使われた社会が崩壊していく様相を重ねて考えてしまいます。

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展示会場風景

海老ケ作貝塚出土獣面把手土器の3Dモデル化

縄文土器学習 46

飛ノ台史跡公園博物館常設展に展示されている船橋市海老ケ作貝塚出土獣面把手土器の3Dモデル化が思いのほか満足感の得られるものになりましたのでその要因と様子をメモします。

1 獣面把手土器の展示状況と写真撮影
飛ノ台史跡公園博物館常設展に展示されている船橋市海老ケ作貝塚出土獣面把手土器は3階ホールの中央に設置された台に置かれていて、周囲に遮るガラスや地物が全くありません。360度自由に写真撮影できます。
このような好条件の下で土器を水平からと斜め上から2回にわたりぐるりとまわりながら全部で47枚の写真を撮影しました。

撮影写真の一部

2 3DF Zephyr Freeによる3Dモデル化
写真計測用ソフトウェア3DF Zephyr Freeを使い47枚の写真から3Dモデルを作成しました。
3Dモデルの出来は期待以上に満足感が得られたものになりました。このモデルをパソコンの中でいじりながら細部の立体模様の状況を詳しく観察することができます。

獣面把手土器の3Dモデル画面

獣面把手土器の3Dモデル画面

獣面把手土器の3Dモデル画面

獣面把手土器の3Dモデル画面

獣面把手土器の3Dモデル画面

3 海老ケ作貝塚出土獣面把手土器について
「海老ケ作貝塚 -縄文時代中期集落祉調査報告-」(1972、船橋市教育委員会)ではこの獣面把手土器について次のように説明しています。
・竪穴住居祉から出土
・褐色土中より発見された深鉢土器である。大きい立体把手と対面に小さい把手を口縁上に配する。大きい立体把手は獣面を表している。把手と把手の間には、1個づつかたつむり状の隆帯を付ける。文様は隆帯と沈線の組み合わせによる渦巻文が主文として埋まる。胴部に一条隆帯がまわり、胴部は無文である。
・本祉の時期は第Ⅲ類土器に分類でき、海老ケ作集落盛期の住居である。土器はいわゆるプレ加曽利EⅠ式、原加曽利EⅠ式に該当し、加曽利E式期に含めて考えることができる。
・遺跡全体では阿玉台式土器と勝坂式土器の影響をうけ、後者の影響が強い。

土器実測図
「海老ケ作貝塚 -縄文時代中期集落祉調査報告-」(1972、船橋市教育委員会)から引用

土器写真
「海老ケ作貝塚 -縄文時代中期集落祉調査報告-」(1972、船橋市教育委員会)から引用

4 感想
土器を学習する上で展示物をその展示会場で観察することには限界があり、記録を写真で残し、後日写真で観察しなおすことになります。しかし写真では立体物の詳細をリアルに観察することが困難です。立体の状況を写真ではリアルにイメージできない場合があります。そのため学習資料として土器3Dモデル作成に取り組みました。
そうしたところ、今回の獣面把手土器3Dモデル作成により、単に技術上それが可能であるだけでなく、360度からの撮影が可能であるという条件が整えば他の学習者とも情報共有ができるレベル、つまり「製品」的レベルの3Dモデル作成が可能であることに気づくことができました。
縄文土器所蔵機関と学習者グループの間で協力の仕組みができれば、一般公開のための学習用縄文土器3Dモデル図鑑作成も夢ではありません。

5 海老ケ作貝塚出土獣面把手土器に興味をもったきっかけ
Twitterの焼町焼さんの「千葉のくせに見事な勝坂」に強い刺激を受けてこの土器に興味をもちました。
このTwitterの前に、加曽利貝塚博物館講演会で佐藤洋学芸員から有吉北貝塚では勝坂式土器そっくりさんが出土しているが隆帯で作るべきを沈線でごまかしていて、そっくりさんだとの紹介がありました。講演会情報とTwitterで、船橋には勝坂が来ていて、千葉には来ていないという地理分布上の問題意識が芽生えました。

2019年2月25日月曜日

小澤政彦先生講演「東関東(千葉県域)の加曽利E式」学習メモ

縄文土器学習 45

2019.02.24に加曽利貝塚博物館で小澤政彦先生講演「東関東(千葉県域)の加曽利E式」がありました。その聴講で自分の学習にとって特に役立った点や気になった点をメモします。

1 全体感想
50人収容会場に70人の聴衆が集まり、大盛況でした。
配布資料は過半が土器図録である30ページ近くに及ぶもので充実したものでした。図録は自分の学習の参考資料になります。
講演は縄文土器そのものの説明から始まり、加曽利E式土器の研究特性の説明を経て、形式変化の詳細な説明と多様な学問上のエピソードを聞くことができました。
演者の話をスライド画像と対応させた資料ができれば、それは加曽利E式土器の立派な概説書になると思いました。

会場風景

2 土器編年と絶対年代
次の土器編年と絶対年代の表が資料に掲載されています。

土器編年と絶対年代
これと同じものを「れきはくデータベース」から作成しようとしていたので、この資料が入手できて、ラッキーです。学習上の時短になりました。
2019.02.10記事「加曽利E式土器の暦年較正年代」参照

3 加曽利E式土器編年分類について
加曽利E式土器編年分類の研究者間における違いについて詳しい説明がありました。

加曽利E式土器編年分類の研究者間の違い

演者が採用している分類と企画展パンフレット分類の対照図も投影されました。

演者採用分類と企画展パンフレット分類の対照図

このような群雄割拠状態、研究者間での死闘状況の原因について、加曽利E式土器の出土遺跡が多いこと、地域によってバリエーションがあることなどが説明されました。
「材料が豊富過ぎて検討が追い付かない」状況だと思いますが、ローマ数字(Ⅰ、Ⅱ、・・・)とギリシャ数字(1、2、・・・)が混在し、なおかつその意味が違うという状況は早く解消してもらいたいと思います。
最後の質問でどなたかが「土器の模様や形状等の要素毎にその継続年代を調べ、その情報を総合して当該土器の特性を把握すれば、土器分類の不毛な意地の張り合いはなくなるのではないか」旨のご意見がありました。きわめて有益な発想であると自分は賛同しました。
土器形式判定という研究者が競う「名人芸」をいったんやめて、土器を多数の諸要素に分解して、その諸要素の系統発達をしらべ、さらに諸要素間の関連を分析すればおのずと万人が認める土器編年分類のまとまりがあらわれると、素人考えします。
おそらく数万以上はある膨大な土器図録の画像処理をすれば土器編年分類とその利用可能性が別世界になると考えます。

4 加曽利E式土器に影響を与えた土器群
加曽利E式土器に影響を与えた土器群の説明があり、自分はそれらを知りたいので学習意欲がわきました。

加曽利E式土器に影響を与えた土器群

5 中峠式は存在しない
中峠式という土器形式はないという学術専門的な話がありました。演者の専門テーマのようです。

6 興味を持った項目
・西は把手や沈線、東は隆線
・口縁部は横施文、胴部は縦施文。これは最後までつづく。
・加曽利E式期には土偶がすくない。後期になると土偶が増える。
・中期末社会崩壊期の六通貝塚では西の土器が出て貝塚は貧弱。漁業ほとんどしてないかも。
・加曽利E3(古)の伊豆山台遺跡土器は同時期の渦巻文のある土器と様相が異なり段が無いがその理由は「よくわからない」。

伊豆山台遺跡土器
丁度このような土器を学習しているところなので、なぜ土器模様が異なるのか、集団の違いなどに言及する話を期待していたのですが、残念ながら「よくわからない」でした。

7 武蔵野台地東部域の人口増減
人口増減(竪穴住居増減)を示すグラフは貴重な情報です。このグラフを知って社会発展と崩壊の様相をより詳しくイメージできます。

武蔵野台地東部域の人口増減

8 肝心の土器形式変遷
土器形式変遷について多数画像を投影して詳しく説明がありました。本来そこで知った新知識をこの記事のメインとして書くべきです。しかし、土器模様に関する基礎知識が不足していて未消化となってしまっています。この項目だけは「思いだして」キーボードを打つことが出来ません。

加曽利EⅡ式縦方向沈線文土器の観察と感想

縄文土器学習 44 加曽利貝塚博物館企画展展示土器の観察 22

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)の展示土器38点の個別観察をメモしています。この記事では加曽利EⅡ式縦方向沈線文土器No.19の観察をメモします。この土器が加曽利EⅡ式土器の最後に展示されています。

1 加曽利EⅡ式縦方向沈線文土器 No.19

加曽利EⅡ式縦方向沈線文土器 No.19
芋ノ谷東遺跡出土

2 観察と感想
2-1 観察
・縄文の上に、縦方向2本対の沈線で模様をつくっています。沈線模様は底部まで到達する波型、直線型と胴部途中終了の直線型の3種あり、その繰り返しで全体を構成しているようです。
・専門家のご意見は判りませんが土器入門者の私には粗雑造形土器のように感じます。沈線の波型、直線形ともいい加減なラインになっています。胴部途中で終了する沈線も模様として曖昧です。

沈線ライン

・縄文もその施文に斉一性がなく手の赴くままにあっちこっちの方向となってます。
・口唇部の幅が場所によって極端に違います。

口唇部の幅
画面左で広く(厚く)、画面下で狭く(薄くなっています)。

2-2 感想
この土器の展示趣旨は加曽利EⅡ式の最終版ではこのような崩れた土器も出るということだと思います。
その意味をよく考えると次のような思考に至りました。

企画展パンフレットの説明
企画展パンフレットで説明されるEⅡ式→EⅢ式の器形変化にこの土器は入るはずがないとういうことです。
No.19土器は時期としてEⅡ式終末頃につくられたということだけが提示されている情報であり、渦巻文を「家紋」とする集団とは別の人々が作ったに違いないと考えます。
造形が粗雑であることから安定した生活を営んでいない流れ者がつくったと想像せざるをえません。
加曽利EⅡ式期をピークに縄文中期社会が崩壊することと、この土器が暗示する流入集団の存在は深く関連していると想像します。

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企画展風景

2019年2月24日日曜日

加曽利EⅡ式器台内面予備観察

縄文土器学習 43 加曽利貝塚博物館企画展展示土器の観察 21

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)の展示土器38点の個別観察をメモしています。この記事では加曽利EⅡ式器台の内面予備調査結果をメモします。

1 器台用途に関する作業仮説
展示土器の中に2点の器台があります。

加曽利EⅡ式器台
当初器台とは土器を乗せる台だとばかり思いこんでいたのですが、観察と検討を加え、またTwitterにおけるお話なども参考に、突然次のような作業仮説を持つに至りました。
2019.02.20記事「加曽利EⅣ式器台の観察 香炉の可能性
2019.02.21記事「加曽利EⅡ式器台再観察及び器台と一般土器との関係考察

●器台用途に関する作業仮説
器台=あぶり器(=少量液体を火で気化させる装置)
器台の上に載せるモノ=発生気体吸引具(=底部穿孔土器)

器台の基本機能は火を利用した少量液体気化装置であり、器台の上に補助的器具を置いて発生気体の効果的吸引を行ったという作業仮説です。
補助的器具とは底部を失った(底部に穴を開けた)深鉢土器を上に載せ、それに蓋をして気体を閉じ込め濃縮し、器台と補助器具の接合部に開けた小さな孔からその気体を吸引するというイメージです。
器台とその上の補助的器具、両者の接合部を一体化した装置のフィギュア(模型)がいわゆる「異形土器」として加曽利貝塚博物館にそのレプリカ2台が展示されているようなものであると想像します。

加曽利貝塚博物館展示「異形土器」(展示物はレプリカ)
注)参照

このような作業仮説を検証していく一つの重要観察として、器台内部の状況把握が必要になります。器台内部が被熱していることが確認できれば、器台用途あぶり器仮説の確からしさが俄然高まります。

器台内部の観察は加曽利貝塚博物館の許可を得て3月上旬に実施することになりましたが、この記事ではその予備調査を行いましたのでメモします。

2 加曽利EⅡ式器台の内面写真撮影
器台上面の割れた部分から内面にピントを合わせた写真撮影に成功しました。

加曽利EⅡ式器台の内面写真

加曽利EⅡ式器台の内面写真 別フィルター

3 内面写真の分析

加曽利EⅡ式器台内面の分析

1 孔の内面側の面取の存在
6つ開いている孔と外面の接触部分には面取りが存在しますが、同じ面取りが孔と内面の接触部分に存在します。→内面も丁寧なつくりとなっています。決してぞんざいに扱っていません。

2 縄文はない
明瞭な縄文は存在しません。→観察できる範囲に明瞭な模様はないようです。

3 スス存在の可能性
・赤味がかった色が斜め方向に細長く分布します。土器作成の時指でこすって平滑になった部分ではないかと想像します。それ以外の黒っぽい部分はススではないかと想像します。指でこすって平滑になった部分のススは土器出土水洗いの際に失われ、それ以外の平滑ではない部分では微細な溝にススが残ったのではないかと想像します。→加熱によるススが残っている可能性があります。

4 灰あるいは破砕貝(漆喰)存在の可能性
・小白点集合模様が存在します。小白点は次の2つの可能性が考えられます。1灰あるいは破砕貝(漆喰)が土器表面の微細溝に挟まったもの。2出土土器を組み立てる時の接着剤等調整剤の残留物。
もし灰あるいは破砕貝(漆喰)が残留しているとすれば、器台の使い方のイメージがより明瞭になります。

5 原面剥離部の存在
器台原面(A)が剥離した部分(B)とそこからさらに剥離して新鮮な断面が観察できる部分(C)が存在します。Bの部分にはススが残っているように見え、剥離後も器台が加熱して使われたことを示しているように見えます。→剥離部が内面上部に存在することは、被熱した証拠の1つになると考えます。

4 本調査
加曽利EⅡ式器台予備調査の結果を踏まえて、加曽利EⅡ式器台と加曽利EⅣ式器台の内面調査を3月上旬に実施しその観察メモを後日記事にします。
内面調査を行うことにより器台用途に関する作業仮説の蓋然性を評価することができます。

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注 空想に空想を重ねれば加曽利貝塚博物館展示大小2点セット「異形土器」はあくまでもフィギュア(模型)土器であり、液体気化機能という実際機能を持たない祭具であったと考えます。
器台と底部穿孔土器とそれを繋ぐ藁等の植物により、液体気化・吸引・覚醒作用体験という実際活動があったと考えます。その実際活動をイメージして覚醒作用体験を呼び出すための祭具として「異形土器」2点セットが作られ、祭形式のなかで一つの式を執り行うための道具として使われたと想像します。
「異形土器」は覚醒作用疑似体験のアイコンであったということになります。

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追記 2019.02.25
・底部穿孔土器の例として加曽利EⅡ式連結渦巻文対向土器No.9をあげることができます。発掘調査報告書に底部欠損に関する記述があります。
2019.02.18記事「加曽利EⅡ式連結渦巻文対向土器の観察」参照

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追記 2019.02.26
・空想につぐ空想ですが、加曽利貝塚出土異形土器は2点セットでその大きさが大小となっています。夫婦のような印象を受けます。他の遺跡でも2点セットで出土していて、形状が微妙に異なります。(鶴川遺跡群J地点)
・「異形土器」が覚醒作用疑似体験のアイコン(イコン)であるとすれば、大きい方の「異形土器」は死んだ父や祖父と話す時の道具、小さいほうは死んだ母や祖母と話す時の道具かもしれません。

2019年2月23日土曜日

加曽利EⅡ式1段構成区画文土器の観察

縄文土器学習 42 加曽利貝塚博物館企画展展示土器の観察 20

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)の展示土器38点の個別観察をメモしています。この記事ではNo.18の加曽利EⅡ式1段構成区画文土器の観察をメモします。

1 加曽利EⅡ式1段構成区画文土器 No.18

加曽利EⅡ式1段構成区画文土器 No.18
有吉北貝塚出土

2 発掘調査報告書における記述
No.18土器は縄文時代中期土坑(SK450)から出土していて、「千葉東南部ニュータウン19 -千葉市有吉北貝塚1(旧石器・縄文時代)-第1分冊(本文)」(平成10年3月、住宅・都市整備公団・財団法人千葉県文化財センター)(以下発掘調査報告書等として適宜略称)ではこの土器について特段の文章記述はありませんが次の情報を得ることができます。

・No.18土器出土土坑は出土土器から12群に近い11群土器の時期に比定される。
注 12群・・・加曽利EⅢ~Ⅳ式
11群・・・連弧文土器が衰退し、キャリパー形土器が盛行する段階の加曽利EⅡ式

出土土器挿図
発掘調査報告書から引用

出土土器写真
発掘調査報告書第3分冊から引用

3 観察
・口縁部渦巻文は消えています。
・口縁部と胴部の区別がなくなり、沈線が縄文施文帯の上端で逆U字状に連結しています。
・土器全体が1段の縦割区画文から構成されています。

追記 2019.02.24
この土器は連弧文土器の成れの果てということになるのでしょうか。No.15の2段構成連弧文土器の下段模様だけで土器を構成しているように観察できます。
2019.02.22記事「2段構成連弧文土器の観察」参照
加曽利EⅡ式土器に固有の渦巻文が存在しないことは、意識して渦巻文を使わなかった、あるいは渦巻文を使うことは許されなかった状況があったと想像します。渦巻文を使う集落直系家族ではない外来家族がこの土器をつくったと想像します。

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企画展会場風景

加曽利EⅡ式台付土器が三足土器であることの感想

縄文土器学習 41 加曽利貝塚博物館企画展展示土器の観察 19

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)の展示土器38点の個別観察をメモしています。この記事ではNo.17の加曽利EⅡ式台付土器が三足土器であることの感想をメモします。

1 加曽利EⅡ式台付土器No.17が三足土器であることの観察

加曽利EⅡ式台付土器No.17の脚部
土器材質が擦れてむき出しになっている赤色部分とそれを区切る凹みが観察できます。この土器の器形表現は正確には台付土器ではなく、三足土器とするべきだと考えます。

加曽利EⅡ式台付土器No.17の写真
「千葉東南部ニュータウン19 -千葉市有吉北貝塚1(旧石器・縄文時代)-第3分冊(写真図版)」(平成10年3月、住宅・都市整備公団・財団法人千葉県文化財センター)から引用
脚部のつくりが丸みを帯びていて特徴的です。通常の加曽利E式土器の脚部はこのように丸みを帯びたつくりにはなっていません。

2 三足土器出土の事例

青森県今津遺跡、虚空蔵遺跡出土三足土器
WEBサイト「日本人の起源」から引用

これらの縄文時代三足土器は中国竜山文化の影響を受け、縄文人が見様見真似でデザインだけを当てはめて土器をつくったのではないかと言われています。

中国竜山文化では次のような鬲(れき)と甑(こしき)が出土しています。

鬲(れき)(下)と甑(こしき)(上)
『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズから引用
鬲(三足土器)のデザインがふっくらしていることが特徴です。
鬲(三足土器)出土の竜山文化C14年代測定例では4600前頃から4000年前頃という値があり、加曽利E式土器の時期と重なることは確実です。

3 感想(空想)
No.17土器が丸みを帯びた三足土器であることから、加曽利E式土器の時代に中国の竜山文化の影響が列島縄文社会にあり、その影響が巡り巡って千葉に到来し、No.17土器が膨らんだ三足の土器というエキゾチックなデザインになったと空想します。
もしこの空想が当たっていれば、土器模様や他の遺物に中国竜山文化影響の痕跡を見つけることができるかもしれません。

あるいはこの土器は甑を上にのせる鬲として作られたのかもしれません。この土器を鬲として使うというサインが三足なのかもしれません。

加曽利EⅡ式台付土器の観察と感想

縄文土器学習 40 加曽利貝塚博物館企画展展示土器の観察 18

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)の展示土器38点の個別観察をメモしています。この記事ではNo.17の加曽利EⅡ式台付土器を観察します。
No.17土器は鏡を利用して台の中を観察できるようになっています。

1 加曽利EⅡ式台付土器 No.17

加曽利EⅡ式台付土器 No.17
有吉北貝塚出土

2 発掘調査報告書における記述
No.17土器は縄文時代中期土坑(SK185)から出土していて、「千葉東南部ニュータウン19 -千葉市有吉北貝塚1(旧石器・縄文時代)-第1分冊(本文)」(平成10年3月、住宅・都市整備公団・財団法人千葉県文化財センター)(以下発掘調査報告書等として適宜略称)ではつぎのように記述されています。

SK185(第113図、図版42・155)8は台付深鉢で、沈線による横位の区画帯が上下4段に重層し、1・3段には刺突が加えられる。他の出土土器はいずれも小片である。土坑底面出土の8から、11群土器の時期に比定する。
注 第11群・・・連弧文土器が衰退し、キャリパー形土器が盛行する段階の加曽利EⅡ式

出土土器挿図
発掘調査報告書から引用

出土土器写真
発掘調査報告書第3分冊から引用

3 観察と感想
3-1 器形と模様
発掘調査報告書記述のとおり「台付深鉢で、沈線による横位の区画帯が上下4段に重層し、1・3段には刺突が加えられ」ています。

3-2 台の様子と土器加熱法

台の様子

台の様子 別フィルター

台は3脚となっていて脚底部は赤くなっています。この赤色は土器本体材がむき出しになっている色です。3脚がこの土器の重量を支え、摩擦によって削られている様子を示しています。
赤く削られた周辺には白色の粉状の付着物が観察できます。白色粉状付着物は炉の中の灰あるい炉の中の粉末状破砕貝(漆喰)が土器表面の微細な溝に挟まった状態を示していると考えられます。
白色粉状付着物の分布からこの土器が炉の中でどの程度埋めて使われていたかを推定できます。

白色粉状付着物の土器表面分布から推定した炉における土器加熱法

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企画展会場風景


2019年2月22日金曜日

2段構成連弧文土器の観察 その2

縄文土器学習 39 加曽利貝塚博物館企画展展示土器の観察 17

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)の展示土器38点の個別観察をメモしています。この記事ではNo.16の2段構成連弧文土器を観察します。

1 2段構成連弧文土器 No.16

2段構成連弧文土器 No.16
荒屋敷貝塚出土

2 観察
・胴部中位のくびれた部分に交互刺突文と沈部・隆部からなる帯状模様があり、それを境に2段構成模様の連弧文土器となっています。交互刺突文による帯状模様は口縁部に全く同じものがあります。
・渦巻文があり、加曽利EⅡ式土器との関連も推察できて面白いと感じます。
・胴下部は被熱により色が淡褐色に変化しています。

3 3Dデータ
No.16土器は写真を5枚撮影しましたが、その写真全てを活用して3DF Zephyr Freeにより満足感の得られる3Dデータを作成することができました。3Dデータにより土器をいじくりまわしながら観察することができました。土器を正立させて観察することも可能となりました。

No.16土器3D表示

No.16土器3D表示

No.16土器3D表示

No.16土器3D表示

No.16土器3D表示

No.15土器はショーケース端に位置していて3Dデータを作成することができませんでした。ところがNo.16土器は土器左右からの写真撮影ができるので良好な3Dデータが出来たと考えられます。この体験から、展示土器のガラス越し撮影で3Dデータを作成する場合、土器の同じポイントが少なくとも異なる3方向(左、中、右)から撮影されていることが必要条件であることが判りました。

なお学習上の必要性が生じれば、土器立体物を実寸であるいは縮小して3Dプリンターでアウトプットして活用することにします。

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企画展会場風景