2019年4月30日火曜日

土器囲い炉に使われた土器 高根木戸遺跡

縄文土器学習 102

船橋市高根木戸遺跡の竪穴住居から土器囲い炉に使われた土器が出土し、船橋市飛ノ台史跡公園博物館に展示されています。その土器の3Dモデルを作成しました。

土器囲い炉に使われた土器 高根木戸遺跡 3Dモデル
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示

土器囲い炉に使われた土器 高根木戸遺跡
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示

展示風景

土器囲い炉のある竪穴住居の様子
「船橋市の遺跡」より引用

土器囲い炉の様子
「船橋市の遺跡」より引用

高根木戸史跡は縄文中期の集落跡遺跡で、土器は勝坂式、阿玉台式、加曽利E式(EⅠ~EⅢ)土器が出土しています。

なお、3Dモデルをよく観察すると、現場では見落とした次の造形特徴を見つけました。(○表示)
出産を暗示する人面の省略形かもしれないと素人考えします。

意味があるかもしれない造形特徴

土器形式別ヒートマップ比較分析の可能性

縄文土器学習 101

縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では少し横道にそれますが、土器形式別出土遺跡分布図の比較をヒートマップを使うことにより行う分析の有用性について検討します。2019.04.30記事「稲荷台式土器出土遺跡分布ヒートマップ」の続きです。

1 井草式土器ヒートマップと稲荷台式土器ヒートマップの比較
縄文早期最初期の土器形式である井草式土器とそれに次ぐ(夏島式の後の)稲荷台式土器のヒートマップを比較します。2つの土器形式の間の時間は数百年程度であると仮にイメージします。

井草式土器ヒートマップ

稲荷台式土器ヒートマップ

井草式・稲荷台式ヒートマップオーバーレイ
井草式から稲荷台式にかけて次の変化を読み取ることができます。
1 井草式期の芝山町から成田空港付近高密度域が稲荷台式期になると北側に移動しているように観察できます。
2 井草式期の四街道市付近の高密度域が周辺に拡大しているように観察できます。
3 井草式期に低密度であった船橋付近が稲荷台式期になると高密度域に変化します。
このような遺跡密度変化が確かに存在するかどうかさらに確認したうえで、その存在が確認できれば、この情報から井草式期→稲荷台式期の縄文社会変化の有用な情報を得ることができます。
上記3つの変化を縄文海進最盛期の海岸線変化と対応付けて分析すれば、縄文社会における漁撈意義増大について価値の大きな知見を得ることが出来るかもしれません。

2 井草式土器ヒートマップと加曽利B式土器ヒートマップの比較
縄文早期井草式土器とそれから7000年以上後の縄文後期加曽利B式土器のヒートマップの比較です。

井草式土器ヒートマップ

加曽利B式土器ヒートマップ

井草式・加曽利B式ヒートマップオーバーレイ
井草式と加曽利B式を比較するとつぎのような顕著な変化を観察できます。
1 井草式期の最大高密度域である芝山町から成田空港付近が加曽利B式期ではほぼ完全な空白域に変化する。この井草式期高密度域は遠方などに拡散して消滅した。
2 井草式期の四街道市付近高密度域を始めその期の高密度域は南に移動したように観察できる。
この7000年の時間を挟んだ変化はおそらく縄文海進最盛期の海岸線の位置と海退期海岸線の位置変化に対応した社会変化として理解できると想定できます。
生活の拠点や集落が必然的に海に出やすい位置に変化したものと考えることができます。
同時に加曽利B式期に若葉区と緑区北半分を中心に広がる高密度域が、なぜそこに凝集するのか、その理由を調べることの意義が大きいことを直観します。現代社会につながる「千葉」発祥の起源であると直観しています。
縄文後期の遺跡密集域には拠点集落が存在し、その拠点性はそれぞれ現代社会まで継続してきていると考えます。
土器形式別ヒートマップを今後詳しく比較分析すれば、縄文社会変化を考えるうえで有用な情報を得ることができると考えます。

3 ヒートマップ比較分析の有用性
土器形式別ヒートマップを比較分析することにより広域的、大局的に縄文社会の様子を見ることが出来ます。ヒートマップの特性上、その情報は決め手となるようなものではありませんが、学習初期段階や作業仮説構築段階では有用であると考えます。

稲荷台式土器出土遺跡分布ヒートマップ

縄文土器学習 100

縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では2019.04.29記事「稲荷台式土器 東峰御幸畑西遺跡」で扱った縄文早期稲荷台式土器の出土遺跡分布図からヒートマップを作成してみました。

1 稲荷台式土器出土遺跡のヒートマップ作成
QGISの機能(ヒートマッププラグイン)を使って点情報としての遺跡分布図をカーネル密度推定により連続的な密度分布図として視覚化しました。ヒートマップを作成することにより分布密度をより視覚的に眺めることができます。

素分布図 稲荷台式土器出土遺跡

稲荷台式土器出土遺跡ヒートマップ

参考 素図(稲荷台式土器出土遺跡分布図)+ヒートマップ

ヒートマップ作成により、稲荷台式土器出土遺跡が濃密に分布する空間の場所を客観的に説明できるようになりました。

ヒートマップは当該点分布における相対的な分布密度を表現しています。
ヒートマップはカーネル密度推定に与える半径パラメータの値により分布密度の平滑化の程度が異なります。そのため分析目的に応じてその都度最適と思われるパラメータ値を設定します。

2 ヒートマップを使った異なる土器形式分布の比較
縄文早期の最初期の井草式土器ヒートマップ、それに次ぐ時期の稲荷台式土器ヒートマップ及び縄文後期の加曽利B式土器ヒートマップを作成して並べて比較してみました。

井草式土器ヒートマップ

稲荷台式土器ヒートマップ

加曽利B式土器ヒートマップ

3枚のヒートマップを並べて眺めると各土器形式時期の遺跡分布密集域が変化している様子を観察することができます。
ヒートマップを作成することにより土器形式別という詳細時期別に遺跡分布密集域の変化の様子が判りそうです。それが判れば、各時期の縄文社会が好んで利用していた空間を知ることができます。さらにその情報から当時の生業の在り方や遺跡密集域の立地環境を推察することが可能になりそうです。
土器形式別ヒートマップから縄文社会変化の重要な情報を引き出すことが可能になりそうです。
次の記事で、ヒートマップを使った分析の可能性を検討します。

2019年4月29日月曜日

稲荷台式土器 東峰御幸畑西遺跡

縄文土器学習 99

縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室に展示されている縄文早期撚糸文土器である稲荷台式土器(東峰御幸畑西遺跡出土)を観察します。

1 稲荷台式土器の観察

稲荷台式土器 東峰御幸畑西遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示

稲荷台式土器 上部拡大
東峰御幸畑西遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示

稲荷台式土器 下部拡大
東峰御幸畑西遺跡出土 千葉県教育庁文化財課森宮分室展示室展示

「夏島式土器とほとんど同器形をとるが、縦位施文の縄文、撚糸文の間隔は著しく粗く、帯状となり、その間は無文となる。器面は研磨され滑沢を帯びる。」(日本土器事典より引用)
稲荷原式土器と異なり口唇部に特別なつくり・模様はありません。
展示土器の下部形状が現物として復元されているので、尖底の様子が確認できます。

2 稲荷台式土器の較正年代

稲荷台式土器の較正年代
稲荷台式土器の較正年代は11000年前の前後1000年間の中頃をイメージすることができます。

参考 農耕牧畜の起源と縄文土器較正年代対比 1
ブログ「芋づる式読書のメモ」2019.04.10記事「持てるものと持たざるものの歴史」から引用

参考 農耕牧畜の起源と縄文土器較正年代対比 2
ブログ「芋づる式読書のメモ」2019.04.10記事「持てるものと持たざるものの歴史」から引用

稲荷台式土器の較正年代は人類が農耕牧畜を南西アジアではじめて始める直前頃の年代になります。

3 稲荷台式土器の分布(千葉県域)

稲荷台式土器出土遺跡
私家版千葉県遺跡データベースでは稲荷式土器で検索すると101レコードがヒットしました。
遺跡分布は同じ早期である井草式土器分布と大局的には類似します。
2019.04.25記事「井草式土器出土遺跡の分布」参照

4 参考 東峰御幸畑西遺跡の場所と情報

ちば情報マップ 埋蔵文化財包蔵地 から引用

……………………………………………………………………

学習チェックリスト



2019年4月27日土曜日

バイオリン型土偶の3Dモデル観察

縄文土器学習 98

船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示バイオリン型土偶(小室上台遺跡出土)の3Dモデルをつくり観察しました。

1 バイオリン型土偶の3Dモデル

バイオリン型土偶3Dモデル
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示

3Dモデル画面下のmodel inspector(i)でmatcapにすると写真が除去され立体物だけの表示になります。

2 観察
2-1 豊胸の表現
乳房の表現がメインテーマであると考えることができます。細長い形状で乳房を表現していることから未婚女性を表現していると考えます。

バイオリン型土偶 小室上台遺跡出土
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示

2-2 へそ及び首付け根、足付け根の表現
3Dモデルをよく観察するとへそ付近の凹み、首付け根付近の凹み(鎖骨付近)、足付け付近の足-下腹部-足の境が表現されているように推察できます。

バイオリン型土偶 小室上台遺跡出土
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示

2-3 首差込口
3Dモデルでは表現できませんでしたが、四角い形状の首差込口があります。

バイオリン型土偶 小室上台遺跡出土
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示

3 バイオリン型土偶展示の様子

バイオリン型土偶展示の様子
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示

バイオリン型土偶展示の様子
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示

4 メモ
小さい土偶の3Dモデル作成が困難であることを実感しました。通常土器の3Dモデル作成とは異なる写真撮影技術が必要です。



2019年4月26日金曜日

縄文早期条痕文土器 鵜ヵ島台式土器の観察

縄文土器学習 97

縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では八千代市立郷土博物館に展示されている縄文早期条痕文土器である鵜ヵ島台式土器(間見穴遺跡出土)を観察します。

1 鵜ヵ島台式土器の観察

鵜ヵ島台式土器 八千代市間見穴遺跡出土
八千代市立郷土博物館展示(千葉県教育委員会所蔵)

鵜ヵ島台式土器 間見穴遺跡 3Dモデル
八千代市立郷土博物館展示 2019.04.26撮影

2 条痕文土器について
「貝殻条痕文を地文に用い、胎土に繊維を含む土器群である。子母口式→野島式→鵜ヵ島台式→茅山下層式→茅山上層式の順に変遷する。沈線文土器ほどの文様の華やかさはみられない。繊維を含むため脆く、粗雑な土器に見える。
(野島式の)文様構成を発展させたのが鵜ヵ島台式である。隆起線でたすき掛け状の区画文帯をつくり、その起点には円形刺突文を配する。区画の外側を沈線文や連続刺突文で重点する。2段に屈曲した独特の器形を有し、それに合わせて文様帯を上下に重ねる。」(「千葉県の遺跡 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」から引用)

・胴部下部左の条痕文と斜行・縦走(左上→右下方向)する多数の細凹線が繊維(が焼けて消失した)跡のようです。
・土器内面にも顕著な条痕文が刻まれています。

3 鵜ヵ島台式土器の千葉県分布

鵜ヵ島台式土器出土遺跡
私家版千葉県遺跡データベースから鵜ヵ島台式土器出土遺跡が52レコードヒットします。

4 参考 間見穴遺跡の位置と情報

参考 間見穴遺跡の位置と情報

……………………………………………………………………

参考 学習チェックリスト

縄文土器学習の方法と目標

縄文土器学習 96

1月から始めた縄文土器学習が継続して、ある程度学習方法イメージが確立してきましたので、今後の方法と目標をメモしておきます。
2019.01.09記事「縄文土器学習の開始

1 学習目標
縄文土器形式名から次の情報が即座にイメージできるだけの知識を得ることを目標とします。
・土器の形状・模様・材質等土器そのもののイメージ
・土器がつくられた大よその較正年代(とその時代の列島・世界の様子)
・土器と共伴出土する石器等の特徴
・土器に関わる遺構の特徴
・土器出土遺跡の地理的分布(千葉県内)

2 スケジュール
2019年12月末で学習を区切ることにします。

3 学習方法
・土器形式毎に近隣博物館等における展示物の写真撮影・3Dモデル作成を行い、その活動(観察)を軸に学習を行います。
・学習を前半後半の2ステップで行うこととします。
・展示土器観察(写真撮影・3Dモデル作成)を最優先し、まず全土器形式に一通り触れることを第1ステップとします。第1ステップで土器イメージ、較正年代、地理的分布などを知ります。
・第2ステップで土器形式に関わる各種興味の深耕を行います。このステップで共伴石器や遺構に関する知識を入手します。遺跡の事例学習を深めます。

野島式土器 飛ノ台貝塚出土
船橋市飛ノ台史跡公園博物館ガラスケース内展示

縄文早期撚糸文土器 稲荷原式土器の観察

縄文土器学習 95

縄文早期撚糸文土器を観察しています。
この記事では千葉県教育庁文化財課森宮分室閲覧室に展示されている稲荷原式土器を観察します。

1 稲荷原式土器の観察

稲荷原式土器 成田市庚塚遺跡出土
千葉県教育庁文化財課森宮分室閲覧室展示

稲荷原式土器 部分拡大 成田市庚塚遺跡出土
千葉県教育庁文化財課森宮分室閲覧室展示

粗い撚糸文の縦走が稲荷原式土器の特徴であるようです。
口唇部には模様がありませんが胴部との境に1列の刺突文(あるいは縄文?)があります。
復元土器をよく観察すると風化の進んだピース(被熱か?)とそうでないピースから構成されています。正面から見る限り完形土器が破壊されてそのまま埋もれ、構成破片の一部が被熱し、その全体が出土したように想定できます。
意図的に破壊され、被熱したものならば、その意味解釈・考察に大いに価値があると考えます。

2 メモ
2-1 希少資料
稲荷原式土器は土器図鑑(日本土器事典)には器形復元挿図が掲載されていません。またWEBでも復元土器の情報を見つけることができませんでした。森宮分室展示土器は希少な資料であるようです。森宮分室展示物が「へたな県立博物館より充実している」(談)証左の一つのようです。

2-2 出土遺跡
この土器が出土した遺跡は成田市庚塚遺跡です。

参考 成田市庚塚遺跡の位置と情報
庚塚遺跡は大須賀川と栗山川の分水嶺付近に立地し、谷津と台地面の双方を効率的に利用できる場所です。
この遺跡からは早期後半沈線文土器(大半は三戸式土器)が多量に出土しています。
狩猟民の生業に好都合な場所は旧石器時代→縄文草創期→縄文早期前半(稲荷原式土器の時代頃)→縄文早期中後半(三戸式土器の時代頃)→縄文前期と連続的に利用され、庚塚遺跡もそのような場所であったと想定できます。

2-3 稲荷原式土器出土情報
私家版千葉県遺跡データベースを検索すると稲荷原式土器出土遺跡は市原市馬立塚ノ台遺跡だけ1レコードのヒットとなります。成田市庚塚遺跡もヒットしません。主要出土物だけが記載されるというデータベースの特性上、このような結果になります。

……………………………………………………………………

参考 学習チェックリスト

縄文犬 飛丸くん (改良版)

2019.04.21記事「縄文犬 飛丸くん」で作成した船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示縄文犬復元模型「僕の名前は飛丸」3Dモデルを改良しました。
ゴミを除去したものです。

縄文犬 飛丸くん
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示物 2019.04.21撮影

飛丸くんの勇壮な姿

飛丸くんが登場するパンフレット表紙

なお3Dモデルの後脚や尾の背後がすぐそばの柱と引力のように引き合う不具合は調整できませんでした。円満な3Dモデルを作成するためには対象物をぐるぐるまわりながら360度の方向から写真撮影する必要があります。

2019年4月25日木曜日

井草式土器出土遺跡の分布

縄文土器学習 94

縄文早期の井草式土器を観察しています。
この記事では井草式土器が出土する遺跡の分布をその前代の縄文草創期遺跡の分布と比較しながら観察します。

1 井草式土器出土遺跡

井草式土器出土遺跡
私家版千葉県遺跡データベース(旧ふさの国文化財ナビゲーションダウンロードデータから作成)で101レコードがヒットしました。実際には井草式土器が出土している遺跡で(発掘調査報告書には井草式土器が記載されている遺跡で)、データベースにはその旨が記載されていない遺跡がかなりあります。井草式土器出土遺跡のうち7割程度がデータベースに記載されているのではないかと、他の遺物例から、推察します。
101の遺跡はほとんどが台地に存在します。低地遺跡はありません。
次に示す草創期遺跡と井草式土器出土遺跡の分布は大略でよく類似します。

参考 草創期遺跡
私家版千葉県遺跡データベースでは11レコードがヒットしました。

2 井草式土器出土遺跡分布の特徴

井草式土器出土遺跡 下総台地拡大図
井草式土器出土遺跡が分布する場所の地形的特徴が、入り組んで細密に開析された谷津の最上流部と台地平坦部の境付近であることが観察できます。
入り組んで細密に開析された谷津だけが広がり台地面が少ない空間には遺跡が分布していません。
また、結果として隣接水系を跨ぐような場所に立地する場所が多くなっています。
井草式土器を使う縄文人が谷津と台地の双方の地形を必須としていたことがこの分布図から感得できます。遺跡と地形との関係を生業との関連から詳しく分析する価値があると考えます。
井草式土器出土遺跡の密集域が成田-芝山付近や四街道付近などに存在します。その付近が生活しやすい条件があった空間である可能性があり、今後その条件を検討することにします。

参考 草創期遺跡 下総台地拡大図
草創期遺跡立地場所が入り組んで細密に開析された谷津の最上流部と台地平坦部の境付近であることが観察できます。これから、井草式土器出土遺跡は草創期遺跡立地場所の特性をそのまま引き継いでいると推定できます。
草創期の生業や生活の仕方と井草式土器時代の生業や生活の仕方が似ていたと推察します。

3 遺跡数の変化
井草式土器出土遺跡遺跡数を旧石器時代遺跡数、草創期遺跡数と比較してみました。比較の指標は「遺跡数/100年(継続年数)」です。
学習における一種の柔軟体操みたいな思考です。

3-1 区分の継続年

縄文時代の絶対年代推定 一部
この図を参考に、縄文時代草創期の継続年数は4000年としました。
井草式土器の継続年数は1000年、500年、250年の3例を設定しました。
後期旧石器時代年数は15000年としました。

千葉県域 遺跡数と継続年数

3-2 遺跡数/100年(継続年数)

千葉県域 遺跡数/100年(継続年数)の数値
後期旧石器時代遺跡が6.0になるに対して、井草式土器遺跡は継続年1000年の場合10.1、500年の場合20.2、250年の場合40.4となります。
井草式土器遺跡の継続年数をどのようにとっても後期旧石器時代より値が大きくなりますから、井草式土器遺跡の時代の人口は後期旧石器時代よりはるかに多かったことがわかります。
一方、縄文草創期時代遺跡の値は0.5であり、後期旧石器時代と比べて1/12となり、異常に少なくなっています。
井草式土器遺跡と比較すると、井草式土器継続年数を1000年とした場合でも20倍の開きがあります。
この情報を次のように考え(仮説し)、その適否判断を今後の課題とします。
・後期旧石器時代→草創期時代→井草式時代と人口が増加することはあっても激減するような状況は無かった。
・土器発生頃は土器の利用が稀であり、普及していなかったので、その時期の遺跡数は土器出土を指標とするとほとんどカバーされない。(草創期遺跡数が極端に少ない理由)
・早期になると(井草式土器の時代になると)土器利用が一般化し、誰でもいつでも土器を使うようになるので、出土土器を指標にした遺跡数カバー率が向上する。

このように仮説すると、早期遺跡の中に、草創期土器が出土しないという理由だけのために、草創期遺跡が相当数含まれていると推定できます。
また、後期旧石器時代遺跡のなかに、土器が出土しないという理由だけのために、草創期遺跡が含まれている可能性が推定できます。
つまり縄文草創期遺跡は土器を指標にすると、その全体像の理解は10%以下であるということです。

2019年4月24日水曜日

井草式土器 取掛西貝塚

縄文土器学習 93

縄文早期の井草式土器を観察しています。
この記事では船橋市飛ノ台史跡公園博物館企画展(ここまでわかった!1万年前の取掛西貝塚)で展示された取掛西貝塚出土井草式土器を観察します。

1 展示土器の観察

井草式土器 取掛西貝塚出土 船橋市飛ノ台史跡公園博物館企画展展示

井草式土器 「ふなばしの遺跡」(船橋市教育委員会)から引用

2 模様の詳細観察

模様の観察
口唇部の撚糸文は斜行(左上→右下)、口唇部直下には無文部があり、その下胴部には撚糸文斜行が2種類あり、さらにその下は撚糸文縦走となっています。

3 参考 取掛西貝塚の場所と情報

ちば情報マップ 埋蔵文化財包蔵地 から引用

4 感想
・東峰御幸畑西遺跡、権現後遺跡、取掛西貝塚の井草式土器を観察して、井草式土器のイメージを自分なりに持つことができました。
・展示土器を写真撮影して、それを後日拡大表示して観察しても観察が不十分であることを実感しました。パンフレット「ふなばしの遺跡」では照明により撚糸文の模様が鮮明ですが、展示土器撮影写真では模様が不鮮明で正確に観察できない部分があります。
・展示土器現物をガラス越しに観察する場合でも、正確に観察できない場合が過去にありました。(加曽利E式企画展)
・完全な観察は土器を手に取り、光線と目の関係を任意に調整できるようにすることが必要であると考えます。